第10話 患者

 向かった先は病院なんて整った施設ではなく、村の集会所だった。平屋の粗末な建物で、その左右の壁際に5つずつベッドが並んでいた。このうち奥の半分が埋まっていた。

 勢いよく部屋に飛び込んできた男の顔を見て、中にいた人たちが揃ってその場に立ち上がった。いろんな噂が飛び交っているのだろう。その顔のどれもが、かすかな期待に揺れた。

 白い清潔なシーツの上で、誰もが重い呼吸を、浅く何度も繰り返している。ひどく痛むのだろう。ときおり苦しそうに唸り声を漏らした。

 エキドナはざっと、そんな五人の患者を見回し、

『無理だな』

 僕にだけ伝わる呟きを、ため息とともに漏らした。

『そんな簡単にいってくれるな。みんなエキドナを頼りにしているんだぞ』

『勘違いするな。手前の四人は軽傷だ。あちこち骨が折れてる程度だ。あれくらいなら、すぐにでも動けるようにできる。だが一番奥の女性はダメだ。体の半身が、ほとんど潰れている。今まで持っているのが不思議なくらいだ』

 だが、そんな一人にこそ、ハルトを呼びにきた男は向かっていった。

「うちの上さんだ。崩れた壁の下敷きになって……なんとか助けられないだろうか?」

 男の言葉に、ふと視界が暗くなる。エキドナが目を閉じたのだ。

 ついで伝わる感覚は、首を左右に振ったもの。

「そんなっ……本当は、俺が下敷きになるところだったんだ。……なのに、こいつ、俺のことを庇って、それで代わりに、こんな目に……」

 途方に暮れる男を前に、エキドナは僕に聞かせたのと同じ内容を皆にも話した。

 四人の患者の関係者は一瞬喜びの表情を浮かべた後、男の奥さんのことを考え、気まずい顔をうつむかせた。

『ほんとうに、どうにもならないのか?』

『くどい。いや、じつは方法がないこともない。私がかなり無理をすれば、だがな』

『だったら!』

『だがそれは、ほかの四人の患者に使う魔力を、この男の奥さんを助けるために、すべて使うということだ。つまりは一人を助けるか、それとも四人を助けるか、これはそういう話だ』

 よくある究極の問い、というヤツだった。

『一人を助けるか、四人を助けるか……』

『よく考えることだ。だが、答えは最初から決まっている』

 ふつうに考えれば、一人でも多くを助けたほうが正しいように思える。……でも。

『そんなの判ってる。でもほんとうに正しい答えは、全員が助かることのはずだ』

 なんとなく、エキドナが微かに笑ったような気がした。

『なら、どうやって助ける。もちろん、これが本来の私の体であれば、いともたやすいことだ。今すぐ五人のケガを癒し、その命を救って見せただろう。だが、それこそ不可能だ。ハルトの体では無理だ。そんな魔力は、今のこの体にはない。もちろん、長い時間をかけて鍛えれば、今よりはずっとマシな魔法を扱えるようになるがね』

『ないなら、どこか別のところから持ってくればいい』

『おもしろい。それで、どこから用意する。いっておくが、周囲にある魔力を使うのは最初から考慮に入っているぞ。だが周囲の魔力を使うにしても、それはハルトの魔力が基本になる。私が無理をすればと言ったのは、そういう意味だ』

 今の僕には、あまりにも情報が少なすぎた。魔法という力についてだ。なにをどうすれば魔法が成立するか、それがまったく判らなかった。エキドナが高いレベルで魔法を操っていることは理解できる。先の魔族の反応を見れば明らかだ。だからこそ、そんな相手にどうにもできないと断言されては、僕に反論できるわけがなかった。

 ふいに服の裾を、くいくいっと引っ張られた。視線を下に向けるとヨハンだ。

「……ハルト兄ちゃん、なんとかならないのか?」

 不安な顔を向ける少年が、じっと縋るように見上げてくる。

 エキドナは何か、少し考える素振りを見せた後、事も無げに答えた。

「ないことはない」

「ほんとうっ」

 ぱっと少年の顔に光がさした。

「でも、それをするにはどうしても必要なものが一つある」

「必要なものって、なぁに?」

「俺が倒した魔族が持っていた魔石があるだろう、あれを借りてきてほしい。そこから足りない魔力を拝借することができれば、全員を助けることが可能なはずだ」

「わかった。村長さんのところに行って、魔石を借りてくればいいんだな!」

 いうなり、ヨハンは集会所を飛び出していった。

 二人のやりとりを間近で聞いた男が、その場に膝から崩れ落ちた。顔を涙でぐしゃぐしゃにして額を床に押しつけ、両手を組んで「ありがとう」を何度も繰り返す。

 周囲の人たちも、ほっと安堵の息を吐き、「よかったな」と繰り返した。

『……どういうことだ、エキドナ』

 でも僕だけは、居ても立ってもいられずエキドナを糾弾する。

『どうした、ロレン? 私は言ったはずだぞ。答えは最初から決まっていると』

 エキドナは慌ても騒ぎもせず、なんとも平坦に言葉を返した。

 しかも後で聞いた話によると、今日は奥さん一人だけを助け、残りの四人は後日治療すれば充分助けられたと、『四人は軽傷といったはずだ』という始末……。

『それは、そうかもしれない……けど、それならそうと最初から教えてくれればいいじゃないか。なぜ、あのような持って回った言い回しをしたのだ』

『私はね、ロレン。どうやらあまり人間が好きではないらしい。見ていて、イライラする』

『それは、さっきの動揺のことをいっているのか?』

『動揺か? あれをそう呼べてしまうキミは、きっといい奴なのだろう』

『茶化すな。それで誤魔化しているつもりか。僕は本気で聞いているんだぞ』

『私も本気さ。だが、この体の影響か、あの姉弟にはそうとう甘くなるらしい。ほんとうは、私はこの男の妻を助けるつもりはなかった。だが、聞いての通りだ』

 見下ろす足元には、今もなお男が床にへばりついていた。周りの人が駆け寄って男の体を起こそうとするが、完全に力が抜けてしまっていて、かなり難儀していた。

『まぁ、この男の反応は、そんなに嫌いではない……』

 そういったエキドナが、いったいなにを考え、なにを思っているのか、そういった心の動きの機微までは、まったく伝わってこなかった。

 しばらくして、魔石を取りにいったヨハンが転がる勢いで駆け込んできた。

「ハルト兄ちゃんっ」

 その後ろからはユイと、顔を真っ赤にして憤慨する小太りの男、村長が飛び込んできた。

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