第41話 決意

 城の廊下は今、常時ではあり得ない騒ぎにひっくり返っていた。武装する兵士たちが引っ切り無しに右往左往していた。城といわず街中から、ありったけの弓矢をかき集めている。

 エキドナも出撃の準備をするために一度、部屋に戻ろうとしたところ。

「これが最後になるかも知れないので、ハルトにはいっておきたいことがあります」

 後ろから近づいてきたライナスに呼び止められた。振り返ると、いつになく険しい顔をしている。無理もなかった。これからアークデーモンと一戦交えなくてはいけないのだ。これが最後と思っても仕方ない。

「言いたいことがあるなら戻ってから聞くぞ。縁起でもない」

「できればハルトには、この城に残ってルールカ様の面倒を一生見てもらいたいのです」

 歩きながら、ライナスはかまわずいったが、エキドナは間を置かず掌を見せた。

「いや、ふつうに嫌だけど。いきなりなにを言い出すんだ、キミは?」

「そこはもう少し躊躇うとか照れるとか、顔を赤くするとか、あると思うのですが?」

「いや、だって、どう考えても無理があるだろう」

「たしかに無理はあると思います。ただでさえハルトはふつうの人ではなく、ハルトの体に入った別人の人格です。おまけにルールカ様のご実家は騎士であり、さらにハルトはユイさんという女性を亡くして日も浅く――」

「ああ~、いや、ハルトのことは事実だし、ルールカの実家のことも興味はない。さらにこの場合ユイのことも関係なくてだね」

「では、ルールカ様の一体なにが不満だというのです。私がいうのもなんですが、ルールカ様は見た目だけなら、かなりの美人です」

「キミ、けっこう酷いことを平然というねぇ……」

「そんなことは、この際どうでもいいんです。それに今後、ハルトがこの世界で生きていくなら、この手の問題はどの道避けては通れない話のはずです」

『かなり強引だけど、ライナスなりにルールカを思っての発言なんだろうな』

『どの道避けて通れないといったが、それはむしろルールカのほうの話だと、私は思うのだけどねぇ』

『それはそれ。なんにしても、ライナスは主人思いの忠実な従者だと僕は思うよ』

『他人事だと思って、勝手をいってくれる』

『まあ、ここは誠実に、一番判りやすい言葉でいってあげればいいんじゃないか』

『本当に勝手をいってくれる』と、エキドナは同じ言葉を繰り返した。

 立ち止まって、大きく息を吐いた。

「わかった。ルールカのことは引き受けてもかまわない」

「本当ですかっ」

 ライナスは表情を明るくした。食い気味に身を乗り出す。が、話には続きがあった。

「だがその場合、私がこの城に留まるのではなく、ルールカが私の旅に付き合うのが条件だ。これが受け入れられないなら、この話は二度としないでくれ」

「いやっ、ですが、それは……」

 ライナスの申し出は、あくまで騎士ルールカを思ってのものだ。その前提が崩れるのは望んでいなかった。

「そもそもライナスは、あまりに大きな勘違いをしている」

 まずそれが気に入らない。エキドナはそういうが、こればっかりは無理もなかった。そもそもエキドナは、そんなこと一言もいわなかった。それは僕に対してもそうだ。

「……勘違い、ですか?」

「そうだ。勘違いだ」

「えっと、それは……どういうことでしょう?」

「いいか、ライナス、よく聞きなさい。そもそも私は――女だよ」

「………………」

 声もなく、ライナスの口が徐々に開いていく。そのまま呆然と塞がらなくなる。

 僕は笑いを堪えるのに必死だった。見た目が完全に男のハルトの体である以上、これを判断する材料はどこにもなかった。僕はエキドナの声を聞いていたから、すぐにわかった。名前のエキドナから判断することも可能だが、これを名乗ったことは僕以外には一度もない。

 ……唯一、ユイの最後を除いては。


 準備を整えたエキドナとルールカたち一行は、打ち合わせて城の中庭で顔を合わせた。

「……大丈夫か、ライナス?」

 放心状態、冷めやらぬ従者を気遣い、ルールカが声をかけたが、彼は「あ、いえ、はい、大丈夫?です……」と口を開くだけで、ほとんど言葉にならない返事をした。

「しっかりしてくれ。北のアークデーモンを担当するのは、おまえの役目なのだぞ」

 魔道純銀製の武具を持つ者の中で一番の強者というのが、主な理由だった。だがもし、僕が非情に徹する責任ある立場の人間なら、北には足止めの“駒”を配置し、その間に僕が南のアークデーモンを倒し、そこから翻して北のアークデーモンを討伐する作戦を選択しただろう。そして同じ理由から、ライナスたちを東西の魔族に当たらせるのだ。

 だが、できない。僕たちにそんな権限がないのはもちろん、あまりにも弱いからだ。いくらハルトが強くなったとはいえ全盛期、元の体から見れば、あまりにもひ弱すぎた。

「わかっているとは思うが、無理はするな……というのも、相手がアークデーモンでは無理な話だ。それでも無理と無謀は違うのを忘れるな。おそらく向こうは油断している。人間に魔族を倒せるはずがないとな」

 だが有史以来、魔族を倒した英雄の話はそれなりにある。魔王を討伐した勇者然りだ。

「だから勝機があるとすれば、それは初撃だ。そこに全身全霊を持っていけ。そして今、そうしてさえアークデーモンを倒せるとしたら、ライナス、おまえしかいないと理解しろ」

 告げると同時、エキドナのもとに鎧をつけた一頭の栗毛馬が連れてこられた。

「おお、ダンタリオン。元気だったか?」

 手を伸ばすと、馬は自分から顔をこすりつけて甘えた。あの日の夜、エキドナの無茶に応えてカイト村まで駆けつけてくれた、例の馬だった。見ての通り、今ではすっかりエキドナの愛馬となっている。その体つきが、ほかの馬と比べて一回り大きい。筋繊維は破壊と再生を繰り返すことで発達するからだ。

「また生きて会おう」

 ルールカは馬上の人となった。

「別れは寂しいかもしれないが、死に別れるよりはマシだからな」

 それはこっちの台詞だ。そう言おうとして、エキドナは違う言葉を送る。

「また会おう。だから絶対に死ぬな」

 返事を受けて、ルールカは馬を走らせた。

 ライナスを見ると、彼はなにやら悩んでいた。

「ライナス。ケガは私が癒してやる。だから絶対に勝てっ」

 景気づけに一発、背中に平手を打ちつけた。その手にじんわりと痛みが広がり、衣服の下に着込んだ魔道純銀製の鎖帷子の頑強さを噛みしめる。

「もし初撃を外したら、そのときは相手が思いも寄らない行動でも取ってみろ。もしかしたら新しい隙を見つけられるかもしれないからな」

 その一撃で吹っ切れたようだ。

「この戦いが終わったら、もう一度ルールカ様のことで話があります。そのときは覚悟しておいて下さい」

 そういってルールカを追いかけていった。

「悩んでたのは、そっちなのか……まだ諦めてなかったのか、あいつは?」

 最後に、ゆっくりと馬を歩かせて、ベルガンが近づいてきた。

「お主には嫌な態度を取ってきたが、この通りだ。今回は頼む。お主の力を貸してくれ」

 馬上で深々と頭を垂れた。

「いわれなくても尽力するが、一体どういう風の吹き回しだ。ルールカからなにか注意でもされたか、それともライナスかな」

「そうではない。いや、それもある……だがまさか、女とは思わなかったのでな」

 ふふっと鼻で笑うと、『ロレン?』エキドナに睨まれた。もちろん心の中で。

「見ての通り、今は男の体だ。気づけというほうが無理がある」

「そういってくれると助かる」

「いや、だが許さん」

 エキドナは半笑いの顔でいった。

「だから、ルールカとライナスをおまえが守れ。そして三人揃って戻ってきたときに限り、これまでのすべてを水に流そう。おまえの一番の罪は、私に対して辛く当たってきたことじゃない。それを理由に強くなる機会を逃したことだ。いかにロレンの師事を仰ごうと、その時間はあまりにも短かった。自分で探せば時間がかかることも、人から聞けば数秒で終わることもある。その意味をもっとよく考えるべきだった」

「……耳が痛い」

 ベルガンが痛み入る。

「ルールカの手前いわなかったが、ライナスはかなり無茶をする。おそらくアークデーモンを倒したあとは、自分では動けなくなるはずだ。だからそれを、おまえが拾い上げろ」

「負けるとは考えないのだな」一瞬そんな顔を見せたが、目を伏せ、顔を上げた。

「必ず二人を連れて、三人揃って帰還すると約束しよう」

 その顔にはもう一切の迷いはなかった。

「……あ。それから、もう一つだけいいか?」

 だがエキドナは、そんなベルガンの顔に迷いを蘇らせる一言を、お願いした。

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