第24話 焦燥と本意

 焼け落ちたわけでなく、強い力で破壊されたと思しき崩れた壁の向こうに、村長宅に避難しに来ていたと思われる身を寄せ合う幾人かの姿が見えていた。

 その傍らに、壁の下敷きになって倒れている人影が見えた。

「……た、助けれくれ……」

 でっぷりとした体格と、ヒキガエルのような潰れた声は、けれど村長のものだと、すぐにわかる。エキドナは一瞬視線を向けただけで、すぐに興味を失った。

 今は、そんなことより何よりも、

「姉ちゃんっ」

 ひときわ巨大なオーガに鷲掴みにされる、ユイのほうが先決だった。だらりと垂れ下がった右腕が、あらぬほうを向いている。完全に潰され、折れていた。足は両方ともに異常なほどに間接の数が多い。この距離では生きているかどうかも怪しく見える。

「っ」

 刹那、エキドナが息を呑むのが判った。

『待て、エキドナっ!』

 止める暇もあらばこそ、ヨハンを放り出してエキドナが走った。

 周囲にあるオーガが大挙して押し寄せてきたが、

「邪魔をするなァ!」

 組んだ両手を左右に開き、一撃の下に吹き飛ばした。だがエキドナは、そんな一瞬の失速も考慮せず、さらに走って巨大オーガに肉薄する。

 巨大オーガは手にする金棒を横薙ぎに振るい、

「ガアァァァァァァァァ~~~~っ!」

 エキドナは片手を地面について、身を低くしてした。右手を突き出し、ユイを掴んだ左腕に叩き込む。直接魔法を叩き込まれた腕は吹き飛び、千切れ飛んだ。

 放り出されたユイは、エキドナが難なくキャッチする。

 そんな小さな衝撃にさえ、

「……っ」

 ユイは苦痛を訴え、か細く震えた。だが、まだ生きていた。

「ユイっ。俺だっ、判るかっ。ハルトだっ」

 何度も呼びかけるハルトの声に、やがてユイは薄く目を開いた。

「……ハル、ト……っ!」

 しかし見開かれたその目は、色濃い絶望が浮かんでいた。

「?」声を上げる間もなく、どっと全身を強く叩いた衝撃が突き抜けていった。

 ついで感じた空気の壁を貫く感覚に、エキドナは目の前にあるユイの体を両腕に庇い、そのまま壁に挟まれ、潰された。肺から空気がすべて抜け、それに留まらず血を吐いた。

 右腕、右肩、右側の肋骨すべて……つまり右半身が潰された。血を吐いたのは、折れた肋骨が肺に刺さったためだった。

「……ユイ、っ……無事、か……?」

 それでもなお、我が身よりユイの身を案じた。

「…………」

 だがユイはなにも答えず、身じろぎ一つしなかった。それでも微かに視線を動かしたのが、かろうじて確認できた。

 エキドナは気づかなかったが、僕は何度も呼びかけていた。さきほど腕を吹き飛ばした巨大オーガが……いや、オーガとトロルのハーフが迫っていたことを。

 ここまでくると迂闊では済まない。ただの怠慢、生存の放棄といって差し支えなかった。

 だがそんな無様を、あのエキドナが曝すとはとても思えなかった。どう考えても別の要因、ハルトの仕業としか思われない。

 オーガトロルの切断された腕の断面が、ボコボコと血泡を立てて再生していた。痛みより、手首の欠損を気にする様子で、落ちた腕と傷を不愉快そうに何度も見比べていた。

『立てっ、立つんだエキドナっ。敵が来てるっ。あのオーガトロルの攻撃をもう一度食らったら、さすがにマズいぞっ。これ以上の攻撃には、ハルトの体じゃ耐えられないっ』

 ようやく声が届いたか、エキドナはもぞもぞ身じろぎした。が、それだけだった。それ以上は起き上がるどころか、身動き一つ取れないでいる。

『……ダメだ、体が……動かない……力が、入らない……』

『それでもだっ。それでも動けっ。いま動かなかったら、もう後はないぞっ。最後まで諦めるなっ。こんなところであなたが死ねば、いったい誰がユイを助けるんだっ』

 いわれなくても判っていた。ここまでの無理が祟っている。肺を潰される以前に、満足に呼吸を整えて来なかったツケが、ここにきて大きく尾を引いていた。

「……くっ」

 満足にできない呼吸で少量の魔素を得ても、これを魔力に変換できないでいる。傷ついた我が身を、治癒の魔法を使って癒すことができない。

『まさか、こんなところで……もとの体なら、こんな奴にはっ……』

 エキドナは最後まで諦めなかったが、それでも踏ん張れば踏ん張るほど血反吐を散らすだけで、それ以上のことは何もできない。

 腕の再生を終えたオーガトロルが、その新しい手の感触を確かめるため、何度も握っては開く動作を繰り返した。これに満足すると。憎き敵、エキドナを振り返った。

 大きく鋭い牙を剥き出しにして、おぞましい狂気の相貌で、大股開きに近づいてくる。

『頼むっ。頼むから動いてくれっ、エキドナぁ~っ』

 希望に縋り、僕は何度も懇願の咆哮をあげたが、これが叶えられることはなかった。

『……すまない、ロレン……どうやら私は、ここまでのようだ……』

 そんな諦めの言葉と同時、大上段からは金棒が振り下ろされた。

『エキドナぁ~~~っ!』

 僕とエキドナは揃って、全身を強く叩いた貫く衝撃と、バキバキと音を立てて硬く砕ける音を耳にした。

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