第11話 治癒の魔法
「ちゃんと説明しなかったのか?」
やや咎める口調になって、エキドナはヨハンに視線を向けた。
「ちゃんと言ったよっ。でも村長がダメだっていうから、だから俺、テーブルに置いてあった魔石を持って、そのまま逃げてきたんだ……」
少年の声は尻すぼみで、最後のほうはほとんど何をいっているか聞こえなかった。でも今の状況を見れば一目瞭然だ。なにがあったのか聞かなくてもわかる。
「さあ、そいつをこっちに返すんだっ」
ずいと右手を突き出して、息も荒いままに村長がヨハンに迫る。
少年は嫌々をするように激しく首を振って、両手に抱えた魔石を体の後ろに隠した。
「待ってください、村長さん。弟の話を聞いていなかったんですか。ドンゼさんの奥さんのケガを治すには、あの魔石の力がが必要なんですよ。それを取り上げるなんて、ミゼラさんを見殺しにするつもりなんですか?」
「うるさいっ。村を復興させるには、どうしてもあの魔石を売った金が必要なんだっ。そんなことも判らないのかっ」
擁護する姉の手を振り払い、村長は興奮して続けた。
「第一、ハルトの魔法だって怪しいものだっ。少し前までは、そんな力なんてまったくなかったじゃないかっ。体のいい嘘に決まっているっ」
大股でヨハンに歩み寄り、
「さあ、そいつをこっちに渡しなさいっ」
いって伸ばした右腕を、横から掴んだのは、けれど幾本もの男たちの手だった。
「村長、さすがにそれは無いんじゃないか?」
「そうだ。村の人間を見殺しにして、なにが村長だ!」
「はあ。呆れてものが言えないってのは、きっとこういうことを言うんだろうねぇ」
程度の違いこそあれ、そのどれもが村長を非難する内容だった。
これを見上げるヨハンは、あることに気がつき、あわてて周囲を見回した。
視界に映ったベッドの上に、しかし一人しか眠っていない。ほかに寝かされていた顔ぶれは、今や全員が自分の足で立っていた。ヨハンを守るように作った人壁、彼らがそうだ。
「ヨハンが戻ってくるまでに、ほかの四人のケガは先に治しておいたんだ」
信用や説得力は、明確な根拠と結果からしか得られない。これを見越してのエキドナの行動だった。すでにエキドナの魔法を見ていた僕でさえ、その治癒の魔法は驚きだった。
見る見るうちに傷がふさがっていく様子は、まさに圧巻の一言だ。
僕も似たようなことが別の力で行えたが、あれはその比ではなかった。
まさに魔法だ。奇蹟としかいいようがない。
これを見せつけられた村人たちの反応は、見ての通りだ。今やハルトの魔法を疑う者など、少なくともこの場には一人もいない。
「ヨハン、それをこっちに」
「あ、うん、はいこれっ」
両手で渡された魔石は、紫色の水晶のように見えた。……そう見える。でも、そこから感じられる異質な気配を、今ははっきりと感じることができた。
『これが魔石の魔力? でも、これは、なんていうか……』
『障気に近いか?』
『ああ、そうだ。……いや違う、そのものに感じる』
『そう、それで正しい。魔石の魔力は、多くの障気を含んでいる。魔族から取り出したばかりの魔石は、特にそうだ』
『取り出したばかりってことは?』
『そうだ。じきに障気は薄れ、ただの魔力の結晶体になる』
『これ以上、障気を産み出す悪しき意志が存在しないから?』
『その通りだ。やはりロレンは物分かりがいいようだ。キミは、とても優秀な生徒だよ』
『ほめ言葉と受け取っておくよ』
『誉めているさ。物分かりが悪い奴は、どれだけいっても理解しないからね』
エキドナは部屋の奥、その壁際、今もまだ寝かされている女性が眠るベッドの脇に立つ。
「おいっ、よせっ、止めないかっ。その魔石が一体いくらの価値があるかっ、おまえには判らないのかっ」
『判らないもなにも、もともとエキドナが手に入れた魔石だろうに……』
ハルトに掴みかかろうとした村長は、まわりを取り囲む男たちに取り押さえられた。
そんな村長を一瞥し、エキドナはもう一度、ロレンに向かって声をかける。
『少し、おもしろいものを見せてやろう』
魔石を両手に包むように持ち替え、魔力操作に集中する。まずは呼吸を落ち着かせ、魔石に込められた魔力に自身の魔力を交わらせた。ここに回転させるように流れを作る。
『すごい。周囲にある漠然とした魔力とは違い、なんていうか質量があるみたいだ』
僕の言葉に、エキドナがかすかに笑う。
『池とか湖みたいな感じか?』
『ああ、そうか。程度の違いはあるけど、ちょうどそんな感じなんだ』
『だが、ほんとうに驚くのは、これからだ』
宣言し、エキドナは流れる魔力から、何かを二つに分け始めた。
一つは魔力。
そしてもう一つは、
『これは障気っ!』
『悪意に質量がない以上、これを完全に取り除くには、どうしても少量の魔力と一緒に排除する必要がある』
両手がかっと熱くなり、手の中に力の塊のような何かが残る。そこから背中がむずむずするような、なんともいえない嫌な感覚だけが取り除かれていく。
そうして完全に障気を取り除いた魔石から、エキドナは今度こそ治癒のための魔力を吸い上げ、これを効率的に行使する。
淡い青色をした光が、患者の女性の全身を包み、その外傷を、そして体内で砕けてバラバラになった骨を繋ぎ、元通りの姿へと変えていった。
〈
国中を探しても五人と扱える者がいないであろう治癒の魔法、その奇蹟の体現だった。
「ふぅ~……」
長い長い吐息をし、エキドナが後ろに下がる。
そして皆が見つめる中、ベッドの上に動きがあった。もはや死を待つばかりと思われていた女性が、ミゼラさんがそっと目を開け、その首を巡らせる。
「お、おまえ、大丈夫なのかっ……」
ドンゼさんが震える両足で歩き、やはり震える両手をゆっくり前に伸ばした。
まるで壊れ物をあつかう手先で、そっと顔に触れた。
「なぁに変な顔して、みんなが見てるじゃない」
のんびりした声音を耳にして、またしてもドンゼさんは顔を涙でグシャグシャにし、
「よかった、ほんとうによかったよぉ!」
勢いよくミゼラさんに抱きつき、おいおい泣いた。
どっと上がった周囲からの歓声に反し、村長だけがまだ一人、
「わしのっ、わしの魔石はどうなった?」
歓喜に沸き立つ人壁をかき分け、この期に及んで魔石の心配をしていた。ほとんど引ったくるように、ハルトの手から魔石を奪い取る。
この時点でもう、誰も村長の愚行を止めようとすることはせず、ただただ村長を見下す視線を送っていた。
だが次の瞬間、
「なんだっ、この石はっ?」
村長はひどく調子外れな声を上げて仰け反り、勢いよくハルトを振り返った。
ハルトは気だるい動きで髪をかき上げ、その手にちらりと視線を送る。その手が青黒く変色していた。それは魔病の症状であり、その痣だった。
「すこし、疲れた……」
「そんなことは訊いていないっ。この石はどういうことだと訊いているんだっ」
眼前に突きつけられた石は、どういうわけか赤色をしていた。
「心配しなくても、魔石の価値は下がるどころか、逆に上がってるはずですよ」
ハルトの体は傍目にも、ゆらゆらと左右に揺れていた。ほんとうに調子が悪いらしい。
魔族が残した障気に当てられ、これを浄化したのが原因だろう。だが、それを理解しているのは、きっとエキドナ本人と、これを聞いた僕しかいない。
「ここにあるベッドで休んでいったらどうだ?」
先に治療した一人が、そう提案してくれたが、
「ここでは落ち着かないので、家に帰って休みます……」
力なく笑って応え、エキドナはドアへと歩いた。後ろから元気なヨハンがついてくる。
「なにかあれば、いつでもいいので気軽に呼んでください」
ドアの所に立っていたユイが、すっと手を伸ばそうとして、
「っ!」
けれど動けず、引っ込めた。
ハルトとヨハンはその脇を通り、そのまま集会所を跡にする。
ユイは、けっきょく着いてはこなかった……。
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