第50話 魔王ヴァレフォル

 街の門をくぐり抜け、ルールカたちは帰還を果たした。だが誰からも歓声で迎え入れられることはなかった。彼らもまた必死の戦い続けていた。

 エステとハイデの二人は、門からほど近い陣営にルールカとライナスを運び込むと、そこで二人の身柄を降ろした。

「衛兵っ、このお二人を頼むっ。アークデーモンを討ち果たした英雄たちだっ。手厚く手当てしてやってくれっ」

 そうして自分たちは、また戦場へと帰っていった。

 駆けつけた衛兵に、ルールカは自分も戦うといったが、穴だらけの身体は、ちっともいうことを聞いてくれなかった。冷たい地面の上に座らされ、身動きするのがやっとだ。

「くっ、不甲斐ないっ……」

 悔しさに流す涙さえ、さらに悔しさを滲ませた。

「そうだっ、ライナスはどうなった?」

 はっとして、もう一つの懸念を思い出す。ライナスの手を取ると、真冬に長時間外を歩いていたみたいに冷たくなっていた。

 ずっと浅く、ゆるやかに、静かに呼吸を繰り返している。

「…………死ぬな、……私を一人にしないでくれ」

 力なく呟いて、ルールカは空を仰いだ。

 その空に、なにやら靄のような雲が漂っていた。雲は次第に形を成し、やがて人の顔のような……否。悪魔そのものの顔を空に描いた。

「なんだ、あの雲は? ふつうの雲じゃないのか?」

 ぞっと寒気を覚えた。ついで吐き気がする。それは傍で、同じように空を見上げていた連中も同様の症状を訴えていた。

 ある書物には、このような光景を指して、こう記してあったのを、ふと思い出した。

〈地獄の窯のフタが開いた〉と。

 それはこの世の終わりを示した〈生と死の反転〉。これを表現した言葉である。

“よくぞ、わしが送り込んだ魔族を蹴散らした。――誉めてやろう”

 空から声が響いた。しわがれた老人の声であり、壮年の男の声でもあった。

「……なんだ? この声、直接頭に響いてくるぞ?」

 耳をふさいでも、その声は確かに聞こえた。

“わしの名は、第七魔王・冥獣王ヴァレフォル。貴様たち人間に、死を与える者――”

 誰もが、その場に凍りついた。張り付けられた。縫い付けられた。縛りつけられた。言い方は数あれど、その結果はどれもが等しく同じであった。

“これは手向けである。この名と声を誉れとし、安心して死ぬがよい”

 声と同時、にわかに空が暗くなる。ゴロゴロ音が鳴り始め、そこかしこで小さく光を孕み始めた。それは雷が鳴る直前の空に似ていた……いや、れは雷雲そのものだ。

「なんなのだ、これは……? せっかく魔族を、アークデーモンを倒したというのに、こんな理不尽が許されていいのか……」

 襲いくるのは雷撃か、それとも言い知れぬ絶望か。……あるいは、そのどちらもか。相手は遥か上空どころか、おそらくこの場のどこにも居はしなかった。

「……頼む、ハルト……いや、誰でもいい。私の持っているものなら、なんでもやる。だから頼む。……こいつを、ライナスを……この街のみんなを助けてくれ……」

 空に光が満ち。小さく火花を立てた。それは空全体に広がっていき、やがて光の鏡のような現象を創った。

「すまぬ、ライナス……。せっかくおまえがアークデーモンを倒してくれたというのに、私にはもう、どうすることもできないようだ……」

 懐に入れた魔石を取り出し、そっと自分とライナス、二人の手に重ねて握らせた。

「せめてもの救いは、こうしておまえとともに死ねることぐらいか」

 ルールカは満足そうに微笑んだ。悔いはなかった。やることは全部やった。そのうえで成功して見せた。なにを後悔する必要がある。自分は騎士として生き、使命を全うした。

「もし生まれ変わることがあるなら、私はまた騎士として生まれ、おまえやベルガンと一緒に生きたいと思うぞ」

 魔石を握り合った手に、ほんのり温もりが伝わってくる。

 それは次第に光だし、たしかな力となって溢れ始めた。

 ――そして。

 空と大地がひっくり返り、地上には万雷の光が降り注いだ。


 ………………。

 光と爆発が過ぎ去って、音一つない静寂を取り戻した頃。

 そこに存在した城も、防壁も、建物も、人も、魔物も、動物も、虫さえも、なに一つとして形を留めているものなど在りはしなかった。

“くくくっ、すべて消し飛んだか。やはり、ここにも求めるものはなかったか。いったい何時になれば見つかるものか――〈破壊神の欠片〉は”

 この声を最後。空を覆っていた障気は雲散霧散、綺麗さっぱり晴れ渡る。

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