第51話 天地無用

「…………っ」

 目を開けると、ただ暗闇が広がっていた。

 空気の流れから、かなりの空間があると把握する。

『……空間ということは、ある程度閉鎖された場所ということか?』

「どうやら、そのようだな」

 返事があると思わず、少し驚いた。だが聞こえた声は、あって当然のものだった。

『エキドナか?』

「ほかに誰がいる……いや、いるな。それもかなりの数だ」

 エキドナは力を使って、虚空に光の球体を生み出した。

 その行動で理解する。いつの間にか、僕とエキドナが入れ代わっていたことを。

「……どうやら、兵士たちのようだな」

 見覚えのある鎧を着ていた。十人、二十人……いや、百人以上は確実にいる。

『……少しずつ、思い出してきた』

 空に顔のような靄が浮かび、その顔はあろうことか魔王を――第七魔王・冥獣王ヴァレフォルを名乗ったのだ。

「冥獣王ヴァレフォルか。想像していた以上に、遥かに恐ろしい相手のようだったな。あれで最弱とか、本気で笑えないぞ」

 兵士の一人に近づいて、指先を首筋に当てた。「どうやら生きているようだな」

「だが、ここは一体どこなのだ?」

 暗闇以外、なにもない。見渡す限り、平らな地面だけが広がっていた。

 右を見て、左を見て、上を見る。

 そうしてエキドナは、空を見上げた状態のまま固まってしまった。それはそうだろう。誰だってそうなる。なぜなら、そこに、地上にあるはずの街並みが広がっていたのだから。

「……天井に、屋根がある?」

 しかも上下逆さまの状態だ。

『でも、どこに行けばいいんだろ?』

「いや、それは判るだろ。上下が逆さまなだけだから、方向は変わらないはずだ」

 いいながら、すでに歩き始めている。

『いや、そういうことじゃなくて。どうしてこうなったかというか……』

「それこそ分かり切っている。こんなことができる奴など、そうはいないはずだ。そして今、これを可能とする存在を、私たちは知っているはずだ」

 歩きながらエキドナは、光の届く範囲ごとに新たな光源を生み出して進む。

『そういわれれば理解するけど、でもどうやって成し得たかは別の問題だろ』

「……ロレン。キミは基本、聡いクセして、たまに抜けたところがあるな」

 バカにしている気配はなく、単純に不思議がっていることは理解できた。

『そういう言い方をするってことは、大方の見当はついているってことだよね』

「いいや。大方ではなく、断言して言い切れる。――ライナスが勝ったのだ」

 なぜか自慢げに、エキドナは言い切った。

『あれって? 中はどうなっているんだろう?』

 城の下まで歩いてきたとき、なんとなく気になったので訊いてみた。

「街中の市民が入っているだろうな」

 あはははっ、と。本気で楽しそうにエキドナは声に出して大笑いした。

『ダンタリオンを連れてくればよかったな』

「あ~、なんとなく忘れていた。だが、いまさら言っても仕方あるまい」

『エキドナは基本、すべてを見通しているみたいなのに、たまに抜けているよね』

 なんとなく悔しかったので、さっき言われた言葉をそのまま返してやった。

「………………」

 エキドナが黙り込む。心の声さえ聞こえてこない。

『あー、エキドナさん、ちょっと意地悪が過ぎたいみたいだ。……悪かったよ』

 そう言おうとして、

『どうやら、動き始めた人がいるみたいだ』

 遠くのほうで動く人の気配を感じた。

「どっちだい?」

『このまま北に真っ直ぐでいい。……いや、少し右のほうに逸れてるな。この暗闇で方向感覚がズレたのだろう』

「いやいやいや、そんな感覚だけで方角が判るのはロレンぐらいのものだよ。私だって、たまに頭上の建物を確認しないと、正確な方角なんて判らないからね」

 人を方角の化物みたいに言わないでほしい。

「ロレンは方角の化物だな」

 本当にそう思われていた。……というか。

「『方角の化物ってなんだ?』」

 そんなもの誰も知らない。少なくとも、たいした価値はなさそうだ。

『……う~ん、なにか妙だな?』

 気配のほうに近づいたが、向こうはほとんど移動していなかった。

「グルグル回っている感じなのかい?」

『いや、少しずつは動いている。でもすごく遅いみたいだ。でもこの状況なら、ふつうは動かないで救助を待ちたいところのはずだろ。……だから妙なんだ』

「う~ん……いや、もしかしたら怪我をしているのかもしれない。少し急いでみるか」

 気配の位置は判っていたので、エキドナは走って移動を始めた。

「本気でダンタリオンを連れてくるべきだった」

 今更のように後悔していた。

 やがて。近づいてくる光に気づいたらしく、向こうから呼ぶ声が聞こえてきた。

「そこにいる誰かっ、頼むっ、怪我をしている人がいるのだっ、助けてほしいっ、お礼は後でできる限りを約束するっ、だから頼むっ、この暗闇のどこかにいるはずの――」

「ルールカっ、私だっ、ハルトだっ、少し待てっ、すぐにそっちに行くっ」

 駆けつけると、予想通り、ルールカはひどい有り様だった。腕と脚をやりたい放題に貫かれている。しかも剣や槍で刺された怪我ではなかった。熱した鉄串で刺したように傷が灼かれている。ほとんど拷問のような手口だった。

「ハルトっ、ライナスがっ、ベルガンがっ、私はもう本当にどうしたらいいのか判らなくて」

 しゃがみ込むと、ルールカは我を忘れて、しがみついてきた。

「まずは落ち着け、ルールカ。怪我をしていたのはおまえでいいのか、それともライナスか? ベルガンか?」

 この傷で動き回っていたのだ、おそらくライナスかベルガンのどちらかだろう。

「ライナスだっ」

 返事は言葉を待たず、やや食い気味にきた。

「本当にひどい怪我で、身体が冷え切っていて、でもアークデーモンは倒したのだぞっ」

「『っ!』」

 僕とエキドナは同時に反応した。その場にいればお互い顔を見合わせていただろう。

「本当だぞっ、嘘じゃないっ、でも空に顔のようなものが浮かび上がったときに、とつぜん空と大地がひっくり返って、気がついたら魔石がなくなっていたのだっ」

「そうか。やはりあれはルールカの仕業だったか、よくやった!」

 いいながら、ルールカの身体を横抱きにして持ち上げた。慌ててしがみついてくる。

「おかげで私も命拾いしたぞ。いや、それどころかルールカは、この街の人間すべての命を救ったのだっ」

 浮遊の魔法を使っているので、まったく重さを感じなかった。

「なにを言っている? 私は何もしていないぞ? ハルトがなにかをしたのではないのか?」

 エキドナは笑顔になって走り出した。

「いいや。間違いなくルールカのおかげだ。あの瞬間、私はロレンと入れ代わっていたからな、どうすることもできなかったのだ」

「入れ代わって、そんなことができたのか?」

「ああ。そのためにグレーターデーモンの魔石を3つも使ったよ」

「なっ、3つだと。……それは、それだけの相手だったということか?」

「それもあるが、私個人としては実験の意味合いが強いな」

 事実だろう。〈百腕五十頭の巨人〉はエキドナだけでも倒そうと思えば倒すことができたはずだ。でもしなかった。それにはきっと意味がある。魔石を消費したくない以外の目的が。

「それで、どっちだ? ルールカ?」

「ああ。北門に近い場所に敷いた陣営だ。普段は小さな広場になっている所があるのだが、今はそこに陣を張らせてもらっている」

 気丈に振る舞っていたが、息が弾んでいた。やはりダメージは深刻そうだ。

『エキドナ。魔石を使うか?』

『いや、必要ない。ここは自前の魔力だけで充分だ。ロレンと入れ代わるために使った魔石の魔力が、まだずいぶんと残っているみたいだからな』

 ああ、やはりそうか。納得する気持ちのほうが強かった。

「それで、どういうことなのだ?」

「ん? どうとは、どういう意味だ?」

 返しながら、ついでに治癒の魔法も試みる。ルールカは一瞬悶えたが、なにも言わずに始めたので、わけも判らない様子で話を続けた。

「だから、私が街のみんなを救ったとは、どういう意味だと訊いているのだ」

「あ~。なんだ、そのことか。いや、なに、たいした話じゃないさ。ようするにこういうことだ。――おいで、タイタン」

 エキドナの呼びかけに応え、小さな老人の姿をした精霊ノームこと〈タイタン〉が、ルールカの長い髪の中から、ひょっこり顔を覗かせた。

「なっ、おまえっ、ずっとそんな所に隠れていたのかっ」

 実際には姿を消していただけで、髪のなかに隠れていたわけではなかった。

「魔石を使ったのは、こいつの仕業だ。だがあのとき、タイタンが力を使ってくれなければ、私たちは全員、間違いなく死んでいた」

 ヴァレフォルが使った雷とも相性がよかった。むしろ唯一無二の相性だったかもしれない。そのうえで地上と地下をひっくり返し、あの雷の嵐の被害から匿ってくれた。

『万雷の散花』

『万雷の惨禍』

 エキドナと僕、二人の思考が交差する。それは同じ音だったかもしれないが、どこか微妙に違う意味のように聞こえた。

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