第22話 昼夜の大返し
――黒煙。
その言葉が浮かぶまで、僕たちは数秒のときを必要とした。だが、その言葉が浮かんでもまだ、僕たちは正常な状況判断が出来ないでいた。否、受け入れることができない。
だって、あっちは……その方角は……。
「……カイト村が、ある……ほうですね」
聞こえた誰かの呟きに、エキドナは唾を飲みこんだ。だが、それで渇きが癒えることはなく、エキドナはただ夢遊病者のように手綱を引いて、そっと静かに馬を歩かせた。
「おい、ハルト、なにをしている。どこへ行こうというのだ」
聞くまでもない。それが判っていても聞かずにはいられなかったのだろう。
昼前からとはいえ、かなり馬を走らせた。だから、かなりの距離があるはずだ。それでいて、ここから見える黒煙が、もし本当にカイト村から立ち昇っていたとしたら、それは一体どれほどの規模の炎であろうことか。
「……なぜ、私はここにいる」
馬の足が早くなる。
「なにをいって……」
「なぜ、魔族の襲撃があると予想しながら、村を離れた……」
並足から速歩に、やがて駆け足へと変わった。
「待てっ、ハルトっ。今から行ってもっ……」
言いかけて、さすがに言葉を飲み込んだ。内容もさること、すでに距離が離れていた。
「なぜ、それが今日だった!」
馬は疲れていたが、かまわず走らせた。すでに全速、襲歩に達している。
「完全に私のミスだ。ユイに許されたと安堵し、ことの重大さを、まったく理解していなかった……」
エキドナは真っ暗闇の夜の森を、くるときの3倍の速度で馬を疾走、急がせる。
『落ち着けっ、エキドナっ。さすがに無茶だっ。馬が持たないっ』
「持たないんじゃないっ、持たせるのが私の仕事だっ」
絶叫する意志と声に、ようやく気づく。
『まさか、そんな方法がっ』
エキドナは冷静だった。その言葉の意味を理解する。エキドナは馬を走らせながら、一方でその馬の疲労を癒し、筋肉の損傷を補っていた。治癒の魔法を施している。
『でもこれは、どっちも持つのか?』それが僕には判らなかった。
だが今は、これ以上の方法がないように思えたのは、いうまでもなかった。
事実。後ろからルールカたちの気配が追従していたが、馬術なのか馬の体調の差か、徐々に距離が離れていく。
『夜の森で、よくついて来たとは思うが……さすがに、この差は余りある』
間に合うのか? いや、間に合うわけがなかった。でも今は、せめて逃げて、どこかに隠れていてくれることを祈るほかになかった。
数時間後……。
僕たちがカイト村に帰ってきたとき、辺りにはまだ人々の叫び声と、魔物たちの蹂躙が続いていた。馬はその場に崩れるよう、前のめりに倒れた。口からひゅーひゅーという息と、泡を吹いていたが(うすく血が混じっている)、エキドナは振り返りもしなかった。
そして早々、目につく魔物の群れに向かい、ありったけの魔法を叩き込む。
『本当に無茶をする』
オレンジ色の炎に照らされて、その醜悪な姿をさらしたのは、頭に二本の角を生やした鬼、オーガたちの群れだった。
エキドナは途中、さらに冷静(?)を取り戻し、馬の体重を軽くすると同時、風の魔法を使って周囲の空気の操り、馬が走りやすいように調整した。ゆえに限界のはずだ。すでに疲労困憊もいいところだ。それでもオーガを蹴散らし、敵の数を確実に減らしていく。
これでは、どちらが鬼か判らなかった。まさに鬼神の様相、その有り様だ。
「ユイはどこだっ」
倒れていた村人の襟首引っ掴み、ほとんど夜盗のようにのたまった。
「し、しらないっ。俺だって、もうダメだって、死ぬかと思って……」
泣き言と同時、男を放り捨てた。息が整わないまま、またユイを探して駆け出す。
『さすがに無茶だ。せめて息だけでも整えろ。そんな乱れた呼吸じゃ、まともに戦えない』
「うるさいっ。そんなことをいってる場合かっ」
前言撤回、やはりエキドナは冷静じゃなかった。行動は合理的だが、その過程に無理がある。ユイ以外のすべてを犠牲にしていた。これではもしものとき、正しい選択を取捨できない。
『無駄に体力を使うな。呼吸を整え、少しでも多くの魔力を確保するんじゃないのか』
呼びかけの返事は、代わりに近くのオーガが受けた。虚空に生み出す氷の槍を叩きつける。胸に氷の槍を生やしたオーガは、それでも倒れることなく持ちこたえ、さらに数本の氷の槍を打ち込まれ、ようやく沈黙した。
さっきから、ずっとこの調子だった。体力の多いオーガを一撃で仕留められない。
無駄は言い過ぎとしても、魔力の消耗が予想以上に多いのも事実だった。
(……嫌な感じがする。この行動は、ほんとうにエキドナか?)
心配をよそに、エキドナは村の集会所に足を向けた。そこは一目見てダメと判る。すでに焼け落ち、崩れていた。たった数日前には、エキドナの治療を受けて元気になった人たちの喜ぶ笑顔を見たばかりの場所だった。……それが今や、見る影もない。
エキドナは一瞬、右を見て、それから反転した。家のほうへ走り出す。
……右は、村長宅のほうだった。
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