第9話 小さな村

 エキドナことハルトの告白にも似た発言で気まずくなったのか、ユイは朝食が終わるなり、片づけもそこそこにハルトの家を飛び出していった。

 そのまま家に戻るかと思いきや、道を曲がらず下っていく後ろ姿が窓から見えた。

「ふむ。彼女がいないのなら、このまま家でじっとしていてもしかたない。私も少し外を歩こうと思うが、それでかまわないな」

『どうぞ、ご自由に。僕の意志ではハルトの体を動かせないんだから、訊かれても困る』

「なにを言っている」

 ドアを開け、外へと踏み出しながら、エキドナが口に出して答えた。

「このまま私と会話を続けるのは当然として、それでも村を見て回ったほうが、より有意義な会話になるだろうと考えての提案だ。なにも考えなしに言っているわけではない」

 昨夜は気にする余裕もなかったが、村は山に近く、起伏の多い丘に作られていた。白に近い黄色い土が剥き出しの道の左右に、くるぶしほどに伸びた青々とした草が生えている。

『それならそうと、最初からそういってくれ。僕はあなたほど思慮に富んでいるわけではない。言ってくれないと判らないよ』

 風が吹き、緑の匂いを運んできた。季節は春らしく、青臭い匂いに満ちている。

「そう、そういうところだ。たとえば今のキミの言葉で、じつはキミ君がいいところのお坊ちゃんだったことがうかがえる。その辺の子供が思慮に富むなんて言葉は使わないからな」

 間違いではないが、何もかも見透かされているようで、正直落ち着かなかった。

 ハルトの家の周囲は建物がまばらで、右手のほうにユイが帰る家が見えるだけで、その向こうは森へと続いていた。あとは左手に二軒ほど見えるのみで、残りは道の下のほうに数十軒ほど建物が見えるばかりだ。やはりというか、なんとも小さな村だった。

『そういうあなたは、学者か何かだったのか? あの中級魔族でさえ、あなたが使う魔法技術には驚いていたようだけど』

「そういえば、それもあったか。私を呼ぶときは、あなたではなくエキドナで頼む。くすぐったくて仕方ない。私もキミ君のことは、ロレンと呼ばせてもらうよ」

『そう、ですね。これからどれくらいの時を、あなたと……失礼。エキドナと過ごすことになるかも判らないのだから、色々とルールを決めていくのは大事だと思う』

「だが、お互いのプライベートに関しては追々話していくことにしよう。私たちは同じ一つの体を共有しているかもしれないが、あくまで他人なのだから」

『そうですね。そのほうがいいかもしれません。僕も無理にエキドナの秘密を暴こうとは思わない。その点に関しては安心してください』

「ああ、その方向で頼む。だが、お互いが知る知識の確認と交換だけはしておきたい。これも、かまわないな」

『僕としては、エキドナが使う魔法の知識には、とても興味がある』

「残念だが、それは追々のほうに該当する。魔法は、私の生い立ちにかかわってくるからな。すまないが、もう少しキミという、ロレンという人間を見極めてからにさせてほしい」

『そういうことなら仕方ない。心得た。だが、そうなると僕のほうから聞きたいことは、今のところ一つもなくなる。それほどまでに魔法という存在のインパクトが大きすぎた』

 丘を下り、比較的平らにならした道に入ると、忙しなく動き回る人々が目についた。

 下りてくる途中から聞こえていたが、あちこちから釘を打つ音が間断なく聞こえる。

 村の復興はすでに始まっていて、人手はどれだけあっても足りないように思えた。

 だが、そんな誰も彼もが、やってきたハルトの姿に気づきながらも、一瞬だけ視線を向けるだけで、すぐに顔をそらした。

『どうやら彼らにしても、人の持ち物を勝手に売り払うことには抵抗があるらしいな』

 人目を気にしてか、エキドナは口に出すのを止めた。思考だけで語りかけてくる。

『魔石の件は、まだユイからは伝わっていないみたいだな』

『それはそうだろ。彼女だって、なにも喧伝しながら歩いているわけではあるまい』

「あっ」

 という声が聞こえ、振り向くと、小さな男の子が駆け寄ってくるのが見えた。

「ハルト兄ちゃんっ、もう動いて大丈夫なのかっ」

「おう、ヨハン。見ての通りだ。俺なら大丈夫だぞ。ユイからは何も聞いてないのか?」

「うん。だって姉ちゃん、ハルト兄ちゃんのことは私に任せておけって、なにも教えてくれなかったから……」

 少年の言葉と表情で、ハルトが死にかけていた事実を思い出す。ハルトの体は壊疽を起こしていたくらいだ。よほどひどい状態で苦しんでいたに違いない。

 エキドナがいなければ死んでいた。これはもう疑いようのない事実だろう。

『でも、その割には、あまり気にしていないように見えるな』

 はしゃぎ回るヨハンは、まるで仔犬のようにハルトにまとわりついて飛び跳ねる。

『まあ当然だろうな。以前、村が魔物に襲われた時、ハルトが助けた少年がヨハンだ。自分の所為で人が死んでしまうなんて、こんな幼い子供にそう簡単に教えられるものじゃない』

 だからユイは、弟には黙っていた。

「姉ちゃんからは、ハルト兄ちゃんが一カ月も眠ったままだって聞いてたから、おれスッゲェ心配してたのに、元気どころか無茶苦茶スゲェじゃん。村にやってきた魔物を一人で全部倒したのって、ハルト兄ちゃんなんだろ。みんな噂してるぜっ」

「あはは。でも、全部倒したわけじゃない。敵のボスを倒して追い払っただけだ」

「それだってスゲェじゃん。だって敵の一番強い奴を倒したってことだろっ」

『ちなみに、私はこの子と会うのは、今が初めてだよ』

 唐突に、エキドナが話題を振ってきた。

『ユイに弟がいることは聞いていたが、どうやらこの子がそうみたいだな』

『え? いや、でも、今ふつうに会話して……』

『勝手に口をついて出てくるのだ。おそらくハルトの記憶だろう。おかげで私の記憶喪失設定が嘘くさいこと、この上もない』

『なぜ、ユイのときには出なかったんだろ?』

『おそらくは、それだけ回復したという証拠だろう』

『昨日、あれほど死にそうなほどボロボロだったのに、か?』

『それは思い違いだ。以前のハルトとは違い、今のハルトには私がいる。生きていれば死ぬことはない』

『そりゃあ生きていれば死なないだろうけど……あれ? 僕はなにを言っているんだ?』

『いや、それでいい。合っている。私は殺されない限り、死ぬことはない』

(それこそ一体どういう意味だ?)

 尋ねようとして、

「あのぅ、ちょっといいだろうか……?」

 横手から声をかけられた。顔を向けると、村人らしき男が立っている。年齢は三十前後だろうか。だが今は、ひどく気落ちしているらしく、疲れ切った顔をしていた。おかげで、もっと年上に見える。もしかしたら寝てないのかもしれない。目の下には濃い隈ができていた。

「あんたは、ハルトはちょっと前まで死にかけてたって、でも今は動けてる……それに今回、村を襲った魔物を倒したのは、ハルトだって……だから、そのぉ……」

 まとまらない言葉を、思いついた傍から口にしている言葉の羅列。それゆえに判る。この人はハルトに、エキドナに助けを求めていた。

「……助けて、くれないか? うちの奴が、今にも死にそうなんだ……」

 男の言葉と同時。自分の中に、自分のものではない心の動きを、ざらつく何かを感じた。

『……エキドナ?』

『勝手なことを。私には関係のないことだ。おまえたちが私になにをした。おまえたちはただ自分が助かりたいがために、私を戦いの場に送り出しただけではないか』

 急激に、お湯が沸騰したように心が沸き立つ。それも、ごぼごぼと沸き立つ煮え湯だ。

『おい、エキドナ。どうしたんだ?』

『それがなんだ? 戦いが終われば、今度はその戦いの後始末まで私にさせるつもりか? 魔石を売った金だけではまだ足りぬと、そういうことか?』

 お湯はなおも温度を上げ、それこそ火がついたように熱くなる。

『落ち着けっ、エキドナっ』

『おまえたちは何もしないくせに、上手くいけばその成果はすべて自分たちのもので、失敗すれば、それはすべて私の責任かっ!』

 なおも激情は収まらず、ついにはマグマが吹き出すように爆発する。

 そう思えた刹那。

「ハルト、兄ちゃん……?」

 そっと触れられた右手から、急激に熱が逃げていく。

「なんか怖い顔してるけど、大丈夫か?」

 そんな心の動きは、激しくなる時以上の速度を以て実感させられた。

「もしかして、本当はまだ、どこか痛いんじゃないのか?」

 エキドナが激情するまで2秒ほど、平常心を取り戻すまで1秒とかからなかった。

 エキドナは一つ、大きく深呼吸する。

「大丈夫だ。少し緊張しただけだ。そんな状況になってるのに、ずっと寝ていた自分が少し恥ずかしくなっただけだ」

 少年の頭に、ぽんっと片手を無造作に載せた。

『エキドナ?』

『……悪いが、今はなにも言わないでくれ……私も、少し混乱している』

「すぐに行こう」

「お、おおぅ……」

 ハルトの返事に、男は目に見えて口角を上げ、目端に少量の涙を浮かべた。

「俺になにができるか判らない。けど、すべてを決めるのは、実際にこの目で確認した後でもいいはずだ」

 エキドナは一瞬、男に案内を頼む素振りを見せたが、気づくと一緒にかけ出していた。

 向かう先は、最初から理解している。

『もしかして、さっきの心の変化はハルトのものだったのか?』

 思わず意識を向けると、エキドナは小さく、けれど明確な拒絶の息を吐いた。

『いや、間違いなく私のものだ。……ただし、ハルトの記憶が混ざっていたかどうかは、私にも判然としないがな』

 しばらくの間があり、とある決意の言葉が口をつく。

『ただ、そういうことがあったから、私はきっと死んだのだろう……』

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