第15話 ルールカ

 下げた頭を戻したとき、今度はエキドナがわずかに驚いた。ずっと男だと思っていた相手が、その騎士が、女性だと判ったからだ。年はハルトやユイ、ライナスと同じくらい。どこか幼さを残している。ぴんと背筋を伸ばして姿勢がよく、騎士としてよく鍛えていた。

「ふむ。どうやら馬鹿ではないようだ」

 素性を言い当てられたにもかかわらず、まったく動揺した素振りを見せない。あるいは、ほんとうに気にしていないのかもしれなかった。

「もういいぞ、ベルガン。くだらないことに付き合わせてすまなかった」

「いえ、ご期待に応えられず、申し訳ありません……ルールカさま」

 ベルガンと呼ばれた男は力なく立ち上がり、その席を若き騎士に譲った。

「気にすることはない。ただの私の気まぐれだ」

 入れ代わり、少女が空いた椅子に腰掛ける。

「仮にこの男が、ハルトとか申す者が気づかなかったとして、それだけのことだ。それでなにかが変わることはなかったのだからな」

 あまりに包み隠さない物言いに、僕はつい思ったことをエキドナに告げてしまう。

『エキドナが指摘しなければ、彼女はこのままやり過ごすつもりだったのだろうか?』

 これをエキドナが、勝手な解釈で曲解し、さらに少女に伝えてしまう。

「ほんとうに、そうでしょうか。少なくともそうであれば、私はルールカ様のお声を拝聴する機会を賜れなかったことになります。ですから、これは望外の喜びと言えるでしょう」

 一瞬のきょとんとした沈黙があり、ルールカは、ふふふっと声にして笑った。

「おもしろいことを申す。だが違いない。本来ならなかったはずの私とそなたの縁が、これで繋がったのは事実……まあ、その縁を断とうとしたのは私だが」

 もう一度からからと笑った後、ルールカはじっとハルトを見据えた。

「では、いま一つ問おう。いま私が思っていることを当ててみせろ。もし当たっていれば、この魔石を多少ではあるが高く買い取ってやろう」

 さらに、からかう口調をエキドナに向ける。

「だが違っていれば、そのときは、そなたは私と一緒に城に帰り、一生私の役に立ってもらう」

 体のいい勧誘だ。だがエキドナは両手を広げ、ゆっくりと首を左右に振る。

「それでは私に有利すぎます。どちらにしろ損をすることがありません」

 ぷっと吹き出して、ルールカは年相応に笑った。

「違いない。では、おまえは私の従者となるということでいいな」

 一転、にやり嫌らしく笑う。だがエキドナは、もう一度ゆっくり首を振った。

「ですが、これは勝負になりません。その問いは簡単すぎます」

「ほう。では言ってみろ」

「ベルガン殿の尻で温められた椅子が、生暖かくて気持ち悪いです」

「なっ」

 指摘された当人以外、一瞬ポカンと惚けた顔になり、開いた口がふさがらなくなる。

 次の瞬間、声を揃えて吹き出した。これまで置物と化していた村長を含め、時折顔を真っ赤にして怒れるベルガンを気にしつつも、堪えることが出来ずに笑う。

「ぷっ、あははははっ。それはいい。違いない。私も座った瞬間には、なんだこれはと不快に思ったものだった。いや、ちょっとだぞ。ほんとうにちょっとだけ、そう思っただけだからなベルガン、気を悪くするなよ」

「いえ、そのようなこと……」

 ベルガンは恐縮しつつ、それでいて顔を真っ赤にしてハルトを睨む。

『やりすぎだ、エキドナ。ハルトの都合を考えれば、あまり好ましい状況じゃないぞ』

『なーに、大したことじゃない。この男は、自分を出汁にして主に気に入られたハルトを妬ましく思っているに過ぎない』

『だから、それをやりすぎと言っているのだ』

 僕は、よほど無い手で頭を抱えたかった。これでは単なる意趣返しだ。つまらない試しをされたお返しに、つまらない冗談をやり返したに過ぎない。

 それだけに、エキドナが急に真面目な声になって尋ねた時には、心底驚いた。

「では、私が呼ばれたほんとうの理由について、そろそろお聞かせ願ってもよろしいでしょうか」

 だが同時に、こっちの顔がエキドナ本来のものだと思い出す。エキドナは優れた魔法使いであると同時に、広い知識と見解を併せ持った人物なのだ。

 瞬間、ぴたり。ルールカが笑うのを止めた。

 これと連動し、ライナスと村長、さらにはベルガンも表情を引き締めた。

「ふむ。ほんとうの理由といわれても、これまでの話に嘘偽りはない」

 ルールカは両手を組んでテーブルに肘を突き、その上に顎を載せた。

「私とベルガンが入れ代わっていたこと以外、至って真面目な話をしていたつもりだ」

「それはまた、お茶目なことを」

「ふざけたことについては詫びよう。だが誤魔化しているつもりはない」

「ではほんとうに、純化された魔石のことが聞きたかっただけですか?」

 肘を突くのを止め、ルールカは姿勢を正した。

「もちろんそうだ。あれだけ高純度の魔石は国中を探してもふたつと在るまい。これを量産できるとなれば、これから在るかもしれない魔族との戦いにおいて、我らは有利にことを進めることが出来るかもしれない」

「これから在るかもしれない……戦い、ですか?」

「そうだ。おまえは知らぬだろうが、今は世界中で魔族や魔物の動きが活発化している。大きな国はまだ戦えているが、そうでない国は、はやくも落とされた国があると聞いた」

「それほどまでに、魔物たちは活発で凶暴ですか?」

「ああ、そうだ。これまでは大人しくしていたが、あいつらはやはり、とてつもなく凶暴で恐ろしい化物だ。わが国でも一体どれだけの犠牲が出ていることかッ」

 口惜しそうに歯噛みする姿からは嘘や偽り、冗談をいっているふうには見えなかった。

『やっぱりこの世界では、魔物は凶暴なのだな』

『ああ。ほんとうに、私たちが知る世界ではないのだろう』

「さらには、妙な噂まである始末だ……」

 ぽつりと、ルールカが口にした一言に、

「……妙な噂、ですか?」

 僕とエキドナは同時に興味をそそられた。

「ん? ああ、すまない。これはおまえには関係のない話だ。ただの噂だ。気にしてくれるな。どうせ誰かの勘違い、ただの思い込みというヤツだ」

「いいえ、その噂が一体どういう状況で出たのかは知りませんが、戦場にあって出てきた噂であれば一抹の真実を含んでいる可能性があります。差し支えなければ、是非ともお聞かせ願えませんか」

 ルールカは困った顔で髪に手をやり、指の間につまんで梳くようにして頷いた。

「う~ん、そこまでいうなら教えてやらぬこともない。だが、あまり期待するな。どうせ下らない聞き間違いや、ただの思い込みなのだろうからな」

 そういって彼女が口にした言葉は、

「なんでも魔族たちは、しきりに誰かを探していた様子だったと、そういう話だ――」

 僕やエキドナの考えを肯定する内容だった。つまりは特異点、ハルトのことだ。やはり魔王はハルトを、いや、僕とエキドナを探していた。これを確信する。

「魔王は一体何を考えているのか……いや、違うか。やはり私たち人間には、魔族が考えることなどわからないのだろう」

 しかし、それ以上の衝撃を与えたのは、次に彼女が発した一言……ほんとうに何気ない一言だった。

「魔王は、魔王エキドナは、ただ人間を滅ぼし、魔族だけの楽園を築きたいのだろう」

 このあと彼らが発した言葉、そのすべてを僕たちは覚えていなかった。

(それにしても、魔王エキドナときたか……)

 この名前は偶然か、それとも必然か、僕とエキドナは否応なく、これからの身の振り方を考えなければいけなかった。

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