第23話 刹那の判断
見慣れた道。けれど夜の丘を全速力で駆け上がり、エキドナは我が家へと急いだ。そうして目についた我が家は、奇跡的に無事だった。どこも壊れていない。燃えていない。
ほっと安堵したのも束の間、右手のほうに明かりが見える。ユイとヨハンの家のほうだ。その明かりが少々大きい。まだ遠目にも火の手とわかる。燃えていたのは母屋ではなく、その奥にある家畜小屋のほうだった。
近づくに連れ、むせ返るような血の匂いが強くなる。攻め込んだオーガたちが血肉を求め、家畜を襲っているのだろう。
鬼気せまるエキドナの気配を察したか、それとも食事の邪魔をされると思ったか、数匹のオーガが家畜小屋から顔を出した。なかの一匹は、片手に牛と思しき足をぶら下げている。
そこへ目掛け、エキドナは氷の槍を雨と降らせた。正面から魔法を受けた二匹が絶命し、うち一匹が半身を凍らされながら横へ跳ぶ。さらに氷の雨を降らせ、オーガは断末魔の雄叫びをあげた。だがこれは悲鳴であると同時、仲間への呼び声でもあった。
中からぞろぞろと、さらに4匹のオーガが仲間の死体を跨いで顔を出す。だがこれは外に出すことなく葬った。入り口が一つなのだから、そこを狙い撃ちにするのは常道だ。
『ここにはもう、なんの気配も感じない。母屋のほうに一つあるけど……』
言葉に、ようやくエキドナが息をつく。一度だけ大きく深呼吸し、それだけだった。それで休憩は終わりだ。またすぐに動き出す。向かった先は当然、母屋のほう。
家畜の声と匂いに釣られたか、幸い母屋はまったく荒らされていなかった。
ドアに手をかけると、当然鍵がかかっていた。エキドナはドアに向かって手をかざし、すぐに息を吐き、首を振る。さすがに気が立ち過ぎていた。少し考えれば判る……いや、そもそも考える必要もなかった。
「ユイっ、俺だっ、ハルトだっ。いるんだろっ。中にいるのは判ってるっ。早くでてきてくれっ。すぐに安全なところへ逃げようっ」
先に声をかけてから、ドアを強く叩いた。それこそ壊れる勢いで。
一瞬なんの反応もなかったが、すぐに家の中で気配が動いた。なにやら這いずる動きに思えた。小さな足音がバタバタ忙しなく聞こえ、ついでガチャガチャ鍵が外される。
そうして扉が開き、なかから飛び出してきたのは、
「ハルト兄ちゃんっ」
ユイではなく、弟のヨハンだった。ほっとしたのだろう。ヨハンはハルトにしがみつくと、わんわん泣いた。その口は壊れたように「ハルト兄ちゃんっ」を繰り返す。
気づいていた。判ってはいたが、やはり家に隠れていたのはヨハン一人だけ……。
「ヨハン、ユイは、ユイはどこだ? ユイはどうしたんだ?」
あまりに激しすぎる動揺は、やはりエキドナではなくハルトのものだろう。しがみつくヨハンを引き剥がそうとして、テコでも離れまいとするヨハンに苛立ちを募らせる。
「ヨハンっ。ユイはっ、お姉ちゃんはどうしたんだって聞いてるんだっ」
ほとんど絶叫するように問うと、ヨハンはびっくりして体を震わせた。
「怒鳴らなくてもいいだろっ。だって、ハルト兄ちゃんが悪いんだろっ。こんなときにどこかに行って、家にいなかったからぁ~っ……」
痛いところを突かれた。エキドナは頭を鈍器で殴られたようによろけ、たじろぐ。
「……っ」
言い返そうとして、なんとか堪えたのは、こちらはエキドナのおかげかもしれない。
すぐにヨハンを抱き上げ、外に飛び出した。ヨハンは一瞬怯えたが、それでも離されまいとして首にしがみつく。ヨハンは体中、顔まで煤と灰にまみれていた。どうやら暖炉に隠れていたらしい。なかなかいい判断だ。あそこはいくら掃除しても、さまざまな匂いにまみれている。これなら匂いを頼りには探せないはずだった。
「ヨハン。この村はもうダメだ。ユイを連れて脱出するぞ」
「え? でも、村のみんなは……どうするの?」
子供ながらに理解していた。ハルトは、エキドナは村を見捨てようとしていた。
「見かけた人がいたら、ついてくる気がある人は連れて行く。でも、それ以外の人は、俺にも判らない。そもそもどこにいるか、生きているのかも判らない状況だ。どうしようもない」
ヨハンは、なにも答えなかった。でも理解はできるのか、ハルトの服をきゅっと掴む。
「姉ちゃんは、村長の所に行ってくるって言ってた。……でも、全然帰って来なくて」
(村長の所っ)
びくりっ。体が反応したのは、あの時の一瞬の判断をミスと後悔したからか。
だが、そうすると。そのあとヨハンを助けられたかどうかは疑わしかった。
あらためて戻った村を目にし、エキドナは今更のように顔をしかめた。
「…………っ」
ヨハンは無言で息をのみ、顔を埋めるようにハルトに体を預け、しがみつく。
通りのあちこちを、おぞましいほどの数、無残に引きちぎられた、人の死体が覆っていた。なかには数体、オーガのものが混ざっていたが、ほとんどはエキドナが倒したものだ。
炎と煙に包まれた村のなかを、エキドナは村長の家までの最短距離をひた走り、途中で目につくオーガに向かい、魔法の雨を降らせた。これで相手が逃げ出せば深追いはしない。
「すげぇ、これが魔法……」
ふいと聞こえた呟きは、深い尊敬の念に満ちていた。
ほどなく辿り着いた村長宅は、なかば焼け落ち、なかば半壊していた。周囲にはオーガが群れを成し、その中心には二回り以上も大きなオーガが立っていた。
その群れの中心に、ユイはいた……。
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