第20話 迎合と決別
「返事を待つ。いつまでもだ。いつ来てもらってもかまわん。たとえそれが、断りの返事だったとしてもだ」
そんな男前な言葉を残し、ルールカたち一行は村長宅へと引き上げていった。
寂しいくらい静かになると、当然のようにユイのことが思われた。すべてを話した以上、もう後には引けなかった。エキドナも承知らしく、『逢わないことには話にならない』そういって家を出た。向かう先はすぐそこ、隣にある幼馴染の家だった。
『話す内容は決めているのか』尋ねるが、返事はない。
見慣れたはずの、まったく知らない人の家。薄い扉をノックすると、家の中で気配が動いた。しばらくするとドアが開き、中からユイが顔を出す。
不安げに揺れる瞳が、刹那の期待のあと、ふと影を潜めるのが判った。ついで見えたのは、小さな警戒。心のどこかで、まだ訪れたのがハルトであると思い込みたいのだ。
しばし互いに見つめ合い、どちらも何もいわなかった。
「……いつ行くか、もう決めたのですか?」
どこか硬い声には、いつもの気安さがなかった。違和感こそあれ、それでも心を許していたのだと、今更のように理解する。
「いや、正直決めかねている。今すぐでもいいし、来月でもかまわない」
心のうちを正直に伝える。それが最低限、最後の礼儀であるかのように。
「すべてはユイのことがあるからだ。ハルトを助けたのはいいが、その結果ユイを不幸にするというのなら、私はきっとロクな人間ではないのだろうと、そう思うばかりだよ」
ユイは小さく笑った。
「うぅ~ん、どうなんでしょうね。私には判りません。本当にその通りだと思う一方で、ハルトが死んでしまわなくて本当によかったって、そう思ってもいるんです」
こちらもまた気遣いなどなく、心のうちを吐露する。
「そう。ハルトは生きている」
エキドナは笑顔で応じた。ユイは小さく頷き、これを受け止めながら、
「でも、今は目覚めることなく、深い眠りに就いている」
目を伏せ、嘆くように呟きをこぼす。そして顔を上げた。
「ハルトは、いつになったら目を覚ましますか?」
「それは、私にも判らない。本当に……」
「ハルトが目を覚ましたら、あなたはどうなるの?」
「それも判らない。もしかしたら、そのまま消えていなくなるかもしれないし、心の中に残り続けることになるかもしれない」
『ロレンと同じように……』とは、心の中だけで続けた。
「もし残ったら、そのときは、ハルトはこのまま魔法が使える人になるんですか」
「いや、そうはならないだろう。仮に私の知識が残ったとして、あるいは私が教えたとして、実際に力の使い方を理解しないことには不可能だ。それには相応の時間が必要になる」
「そう、ですか」訊いておきながら、たいして興味もなさそうに同意する。
それからまた短くない沈黙が続き、
「……旅に、出るんですよね」
ようやく本題を切り出した。
「ああ、そうだ」
「なら、その旅の途中でハルトが目を覚ましたら、そのときはどうするの?」
「どうもしないさ。そのときに決めるのはハルト自身だ。おそらく私にはどうすることもできない。指一本、視線の一つだって動かせなくなるはずだ」
『ロレンと同じように』とは、やはり心の中だけで付け加えた。
「でも、そんなことになったら、ハルトはちゃんと帰って来られるのかな」
「きっと、なんとかするはずだ」
「なぜ、そう言えるんですか?」
「大丈夫だ。村に帰るため、ユイの元に帰るため、ハルトは一人でも帰ってくる。今更こんなことをいっても信じてもらえるとは思わないけど、これまでにも何度か、ハルトの意志で無理やり動かされたことがある。そしてそれは、いつも決まってキミたち姉弟がかかわっていた。ハルトは意識のない状態であっても、常にキミたち姉弟のことを気にかけていたんだ」
「もちろん、私としては非常に迷惑な話だが」大げさな身振りを交え、そう付け加えた。
ユイは小さく笑い、エキドナも微笑を浮かべた。
「…………」
「…………」
気まずくはないが、沈黙が続くと微妙な空気になる。ユイが何かを言いたそうにしているのが判っていたが、エキドナからは訊かなかった。気長に、いってくれるのを待つ。
どれだけ時間が経ったころか、ようやくユイは口を開いた。
「……私は、ハルトが帰ってくるのを待っていてもいいのかな?」
「それを気にする必要はない。ユイの人生はユイのものだ。ほかの誰かに強制されるものじゃない。待ちたければ待てばいいし、ほかにいい人ができれば乗り換えたってかまわない。そもそもユイとハルトは、べつに付き合っていたわけではないのだろう」
そんなエキドナの物言いに、ユイはきょとんとする奇妙な表情を浮かべた。
「ロレンさんは、誰かを好きになったことがないんですか?」
「なぜそう思う?」
疑問符つきの応答は、僕とエキドナがまったく同じ見解だった。
「なぜって、ふつうは自分が好きな人には、自分だけを好きでいてもらいたいものじゃないですか。それなのに、ほかの人を好きになってもかまわないなんていうから」
「そうはいうが、ほかの誰かのほうがキミを幸せにできるなら、そっちのほうがいいだろう。そうであるなら、私はユイの相手がハルトである必要はないと考えている」
僕もまたエキドナと同じ意見なので、これを奇妙といわれるのは心外に思う。
ユイはもう一度きょとんとする顔をしたあと、ふっと優しく微笑んだ。
「ロレンさんは、やっぱり悪い人じゃない。ううん、きっといい人なんだと思います」
「なんだそれは? それに、いい人というなら、ユイのほうがずっといい人じゃないか。いくら弟の命の恩人とはいえ、ずっとハルトの面倒を見ていたのだからな」
ユイの顔が、ぼっと音を立てそうな勢いで赤くなる。
「それはっ……、私にも、色々ありますから……」
「その色々を、いつかハルトに聞かせてあげてほしいものだ」
「いや、だから、そういうんじゃないですってばぁーっ」
エキドナが笑い。むくれていたユイも、やがて機嫌を直して笑顔になった。
そんな彼女の笑顔を見て、僕は胸につかえていたものが全部、すとんっと落ちた気がした。最近の気まずかった気持ちが全部、わだかまりなく平穏になる。
だからだろう。エキドナの心は、この瞬間に決まった。
「出立は、この後すぐにするよ」
そのほうがいい。僕もそう思う。このまま一日先延ばしにするだけで名残惜しくなる。
「本当は、このまま村に残りたい。ユイと一緒に暮らしていたい。そんな気持ちも少なからずある。でもやっぱり私には私のやるべきこと、やらなければいけないことがある」
「それが、自分探しの旅ですか?」
そういわれると、なんともお気楽に聞こえるが、実際には自分が魔王エキドナの魂であるかどうかを確かめる旅だった。お気楽とは真逆の位置にある。
「一年ほど、ルールカの世話になろうと考えている。何かあれば、いつでも尋ねてほしい。仕事よりもなによりも、ユイのことを優先するよ」
そこで旅費と同時に、村への、ユイへの恩返しという名目の資金を稼ぐつもりでいた。
「あー、そういえば、そういう話でしたっけ?」
「まあ、そうなんだが。その間にハルトが目覚めたら、ホントにいい笑い者だな」
「それはそれで歓迎します」
そういって笑ったユイは、本当に心から笑っているように見えた。こんなことなら、もっとはやく打ち明けていればよかったと、そう思う。
そしたもっと、こう……ついで浮かんだ思惑は、心の首を振って否定した。
そんな未来は、最初からあり得なかったと考え直す。今の僕たちの関係は、ハルトが死んでいた未来と、エキドナに翻弄される未来のどちらかしかあり得なかった。
そして、そんな理不尽の二択にもっとも翻弄されたのが、いま目の前にいる少女ユイにほかならなかった。
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