第8話 ハルト

 翌朝。ハルトが目を覚ますと、エキドナはすこぶる元気に動き始めた。

 まずは体の筋を伸ばし、入念にストレッチを行っている。

『……なぜ? 昨日の今日で、そんなにも元気でいられるのだ、あなたは?』

 昨日、丸一日眠っていたとはいえ、それだけの休息で体力を回復させたハルトを、

「……もう、動いても平気そうね」

 僕同様、やはりユイが呆れ顔で部屋の入り口に立ち尽くし、ぼーっと眺めていた。

 本当はもう少し休めと文句をいいたいところだろうが、ハルトの体からは魔病の痕跡である痣がキレイさっぱり消えていたため、なにも言えないでいる。

『なにを言っている。そんなの当たり前だろ。魔病の対処なんてものは、つまり魔素や魔力の処置は寝ている間に済ませていたからに決まっているだろ』

『いや、そんな当たり前みたいに言われても、僕がいた世界には魔法が存在しなかったわけだから、魔素や魔力の対処方法なんて言われても判るわけがない』

『ああ、そういえば、昨日もそんなことを言っていたな。だが魔族の存在は知っていたのだから、魔力がなかったわけではないはずだ』

 ふと部屋の向こうから、なにやらいい匂いが漂ってきた。

「起きられるなら、なにか食べたほうがいいわよ」

 呆れるような、安心するようなため息一つ、ユイがいう。覗いてみると、テーブルに食事の用意がしてあった。もちろん、ユイが用意してくれたものだ。

「おおぅ、これはありがたい。丸一日以上なにも食べていなかったから、もうお腹がペコペコだよ」

 僕はエキドナがうらやましくなる。今の僕には食事を採ることさえ許されなかった。

『僕もあれから色々考えてみたが、たしかに魔族が使う力は魔法と呼ばれていた。でもそれは忌むべき力であって、人が使う力ではなかった』

『だがキミは、魔族が発する邪悪の波動を理解していた。あれは魔力の波動だぞ』

『そうなのか? そういえば、昨日もそんなことを言っていたな。たしか障気が魔力だと』

『そうだ。魔力は力で、何者かの悪意に当てられた魔力が障気となる。そして魔族とは、その悪意の塊のような存在だ』

 エキドナは僕と会話を交えつつ、一方でユイとも器用に話す。

「昨日もいったと思うけど、魔族が持っていた魔石は売ってしまってかまわない。そしてそのお金は村のために使ってほしい。俺のことなら気にしなくていい。記憶が戻ったときに文句を言い出したら、そのときは申し訳ないけどね」

 やはりこの人は相当に頭の回転が速いと、あらためて認識する。

『悪意に当てられた魔力。それはつまり、人間にも障気を発することが可能ということか』

『もちろんだ。人間だけじゃない。この世に生きる生物、そのすべてに可能性がある。そしてこの障気に曝され続けた者は、その身も心も化物へと変質してしまうことがある』

 平然と、エキドナはそう話して聞かせた。

「わかったわ。ハルトがいうなら、私はもう何もいわない。お金は村のために、ありがたく使わせてもらうわ。あとで村長さんにも、そういっておく」

「そうしてくれると、俺も嬉しいよ」

 会話の合間にスープを啜ると、その味がダイレクトに伝わってきた。

『食べてもいない物の味がするのは、正直、少々不快な感じがするものだな』

 うす味で、あまり美味しくない。でも、今の弱った体には丁度いいと受け入れる。

『ははは、フォアグラになった気分という奴だ』

「でも、これ以上ハルトが魔物と戦うのは、私はやっぱり反対だわ」

 断固とする意志を向けられて、僕とエキドナは面食らった。魔物の大群を、延いては魔族を退けたエキドナを相手にここまで言い切れる人間なんて、そうはいなかった。

 それだけに、やっぱりこの子はいい子なのだろうと、人として好ましく思う。

『あなたが村のために使えといったお金は、そのじつ、この子のためなんだろうな』

『否定はしないが、それを口にするのは野暮というものだ』

 わずかな間があり、ハルトとエキドナは同時に首を振った。

「そういうわけにはいかない。俺が戦わなければ代わりに誰かがケガをするかもしれないし、悪くすれば死ぬかもしれない」

『だがそれは、私がそうしようと考えたわけじゃない。なぜかは判らないが、どうしようもなくそうしなければいけないと、そう思えてしまうのだ』

「そしてその誰かは、もしかしたら君かもしれない。……俺には、それが耐えられない」

 瞬間、ユイの顔が朱に染まった。口の端が、ふにゃふにゃと歪にゆがむ。

 同時に、どういうわけか自分の顔が熱くなっていくのを、否応なく理解させられた。

『……顔が熱いのだが?』

『いや、それは僕に言われても困る。というか、むしろ僕のセリフなんだけど』

『いや、すまない。なんとなく理解していたが、やはりそういうことなのだろう』

 困ったようにエキドナがもらす。

『体の持ち主であるハルトが、彼女のことを好ましく思っているということか』

『もちろん、それもある。だが、それだけじゃない』

『それだけじゃないって、まだ何かあるのか?』

『いや、なに、考えてみれば当然のことだ』

 もったいぶって、エキドナは間を持たせ、

『この体の持ち主、ハルトがまだ生きているということだ』

 確信を持って、そういった。

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