第49話 見下す者の末路
「……ライナスっ。おいっ、起きないかライナスっ」
耳元で何度も呼びかける声に、ライナスはうすく意識を取り戻した。
見ると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたルールカが傍にいて、ライナスが意識を取り戻したことにも気づかない様子で、ずっと呼びかけていた。
(……私はまた、気を失っていたのか?)
体を動かそうとしたが動かなかった。だが痛みは、いくぶん楽になっていた。痛みを感じないわけじゃない。感覚がマヒして、そう感じているだけだった。
(私はなぜ、生きている?)
それが不思議で堪らなかった。この状況だ。アークデーモンには、いつでもライナスとルールカの二人を殺すことができたはずだ。
動かない首で、視線だけを動かして見ると、そいつは楽しそうにニヤニヤ笑っていた。
どうやら負の感情を、ルールカがライナスの身を案じて溢れさせた嘆きの感情を享受しているのだと理解する。納得すると同時、ふつふつと言い知れぬ怒りが沸いてきた。
自分の弱さゆえに、主を不安にさせた、悲しませた、傷つけさせた……そして何より、そんな優しい彼女の感情を食い物にして弄んでいる化物がいる。
「……ル、ルカ、さま」
怒りがそうさせたのか、ライナスは手を持ち上げた。弱々しい動きだった。
「ライナスっ。おまえっ、目を覚ましたのかっ」
その手を取って、ルールカが、ほっと安堵の表情をほころばせた。
なんとも嬉しく、照れ臭く、そして申し訳なかった。
(相手はこの上もなく強敵で、私は満身創痍の状態だ……)
ルールカもまた腕や脚に、無数の穴が空いてボロボロだった。肉の焼けるイヤな臭いがしていた。ここまで這いずって来たことは血の跡が教えてくれた。擦れて線になった血が、ずっとここまで続いていた。
ライナスは感謝し、そして心で謝罪した。だがそれ以上に泣きたくなる。
「ルールカ様。これからあいつに最後の攻撃を仕掛けます。それで私は動けなくなるでしょう。……ですから、そのときは私を置いて逃げて下さい」
全身が震えていたが、おぼつかない身体を動かし、両膝ついて起き上がった。
「なにを言い出すかと思えば、バカかおまえは……」
ルールカも体を起こした。
「私は最後まで戦うぞ。勝ち負けは関係ない。それが私の騎士としての使命だからな」
ルールカは笑った。笑っていた。この期に及んでまだ、最後まで自分らしくあろうとする姿に感動すら覚えて眩しくなる。
「おまえが命を懸けて戦うなら、私もまた命くらい懸けてやるぞ」
――だから、おまえも最後まで諦めるな。
声には出さず、表情だけでそう伝えていた。
自分の剣を持ち出して、ライナスの手を取った。これをしっかりと両手に握らせる。
「……ルールカ様、一体なにを?」
一度は手を放した剣、今度はその切っ先を両手に掴んだ。
「ライナス、おまえは絶対に勝て」
いってルールカは、その剣先を自分の胸へと押し当てた。
「っ!」
ぐっと強く押される感触が、剣を通して伝わってきた。
刃を伝って流れた赤色が、これが現実であると教えていた。
小さく細い身体が傾き、どっと音を立ててその場に沈んだ。
「うっ、うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っ!」
デーモンもまた、ルールカが剣を取り出した瞬間こそ身構えたが、半死人二人がすることと傍観し、ライナスの絶望する感情を受け取ると、その口をイヤらしく歪ませた。
刹那。その顔が、永遠の時を刻んで制止する。
正面を見ていた視界が、急に横を向き始めた。その視界が真横を向いた時、ようやくすべてを理解した。視界は完全に上下逆さを映し、上から下へと移動し、地面を跳ねて転がった。
最後に目にしたものは、たった今まで倒れていたはずの男の、けれど自分の背後に立った、その背中だった。その背もまた傾き、地面と水平になって横たわる。その背中が再び動くことはなかったが、だがそれ以上に自分の視界は徐々に削れ、やがて塵となって消え失せた。
「…………っ」
その場に動き出す者があった。その身体はボロボロで、すでに歩くことはおろか起き上がる気力さえ持ち合わせていなかった。それでも這いずり、勝者の元へと急いだ。
「ライナス、よくやった。おまえの勝ちだ。だがまさか、あんな下らない手に引っかかるとは思わなかったぞ。魔族という奴は思いのほか馬鹿なのかもしれないな」
ルールカは手に怪我をしていたが、その身体に傷はなかった。流した血の赤は、刃を掴んだ手から流れたものだ。その身は鎖帷子に守られ、ちょっと突いただけでは傷つかない。
「見ろ、ライナス。おまえの勝ちだ。おまえは上級魔族に勝利したのだっ」
途中、勝者の証である魔石を回収し、これを誇示した。だが、これを伝える相手は、かろうじて息はしていたものの、その身体からは徐々に体温が失われつつある。
「しっかりしろっ、ライナスっ。おまえはこの国を救ったのだぞっ。英雄なんだっ。そのおまえがこのくらいで死んでどうするっ」
そんな彼女の嘆きが天に届いたのか、背後から近づいてくる者があった。
「ルールカ様っ、ご無事ですかっ」
やって来たのはベルガンだ。彼は馬に乗っていた。さらに背後には百騎ほどの兵を引き連れている。
「ベルガンっ。どうしようっ、ライナスが動かないんだっ」
ベルガンは素早く周囲を見回して状況の確認を急いだ。その目が、ルールカが掴んだ魔石に注がれる。素早く拳を突き上げた。
「状況を確認っ。我らの勝利だっ。北門を襲った魔族はすべて倒されたっ。ただちに全軍で退却するぞっ」
いって素早く馬を下り、動かぬライナスと手負いのルールカの回収を急がせた。
「ルールカ様、よくぞご無事で。ライナスもよく頑張った。私は二人を誇りに思いますぞ」
二人の回収が終わると、急ぎその場を撤退する。だが城へと急いだ一行の前に、魔物の大群が押し寄せてきた。これを避けて通ることは不可能と思われた。
「エステっ、ハイデっ。おまえたちはルールカ様とライナスを連れて先に戻れっ」
「待てっ。おまえはどうするつもりだっ、ベルガンっ」
「なぁに、魔物どもを蹴散らしたら、すぐに戻ります。ですからルールカ様はライナスと一緒に先にお戻りください」
「なにを言っているっ。まさかおまえ、ここで死ぬつもりじゃないだろうなっ。そんな勝手なことは、この私が許さないぞっ」
「いえいえ、それはあり得ません、ルールカ様。なにせ私はハルトとの約束で、絶対に生きて帰らないといけませんからな。本当に面倒な約束をしてしまったものだわい」
ベルガンは、にぃっと歯を見せて笑った。目配せし、エステとハイデを走らせる。ルールカは制止するよう命令したが、これを聞き届けるほど彼らは無能ではなかった。
「また後で、必ず逢いましょう。ルールカ様っ」
そういうとベルガンは手綱を操り、馬首を魔物の群れへと向かわせた。
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