第6話 魔装
魔族は宙を滑るように近づき降りると、エキドナに向かい言う。
「人間のクセに、なんとも器用なものだ。大気中から魔素ではなく、直接魔力を吸収しておるわ。それは本来、わしら魔族が得意とする業……なんとも、くそ生意気なガキだわい」
「お誉めに預かり光栄だ。見たところ中級魔族とお見受けするが、それがなにゆえ魔物たちを従え、このような小さき村を襲うのか。ぜひとも、お聞かせ願えないものか」
慇懃無礼に尋ねながら、それでいてエキドナは警戒を怠らなかった。しきりに周囲の気配をうかがっている。
本来ならば、この魔族を倒せば、それでこの戦いは終わりだった。
けれど今、魔物は邪悪の波動に侵されておらず、自らの意志で魔族に従っていた。
つまり、こいつを倒しても、それで引き上げてくれるとは限らなかった……。
だからこそエキドナは、こいつから少しでも多くの情報を引き出そうとしている。
「これはまた、おかしなことを訊く。こやつらが我らに従うは遠い昔からの摂理というもの。いまさら訊くようなことではあるまい」
そんな話は聞いたことがなかった。おそらくエキドナも同じはずだ。
「なるほど。いや、なに、俺は少し前の戦いでケガをして記憶をなくしていてね。いま一つ状況が飲み込めていないのだ。だが、そういうことなら話が早い。つまり、あなたが指揮官で、あなたを倒してしまえば、ほかの魔物は引き上げるというわけだ」
「ふむ」
魔族が顎に手を当てて思案を始めた。エキドナの言葉の真意を探っているようであり、また別のなにかを考えている素振りでもあった。
そうして搾り出した結論が、
「つまり、おまえさんが特異点か?」
「『特異点?』」
僕とエキドナは、まったく同時に引っ掛かりを覚えた。
「我が主も酔狂なことを言い出すものと訝しんでいたが、いやはや大したものだ。なかなかに興味深い。おまえさんのその力、ふつうの人間に扱えるものではあるまい」
先の言葉と合わせて理解する。エキドナは、ただ怠惰に戦っていたわけじゃない。足りない魔力を周囲から集め・取り込むことで、これを攻撃の力に代えていたのだ。
『攻撃の間隔が妙に長かったのは、そのためか』
言い訳などせず、素直にそういえば、僕だって突っかかったりしなかった。
『どう解釈しようと勝手だが、私一人では捌ききれないし、場合によっては魔物たちの命も助けるつもりでいた。その言葉に嘘偽りはない』
人を頼るのが苦手なのか、それともプライドが高いのか、どちらにしても難儀な人だ。
そう思いつつ、(僕も、人のことは言えないか……)胸のうちで自嘲する。
「ともあれ。おまえさんが我らの邪魔になるやもしれぬとわかった以上、このまま逃がすことは出来ぬ。悪いが、この場で死んでもらうぞ」
「そういわれて、はい、どうぞ。とはならないことは、ご承知でしょう」
「いやいや、わしは相談しておるわけではない。ただ確定事項を伝えておるにすぎんよ」
「そういうことなら、抵抗だけはさせてもらおう」
「好きにするがいい。どのみち結果は変わらんよ」
「さてさて、はたしてどちらの思い描く結果になりましょうか」
「ははは、悪いが、わしは一人ではない。大した役には立たぬが、ここは有効利用させてもらうぞ」
汚い奴だ。そう思う間にも、二人の戦いはすでに始まっていた。
『――なんだ? この気配は?』
僕は二人の間に展開された奇妙な気配を知覚する。
『いきなり世界が広がっていくような……いや、むしろ薄くなっていくような感覚は?』
「ほう。魔力の拡散と、その領域を感知できるのか」
『魔力の拡散と、その領域って?』
「魔法使いは魔力を使う。そして魔力を生み出すのは魔素だ。だが一部の魔法使いは、自然界にある魔力をそのまま自分の力として使うことができる」
『さっきこの魔族がいっていた、大気中から直接魔力を吸収するというヤツか』
「そうだ。そしてこれが可能な上級魔法使い同士の戦いでは、まず自然界にある魔力を奪い合うことから戦いは始まる。つまり周囲にある魔力の奪い合い、領域の奪い合いに発展する」
感覚で、なんとなくわかる。これは、うすく水に溶かした絵の具によく似ていた。
たとえば赤と青。このふたつを混ぜ合わせ、紫に変わった部分が、お互いの力が相殺された領域であり、それぞれの色を強く残した部分こそ、自分が勝ち得た領域なのだ。
「だから今は、少し静かにしてもらえるか……この魔族が強いというより、この体、ハルトの魔力が貧弱すぎる……っ」
そして青。今は圧倒的に魔族のほうが支配していた。
「くははっ。どうした、口ほどにもない。所詮、おまえさんはひ弱な人間ということだ」
「くっ……」
両者の言葉とうめき声と同時、唐突に、エキドナの魔力領域が縮小していく。
『エキドナっ』
力比べは完全に魔族の勝ちだ。
これを危惧すると同時、けれど感嘆の声をもらしたのは、その魔族のほう。
「ほう? おもしろい。大部分を放棄しても、わずかな魔力を確保するつもりか」
その言葉で理解する。エキドナは絵の具の色を濃くして、自分の周囲の魔力だけでも確保する狙いのようだ。
「だが、させぬ。貴様には一片足りと魔力は使わせぬ」
魔族が片手を横に薙ぐ。これを目にする周囲の魔物たちが一斉に、エキドナに向かって殺到した。
「さあ、どうする。このまま魔物たちに蹂躙されるがいいか。それとも、わしの魔法で粉々に吹き飛ばされるがいいか。どちらか好きなほうを選ぶがいい」
『エキドナっ!』
たまらず吼えた僕の目の前で、けれど派手に吹き飛ばされたのは、殺到したはずの魔物たちのほうだった。
「なにぃ?」
驚愕に見開いた魔族の前で、エキドナはつらそうに、けれど確かな足取りで立っていた。
「……ははっ。少し不格好だが、魔装の完成だっ」
答えた体からは、なにやら圧倒的な気配がたち昇っていた。
視界の端に、なにやら黒い靄のようなものが、ゆらゆらと揺らめいているのが見えた。
エキドナの言葉から、おそらく魔力そのものを纏っているのだろうと推測するが、それが一体どういう理屈のものかは理解できない。
だが、それは魔力を理解できない情報弱者の話であって、
「なんだっ、その姿はっ?」
これに精通する者にとっては、また違った何かが見えているようだ。
「魔力で作った鎧だとっ……そんな業、上級魔族でもなければ扱えぬはずっ」
「魔装が使えるかどうかは、あくまで本人の資質によるものだ。そして魔力領域の奪い合いとは、自然界に満ちた魔力を奪い合うことを指す。だがもし、お互いが相殺し合った魔力を自由に扱えるとしたら、どうなると思う」
紫の波動だ。なんとなく、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。同時に、魔族がまとうボロのローブもまた、そんな魔装の一種ではないかと想像した。
『でも魔素は毒で、魔力は猛毒だって話じゃなかったのか』
魔素ではなく魔力そのものを取り込むことも無茶だが、こちらは取り込むそばから吐き出していた。だが魔装は違う。自分のまわりに纏わりつかせ、これを留めている。
「ふ、皮肉なものだな。魔法に詳しい奴は、うろたえて思考が定まらず、これを理解しない、キミのほうが、よほど今の状況を、正しく理解できている」
『それじゃあ、あなたはっ』
「ああ、そうだ。この状況が、長引けば、それだけで私は、自滅する」
言葉が途切れ途切れなのは、それだけこの術がキツイと、消耗している証拠だろう。
「もっとも、本来の体であれば、どうということはないのだが……いやはや、無い物ねだりとは、我ながら情けないっ……」
『そんなことを言っている場合かっ』
「ああ、そうだ。今は一刻も早く、あの魔族を倒してしまわなければっ」
返事と同時、エキドナが大地を蹴って疾走した。
「くっ、来るなっ、得体の知れない人間めっ」
うろたえる魔族は前方に無数の魔力の塊を打ち出しながら、どんどん後退していく。
そんな攻撃には目もくれず、エキドナは直進し、
「ッ!」
無数の魔力弾が直撃した。
「くっ、くかかかっ! やったかァーっ!」
喜び勇む魔族を尻目、エキドナは魔力の弾幕を突き抜け、驚愕に見開く魔族へと肉薄した。
「敵ながら、うろたえすぎだ。魔装を相手に魔法が効かないことなど、初歩の初歩だぞ」
伸ばす右腕に、甲羅のような手甲が見えた。だがそれは一瞬で、すぐに形を変えて幾本もの帯のようにバラけて広がり、魔族の体を貫き、縫い止める。
「ぐわっ」
左の手甲も幾本の帯へとバラけて広がり、また全身を覆う魔装の鎧がほどけて集結、半物質から本来の魔力としての性能を取り戻した。
「これで終わりだっ」
炸裂する黒の魔力の塊は、魔族の全身を包み込み、見る見るうちに収縮していく。
「おのれっ、人間のガキがァ……!」
魔族は持てる力を尽くし、魔法を放って抵抗したが、魔力を無効化する力で覆われているため、これを使った攻撃はエキドナには届かなかった。
全身を押しつぶされるように、さらに圧縮されていく魔族は、
「……この屈辱、けっして忘れぬぞォ……」
最後まで怨嗟の声を垂れ流し、やがて極小の米粒大となって砕けて消えた。
あとに残されたのは、拳ほどもある、どす黒い血のような紫色の石ひとつ――。
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