第16話 破壊神を破壊した男

「……魔王、エキドナか」

 ぽつり響いた呟きに、僕は声の主に意識を向けた。すでに夜中をすぎていたが、僕もまた同じことをずっと考えていたから、すぐに反応することが出来た。

『魔王の名前がエキドナとして、魔族がほんとうに探していたのは、ハルトでなければ僕でもない……エキドナ、あなた一人だったと考えていいのだろうか』

「分かりきったことを聞かないでくれ、意地が悪い」

『すまない』

 聞くまでもない。その通りだ。でも、ほかになんと言っていいか判らなかった。

「………………」

『………………』

 短くない、気まずい沈黙が続いた後、唐突にエキドナが切り出した。

「昔のことを、おそらくは生前のことを、ずっと考えていた」

『なにか思い出したのか?』

 暗闇の中、エキドナは一人、首を左右に振る。

「いや、なにも、なにも思い出せない。正確には、いくつもの過去が、無数の生前の記憶が、私にはあるのかもしれない」

『生前の記憶が、いくつもあるのか?』

 尋ねながら、僕はある可能性に思い至り、はっとする。

『もしかしてエキドナは、今回のようなことが初めてじゃないと、そういうことか』

 僕とエキドナは、なぜか生前の記憶を宿したまま別人の身体を借りて、こうして存在しているという意味だった。

「わからない。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ほんとうに、なにも判らない。なにも覚えていないのだ……」

 時折みられたエキドナの記憶の混濁は、いくつもある記憶の断片のためだった。

 けれどその記憶は時代が違えば世界も違っていると感じられ、しかもその時々においてエキドナはエキドナのまま、やはり違う名前を持っていたと、そういうのだ。

「私は魔王を称するエキドナと、どうしても逢わなければいけない。そんな気がする」

 それは世界の救済か、それとも世界の破滅その始まりを意味するのか。それは実際にそうしてみないと、なにも判らなかった。……想像の仕様もない。

『でも、どういうわけか、向こうは貴方であるエキドナを探している』

「そして私は、そんな魔王であるエキドナに逢おうとしている」

『なら、僕はなんだ? なぜ貴方であるエキドナと一緒に、ハルトという少年のなかにいる。貴方と魔王であるエキドナの存在が必然であるなら、貴方と僕はなぜハルトという少年を介して共にある』

「私に言われても困る」いって一転、難しい顔を作った。「だが確かにそうだ。これまでの記憶の中に、私のほかには体の持ち主以外、ほかの誰かの存在を感じたことはなかった、そのはずだ……」

 考えても仕方のないことが、また一つ増えただけだった。

「だけど、僕はただいるだけで何もできない」

 それが何より、もどかしい。ただ居るだけ、ただ見ているだけというのが、これほど苦痛だなんて考えたこともなかった。……以前は、生前は、最前線にいつもいた。

『それにしても、魔王か……』

「魔王が、どうかしたのか?」

 ぽつり溢れた呟きに、エキドナはすぐに反応した。

『あ、いや、すまない、今のは言葉にするつもりはなかった』

 双方、それだけナーバスになっているということかもしれない。

「別にかまわないさ。どうせ頭の中がグルグル廻って眠れそうにない。気晴らしに聞かせてくれないか、ロレンが知る魔王という奴を」

 逡巡し、けれどそんな気持ちは僕も同感らしく、思考が堂々巡りを繰り返す。

『……大した、話じゃないさ』

 観念し、僕はぽつりと言葉を落とす。

「大したことがないなら、話しても問題ないはずだ」

 考えることに飽きていた僕は、そんなエキドナの疑問に、どうせ大した興味もないであろう問いかけに応えることにした。

『あれはまだ、僕が十五才のときの話だ。突如世界に魔族の王を名乗る魔族、つまりは魔王が現れたんだ。そしてそいつは人が住む国々を襲い始めた――』

「その魔王を、当時十五才の君が倒したって話か」

 機先を制する言葉に、僕は力なく苦笑する。

『結末を先にいわないでくれ、話す意味がなくなってしまう』

「つまりロレンは、魔王を倒した勇者様というわけだ」

 僕は、ふっと鼻で笑った。『そんな大したものじゃない……』という言葉は、期せずして伝わってしまった。エキドナは笑おうとする顔を硬直させ、そのまま苦笑いを作った。

 にわかには信じられない。きっとそんなふうに思っているのだろう。

 だが事実は、事実でしかなかった。

『ただし魔王を討伐する旅には5年の歳月をかけたから、実際に魔王を倒したのは二十歳の時だ。僕には二人の従弟妹がいた。ともに旅をし、魔王を倒した仲間だ。一人は一つ年下の男で、弟みたいに思っていた。速さを活かした戦いを得意とする剣士だった。もう一人は女の子で、まだ十二才だったけど、力だけなら僕よりも強かった。物覚えがよくて、でも不器用だったから武器は使わないで戦う、徒手空拳の使い手だった』

 そこまでいって、僕は一呼吸を置いた。二人と旅をした時のことを思い出すのは辛いこともあるが、いま思い返しても充実した楽しい日々だった。自信を持って断言できる。

「死んだのか?」

 不躾な、ほんとうに不躾な真実だ。おそらくエキドナは、気落ちした僕の声から察したのだろう。でも事実は、やはり事実としてしか存在し得ない。

『ああ、そうだ。魔王を倒した後に現れた、破壊の権化〈破壊神〉によって殺されてしまった。魔王が世界を、人々を殺して回ったのは、その破壊の神を現世に復活させるための血の儀式でしかなかったんだ。……なのに僕たちは、そんな破壊神の僕でしかない魔王を倒したことを心の底から喜び、……油断した……』

 その結果、僕は二人の大切な友を――永遠に失った。

 魔王討伐から一年が経った頃だった。

『二人は、破壊神が顕現したその場に、偶然居合わせたそうだ。ただ一人、その場から逃げ帰った男が、教えてくれた。……彼は、戦いの場から逃げたかもしれない。でもそれは、ほんとうの危険を僕たちに知らせる大切な役目を帯びていた。むしろ、とても勇気がいる行為だったと、僕はそう思うよ。……僕には絶対に、出来なかったはずだから』

 その場に僕がいれば、きっと僕はその場で戦いを挑み、そして死んでいた。そうすれば当然、そのあと破壊神を倒せる者は、きっと現れなかった。

『男を逃がしたのは、二人の従弟妹たちだった。そして男は、ことの重大さを、間近に迫った世界滅亡の危機を伝えると同時に、息を引き取った。そんな彼の決死の行為がなければ、僕たちは破壊神が降臨した事実を知らず、世界が滅亡するその寸前まで、のうのうと過ごし、ほんとうに滅亡していたかもしれなかった……』

「ロレンは、破壊神に殺されたのか?」

『おそらくは……でも僕の記憶に間違いがなければ、僕はその破壊神を倒したらしい』

「神を殺したのかっ?」

 驚愕もあらわに、エキドナはベッドから勢いよく起き上がった。そうして自分の中にいる相手に呼びかける様は、傍から見ればきっと滑稽だったに違いない。

『どうやって倒したのか、ほんとうに倒したのかどうかも、よく覚えていないんだ……ただ、それでも、僕の副官だった男が、ライナスの言葉だけは確かに覚えている』

「ライナス。昼間の男と同じ名か?」

『そうだね。僕も驚いたよ。そんなに珍しい名前じゃないから、そこまで動揺するのはおかしいかもしれないけど、なんとなく顔立ちが似てるって思ってたから』

「それでライナスは、ロレンの副官だった男は、キミになんといったのだ?」

 あらためて問われ、僕はこれ以上なく恥ずかしくなる。その言葉を自分の口からいうのは、さすがに躊躇われた。

『ライナスが、僕にいった最後の言葉は……』

 今更のように、こんな話をするべきじゃなかったと後悔する。

〈……さよならです、ロレンさま〉

 別れの言葉と、

〈破壊神を、破壊した男――〉

 破壊神を倒したという、その事実だった……。

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