第29話 待っていた日常

 城に戻るなりルールカたちと分かれ、エキドナは取る物も取り敢えず練兵場へと向かった。練兵場は城の西側に置かれ、兵士たちが己を鍛えるべく日々の訓練に明け暮れている。

 その白い壁は肉厚だが、造りとしては非常に簡素なものだった。いつ壊れても簡単に修復や建て直しが出来るようにされている。その意味合いは、外部からの目隠しが主だった。

 長く曲がりくねった廊下を抜けた先に、そいつは仁王立ちで待っていた。

「ずいぶんと遅いお帰りだね、ハルト……」

 顔を合わせるなり開口一番、彼は想像した通りの含みのある笑顔で出迎えた。

 エキドナはらしくない、しどろもどろな言い訳がましい、後ろめたい顔で応えた。

「いや、ね。私もね、悪いとは思っているよ。でもね、寝ているところに急に来られて、急ぎの仕事だからついて来いといわれたら、仕方ないと思うわけだよ。……うん、私はきっと悪くない。それに、ほら、ちゃんと手紙も出したじゃないか」

「その手紙によると、帰ってくるのは先週のはずだけど?」

「それこそ私の所為じゃない。急な仕事を寄こしたのは、いつもの通りルールカだ」

「それもこれも、どこかに旅をするためだよね」

 声の調子が、怒りから寂しさに変わり、エキドナもトーンを変えた。

「そうだ。それはもう、ずっと前から決めている」

「ここにくる前から」

「ああ、そうだ……」

 あの日、村を離れた理由がそれだった。そのためハルトは、エキドナは村の危機に居合わせることができなかった。……そしてユイが、彼の姉が死んだ。

「俺もついて行くからな」

「それを判断するのは私ではない、ロレンだ」

 ヨハンもまた、ハルトの中にふたつの魂が宿っていることを知っている。村人の合同葬儀を行った際に、エキドナがすべて話した。彼は最初惚けていたが、じっくり時間をかけて説明すると、すべてを理解してくれた。ハルトが急に強くなったことが決め手だろう。そもそも最初から奇怪しかったのだ。

「あっ」

 ハルトの姿を見つけた休憩中だった兵士が一人、急にその場に立ち上がった。

「お帰りなさいっ、ハルトさんっ。今日お戻りだったんですねっ。また稽古のほう、宜しくお願いしますっ」

 これを耳にした数人が、やはり同じように頭を下げて挨拶した。彼らは職業軍人であり、城に仕える兵士たちだ。たまにエキドナが稽古をつけることがある。

 だが最初は、かなり険悪だった。よそから来たぽっと出が、自分たちより高待遇で迎えられたのだから当然だ。実際には、純化した魔石を売った料金を得ているだけだとしても。

「稽古をつけてやるよ」ニヤニヤ笑いながら兵士の一人が言ったとき、エキドナは二つ返事で従った。僕も止めなかった。結果は歴然。だが意外なことにエキドナは魔法を使わなかった。彼らが用意した剣を手に取って戦った。エキドナは剣士としても優秀だった。

 だが勝利したエキドナは(全員と戦った)、大きく息をもらした。どうやら目的は、僕が使った闘気法との違いを確認するためだったようだ。

 しばらく考えを巡らせた後、地べたに這いつくばる彼らを見回していった。

「強くなりたい奴は前にでろ。俺が鍛えてやる。場合によっては人間の限界を超えた強さを手に入れることができるかもしれないぞ」

 これに真っ先に名乗り出たのが、ほかでもない――ヨハンだった。

 当初、エキドナはヨハンには商人としての知識を与えようと考えていた。だが断られた。次に魔法の知識を与えようとして、これには食いついたが、ヨハンには適正が低かった。

 僕は知らなかったが、姉のユイには最高レベルの治癒の適正があったらしい。資質として、献身と抱擁が不可欠だそうだ。……納得すると同時に、悲しくなった。

「俺をルールカ様に押しつけようたって、そうはいかないからな」

「知っていたのか」

 雇用に当たり、ルールカには再度、べつの条件を出した。村のために力を貸す、その必要がなくなったからだ。稼いだ金の一部は、一緒に避難してきた村人たちに配ったが、いつまでもそうするわけにはいかない。だが、ヨハンだけは別だ。ユイとの約束がある。

「さて。この一月の間に、どれだけ一人で成長したか、すこし見せてもらおうか」

「へへへっ。今日こそ一撃入れてやるからな。覚悟しろよ」

 いって二人は、まったく同じ呼吸を開始した。口から魔素を取り込み、体内で急速に魔力を精製。それは通常の呼吸とは異なり、己が体内で魔力を昇華、肉体を極限まで強化する。

 つまり、闘気法というわけだ。僕がエキドナに鍛練方法を教え、エキドナがみんなに伝えると同時、ここ一年、自分でも実践して取り組んできた。

「はじめっ」の合図も何もなく、両者は揃って踏み出した。十mほどあった距離が一瞬でなくなり、正面からぶつかり合う。手にした訓練用の剣が悲鳴を上げ、ぎちりっと軋んだ。

「ほう。なかなかのものだ。いうだけはある。とても十歳とは思えないな」

 闘気法は魔法の素質がない者にも効果的であり、エキドナ曰く「もしかしたら闘気法とは、魔法の適正が低い者のために生み出された流派かもしれないな」という話だ。

「俺はもう、十一歳だァ!」

 気迫と同時に踏み出す足は、けれど難なく払われた。

「ほいっ。スキだらけだ」

 ヨハンの体が半回転し、無様に仰向けに転倒した。

「ちょっとした言葉に揺さぶられるな。心と体は熱く、頭は冷たくだ。いつも言ってるだろ」

「ぬがああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 獣のように吼えて、ヨハンが勢いよく起き上がった。そしてまた、がむしゃらに襲いかかってくる。だが言われたことは実践していた。言葉の割りに動きは丁寧だ。

『よく鍛えているが、まだまだだな。エキドナに一撃を入れられないまでも、せめて焦らせるぐらいは出来ないと』

『そうだな、そろそろ実戦が必要な時期かもしれないな』

 僕の言葉に、エキドナは余裕を持ってそう応えた。

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