第2話 魂ふたつ

 目を開けると、僕は知らない部屋にいて、ベッドの上に寝かされていた。

 横から白い手が伸びてきて、額に冷たい手拭いがそっと載せられた。

 栗色の長い髪をする少女だった。キレイな顔立ちをしているが、まだ幼さを残していた。

 服装を見る限り、どこにでもいる村娘といった感じがした。

(この子が、看病してくれてたのかな?)

 微妙に呼吸が合わず、奇妙な息苦しさを感じた。体がまったく動かせないのは、あの激しい戦いを生き残った影響だろうか。

(いや、そもそも僕は、どうして生きている?)

 記憶の混濁がある。それでも間違いなく、僕は最後の言葉を覚えていた。

〈……さよならです、ロレンさま――〉

 さよなら、と。たしかに彼は、副官のライナスはいった。

 だから僕が、生きているはずはなかった……。

「あら? 目を覚ましたみたいね。思ったより元気そうで安心したわ」

 温もりのある声音で少女が語る。言葉の通り、安心しているのが判る声だった。

「もう少ししたらご飯ができるから、それまでもう少し休んでいてね」

『ここはいったい、何処ですか?』

 尋ねようとして、しかし声がでなかった。少女は水を張った桶を両手に持ち、背中を向けて去っていく。僕はそんな彼女を見ていることしかできない。

 けど、すぐに戻ってきた。

『ここはいったい、何処ですか?』

 もう一度尋ねようとして、

「もう少し寝ていたいから、食事は起きたあとにしてもらえるかな」

 先に問いた者がある。気配をまったく感じなかったから、ちょっと驚いた。自分でいうのもなんだが、僕はこれでも百戦錬磨の戦士のつもりでいた。正直、祭りに潜んだ暗殺者の吐息にだって気づける自信があった。それが打ち砕かれた心境だ。

「ふふふ。そうね、そのほうがいいかもしれないわね。それじゃあハルト、私は一度家に戻るから、何かあったら呼びにきてちょうだい」

「ああ、ありがとう。ほんとうに助かるよ。君がいなければ、今の俺は何もできないからね」

「そんな大げさに言わないの。またくるから、おとなしくしているのよ」

 小さな子供に言い聞かせるようにいって、少女が去っていく。

 僕はもう一人の声の主を探そうとしたが、やはり体が動かせない。起き上がることはもちろん、首どころか視線一つ満足に動かすことができなかった。

『……僕の体は、一体どうなってしまったんだろ?』

 あれだけの激しい戦いがあったのだから、五体満足でいられるとは思っていなかった。

 むしろ今、生きていることが不思議なくらいだ。

『いや、違うか。僕はたしかに死んだはずなんだ……』

 思考が堂々巡りを繰り返す。

「ふむ。最初は気のせいかと思ったが、どうやらそういうわけでもないようだ」

 さきほどの声が、たしかハルトと呼ばれた声が、なにやら独り言を口にする。

「意志がはっきりしていて一貫性を持っている。これを気のせいと言えるなら、私もいよいよ頭がおかしくなったというものだ。逆に安心するよ」

『なにか一人で納得しているみたいだけど、はたで聞いている分には、むしろ心配になるな』

「いや、心配するには及ばない。私は至って正常だ」

 言葉にしていない、いや声にできない僕の言葉に、その声が明確に反応した。

「不思議なことはなにもない。私にはたしかに君の言葉が聞こえているのだからね」

 にわかには信じられなかった。けれど、これを証明するのは簡単なことだと理解する。実際に僕の声が聞こえているかどうか、試してみればいいだけだった。

『僕の名前は、ロレンだ』

「なるほど、君はロレンというのだね。私はエキドナだ」

 宣言どおり、声の主エキドナは僕の声に応えて見せた。それでもまだ信じることができないのは、僕の理解力が乏しいのだろうか。

 だがエキドナは、さらに信じられないことを口にする。

「どうやら私と君は今、同じ一つの体を共有しているようだ」

『…………』

 一瞬の思考停止。ここが戦場であれば、僕は間違いなく命を落としていた。それほどまでにエキドナの言葉は痛烈であり、信じられなかった。

『いや、待て。そもそもあなたは、ハルトじゃないのか? さっきの少女が、あなたのことをそう呼んでいたはずだ』

「ああ、そうか。そうだったな。君は自分の意思で体を動かすことができないのだったな。なら、そう思うのも無理はない。私も最初は驚いたからね。君の反応は至って正常だ。でもね、私もまた、この体の持ち主、ハルトではないのだよ」

『ハルトじゃない。……いや、この体の持ち主って、一体どういう意味だ?』

「君と同じだよ。私はただ、君よりもいくぶん早く、この体で目覚めたに過ぎない」

 声の主、エキドナを名乗る何者かは語った。

「ちなみに、さっきの少女の名前はユイだ。そのユイの話を聞く限り、この体の持ち主はハルトという少年で間違いない。彼女とは幼なじみだそうだ。そしてハルトは村が魔物に襲われた時に、幼い少年、ユイの弟のヨハンを助けようとして瀕死の重傷を負ったそうだ」

『えっ? ちょっと待って? 話が急すぎて……』

「それ以来、ハルトは一月あまりも眠り続けていたそうだ」

 僕の制止を無視して、エキドナは話を続ける。

「私が目を覚ましたのは、今から三日前のことだ。そのときのハルトは、ほんとうに死にかけていた。私がいなければ、彼は間違いなく死んでいたはずだ」

 そんな言葉は、けれど、ほとんど頭に入ってこなかった。

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