第21話 暗雲、危急を告げて
春が深まり、夏へと向かって過ぎ行く季節の森を、ハルトは馬に跨がり駆けていた。
前を走るのは若き騎士ルールカと、従者が一人ライナスだ。後ろからもう一人、エキドナの動向を見張るように追走する従者ベルガンがいる。
村に来るときには、最近できたばかりという大通りを歩かせてきたが、以前はこっちが使われていたそうだ。おまけに時間も早く着くという。
「それはつまり、村に来るのは、ゆっくりでもよかったという意味か」
尋ねたが、誰も答えを返さなかった。都合が悪い質問は聞こえない、聞こえなかったフリをするのが流儀らしい。なんとも都合がよさそうな耳である。
エキドナはエキドナで、正体を明かしたからか取り繕う言葉遣いを止めていた。
「村への派遣の件は、忘れてないでしょうね」
これを聞かなかったフリをされるのは、さすがに看過できない。契約の不履行は即時、暴動の始まりと理解してもらいたい。
「そちらは大丈夫だ。なんとかする。最悪私兵を派遣してもいい。さすがに常時というわけにはいかないが、近くあるはずの一度を退けさえすれば、最初に提示した条件でもいいというのであれば、多少の無理は通してみせる」
「だが、どうして一カ月と断言できる」
後ろからベルガンの声。
「それ以上遅くなるようなら、最初からそこまで執着がなかったということだ」
「なるほど。大きな街なら、それなりに強い戦士もいる。だから撃退されても不思議はない。でも、これが小さな村だと、そこには無名の強者がいたはずだ。そんなところですか」
まさにその通りだった。エキドナは頷いた。どうやら一行のなかで一番頭が切れるのは、ライナスのようだ。ほかの二人も彼の知識や見識を、とても頼りにしている。
「だが、兵を派遣するにしても、それなりに時間がかかる。色々と準備が必要だからな。そのためにも少し先を急ぐぞ」
急遽エキドナの出立が決まり、そのぶん遅れたわけだが、並足なら十日かかる距離を二日で走破しようというのだから、土台無茶な話だった。下手をすれば馬が潰れてしまう。
「ここの峠を越えた先に、小さな村がある。今日はそこで休ませてもらおう」
「そういったことは全部お任せします。なにせ私は村から出たことがないどころか、この世界そのものに疎いようだ。……それにまず、金銭の持ち合わせがなくてね」
「ははは、旅費は気にするな。さすがにそこまで落ちぶれていないぞ」
「助かります」
あまり他人にいうことではないが、ハルトは本当に持ち合わせがなかった。自給自足の生活をしていた、といえば聞こえはいいが、正直心配になるくらいだ。この世界の物価は判らないが、何もしなければ一月分の蓄えもなかった。
『危うく、ユイのヒモになるところだったわけだ』
言い方は悪いが、事実なので何も言えない。ユイが甲斐甲斐しく通ってくれた理由が、今更のように身に沁みて判る気がした。
村に辿り着いたのは、日が暮れて、ようやくだった。
辺りは、すっかり暗闇に覆われている。……そう、真っ暗だ。明かり一つない。
「これは、酷いな……」
村は完全に滅びていた。周囲からは焦げた匂いが消えていたので、もうずいぶんと以前に焼け落ちたことが判る。それでいて近寄れば、かすかに匂いが漂ってきた。
「一週間ほど前か……ここは、どういった村だったのだ?」
見渡す限り、やはり明かりは見えない。生存者がいれば、襲撃のあとに暗闇は耐えられないはずだった。すでに移動したか、そうでなければ……。
「申し訳ないが判らない。私もこっちに来たのは初めてだ」
声から、はげしい動揺が伝わってくる。それでいて忙しなく、急激にキョロキョロと周囲を気にし始めた。
「ここはカイト村と同じような村です。百人ほどの人がいて、その日の糧を得るために暮らして、いました……」
ライナスも動揺していたが、こちらは言葉を選ぶくらいの余裕は見られた。同時に、僕たちは自分たちがいた村が、カイト村ということを初めて知った。
『周囲に気配を感じない。敵もいないが、おそらく生存者もいないはずだ』
『そうか』心の中で相槌を打ち、エキドナは手綱を操り、馬を歩かせた。
「おいっ、どこに行くんだっ。あまり動いては危険だぞっ」
慌てて追いついてくるルールカは、言葉の通りの意味じゃなく、単純に怖いのだろう。
だがエキドナは聞かず、我が道を進んだ。そして見つける。見るも無残に潰された。身体のあちこちを引き裂いて殺された。……村人たちの亡骸を。
「魔物の仕業ですね。オーガかトロル、あるいは両方。とにかく力が強い何者かの仕業です」
後ろからライナスの声。エキドナは頷いた。
「どうやら、そのようだな。あたりに魔族がいた痕跡はない。雑魚の寄せ集めか、あるいは野良の魔物だろう」
ルールカがおそるおそる覗き込み、これを目にする瞬間息をのみ、手を口に当てて吐くのを堪えた。村に着いたときから気づいていたが、彼女は心構えはともかく実践経験が乏しいようだ。……あるいは、ゼロかもしれない。
「なぜ、ここにいると判った」
周囲への警戒を怠らないまま、ベルガンが問う。
「私は魔力の反応を追った過ぎない」
「魔力の反応だと?」
『人は死んだ後に、魔力を発するのか?』
「ある意味正しいが、正確には少し違う。人の魂は魔力でできているのだ。だから人は死ぬと周囲に大量の魔力を発散させる。魔族は、これを求めて人を殺すのだ」
『魔力とは、ただ世界に溢れているわけじゃないのか?』
『当然だ。この世に対価なく発生するものなど、なに一つ存在しない』
「そうなのですか? 私はてっきり魔力というものは、この世に存在する大樹〈世界樹〉から生み出されているものとばかり思っていました」
「大筋では間違いではない。ライナスがいうように世界に溢れる魔力の多くは、世界樹によって世界の中心から汲み出されている」
それはエキドナがいた世界の話か、それともこの世界の話か。
だが、その世界樹もまたエキドナの認識では一本しかなく、ルールカたちは世界に七本あると確信していた。そしてその七本は、すでに確認されて在るという。
それからしばらく。一行は村を歩き回り、雨露を凌げる建物を探したが、ようやく見つけたあまり倒壊していない建物の中は、けれど魔物から逃れたであろう村人たちが大挙して押しかけ、そこに隠れていたらしく、外にも増して酷いありさまだった。
この惨状には、さしものルールカも堪えきれず、胃の中の物をすべて吐き出した。
「……かわいそうだが、埋葬するのは後回しだ。私たちだけでは人手が足りない」
ひとしきり吐いてしまうと、彼女は息も絶え絶えに、今度は言葉を吐き出した。
そして、エキドナのほうを振り返り。
「………………」
声もなく、そのはるか頭上を見上げた。そのまま固まってしまう。
「……あれは、なんだ?」
ようやくこぼした呟きに、
『?』
その場の全員が同じ表情で固まり、振り返ると同時、再び固まった。今度は驚愕の表情で。
そこに、あたかも天と地を繋ぐかのような一筋の、巨大な闇の柱が昇っていた。
だが、それは近くない。
はるか後方の彼方、森の奥へと続いていた。
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