第38話 保健室

 その後休み時間に入ると、俺はある場所に向かった。一階に降りてうろうろしているとお目当ての場所を発見した。その教室に入ると、足を組んで退屈そうにしながら机の上にある配布物をまとめている人物に話しかけた。


 普段見慣れない白衣を着用して、ブラウスの襟に伊達メガネをかけていた皐月はこちらに気付くと口角を上にあげた。


「学校は楽しい?」


「楽しい?タバコが吸えない世界が楽しいわけないじゃない」


 この教室だけ梅雨のじめじめとした雰囲気を醸し出しているのは、いつものように自由に仕事が出来ない環境が彼女にとって重りをつけられているように感じるのだろう。


 皐月のことだから、やることを全てやったうえでサボっているのだろう。


「まず朝起きるっていう作業がしんどいの」


「皐月なら社会に適応するくらい余裕でしょ?」


「優ちゃんが卒業したらすぐ辞めるつもりだから適応しても意味無いわ。それにもう仕事は終わったの」


「早いな。さすがだ」


「あとはここで怪我をした人を対応しなきゃいけないの」


「楽しそうでいいじゃん。俺らは自己紹介してなんか話聞いた後、昼くらいで解散するみたいだぜ」


「あらそうなの?じゃあ今日は私もその時間であがるから何か食べに行きましょ。あ、もちろんなるちゃんの奢りで」


「分かったよ」


「やったぁ」


 がめつい奴だが、そのくらいで喜ぶのならばお安い御用だ。皐月はその勢いのまま立ち上がって、ロッカーを開けた。そこから自分のバッグを取り出すと俺に一枚の黒いカードを渡してきた。


 そのカードは金持ちの家の黒猫みたいに光沢があって、角度を変えてみると花の模様が浮き出てくるレンチキュラー加工みたいなものが施されていた。


「クレジットカード?」


「昨日の回転寿司の会計で、なるちゃん馬鹿みたいに現金持ってたでしょ?」


「ああ。家にあっても意味無いし、どっかで利用できたらいいなと」


「だからこれ、戦車が買えると言われてるブラックカード。あんな現金持ってても邪魔でしょ?これならどこでも買い物が出来るわ」


「え、ブラックカード?審査が必要なんじゃないのか?家族たちの中でも、持ってるやつは限られてたし」


「なるちゃんの家の家具あるでしょ?あれ合計で一千万は軽く使ってて、なるちゃん名義で勝手に作ったカード使って払ってたから」


 それを聞いた瞬間、怒りなんかこれっぽっちも湧かず逆に恐怖に包まれた。俺のカードを作った所までは分かる。俺の金を勝手に使っていたことも咎めるつもりはない。でも、あの家の家具の総額が一千万も軽く使っていたことにおったまげたし、それを何食わぬ顔で言ってくることがサイコさを加速させてより恐ろしい。


「なんで皐月は俺よりも犯罪してるのよ。普通に詐欺罪じゃん」


「でもこれ元々、折坂さんが提案してたことだから」


「折坂の指示?なら仕方ないか、あの人は俺のリーダーだったしな」


「なるちゃん、あなたが詐欺に引っ掛からないか心配になってきたわ」


 まるで自分がする側だとは微塵も思っていない皐月と、俺は一歩後ろに下がって距離を置いた。その思惑がバレ、ギロッと音がつくような蛇の視線を向けられた俺はネズミになった。


「そうだなるちゃん、面白いお話聞きたい?」


「……斎藤先生がバツイチって話?」


「あら、分かっていたの」


「美人なのに趣味が一人旅って言ってたからな。彼氏が居ないってことだ。スーパーの特売をよく買うって主婦みたいだし、節約にハマっているっていうのはきっと結婚式を挙げるつもりだったんだよね」


「そんな悲しくなる分析しないであげてよ。それに友達がいないだけの人かもしれないじゃない」


「一人旅するのが趣味ならば、自己紹介の時にもっとエピソードを喋ってくれるはずだ。節約していたお金を発散するのが目的の一人旅だったってわけよ」


「全部正解だからもうやめましょうよこの話」


 皐月は日光東照宮の聞かざるのように耳を塞いで眉根を寄せて嫌そうな顔をする。俺もそれで幸せになったわけじゃないのでただ悲しいだけの時間みたいになった。


 元々俺はそのためにここに来たわけではないのだ。皐月に言わなくてはいけないことがある。俺がこの学校にいる上で最も重要なこと。


「そうだな。それで俺の話を聞く気になったか?」


「ええ、大事なお話でしょう。もうすぐ休み時間も終わるし端的にね」


「もちろん。皐月は頷くだけでいい」


 皐月も察しがいいみたいだが、認識をずらさないようにしっかり話しておくことが大事だ。いつか彼女にも刃に立ち向かって貰わなくてはならない。だからこそ、下準備が何よりも優先して行う。


「俺が折り紙だとこの学校の生徒たちにバレたら、自分と優が助かることを優先しろ。その際俺に全てヘイトが向けられるように演技して貰っても構わない」


「……本気なのね?」


「何かあったら敷田を頼ってくれ。俺が力になれるのは不可能だろうから」


「分かったわ。優ちゃんと私を優先すればいいのね。どんなことがあったとしても守り抜いてみせるからそこの心配は無用よ」


「ああ、ありがとう」


「なら質問よ。もし仮にこの学校の生徒の一人にバレてしまった場合どうすればいい?」


「………交渉は無理だろうな。ここの生徒は利口だし」


「さっき優ちゃんを優先しろって言ったわよね。もし優ちゃんの生活を脅かしそうな可能性がある場合…………その生徒を殺しても良いかしら」


 最後の一言を発したとき少し声が低くなった彼女を見て、背筋が寒くなった。


 自由になったとしても悩みの種は尽きない。俺が一人で楽しむ分には何も問題はない。ただ、将来を見据えている優はここが終わりの場所ではない。犯罪者の俺と昔からの交流があると周囲が知れば、優は間違いなくいじめの対象になる。しかもここは学校。逃げ場がない。


 仮に優のためだけに一人の生徒を殺害することはどう考えてもあってはいけない。折り紙としても許していいわけがない。もみ消すことは可能だが、刃が関わっていない限りは俺の私情で命をどうかするのはしたくはない。


俺は今後、関係ない人間を巻き込んだとしても気にするつもりはないが、皐月にまでそれを押し付ける気は無い。


「……だめ。あいつらが関わっているなら別として、俺たちの私情で一般生徒も巻き込んでしまうのは許されることじゃない」


「あいつらのことだって私情じゃない。何が違うの?」


「全然違う。俺にとって私情はあいつらのことじゃなくてこの学校にいることだ。無理をして敷田を説得してまで運命を捻じ曲げているこの状況は、はっきり言えば遊んでいる暇はない」


「………分かってるわよ。でも、もうどうしようもないじゃない。折坂さんたちは亡くなってもう誰も頼る人たちはいない。なるちゃんですら勝てるか分からない」


 だからこそここにいるのでしょ?とか細い声が聞こえた。


 皐月は保険を掛けていることがお見通しだったようで、ここにいるということで手段を選ぶ必要が無くなる可能性があるという意味を完全に理解してくれた。


 彼女も焦っている。今まで経験したことの無いような強敵がすぐ目の前にいるはずなのに、自分たちが何もすることは出来ずに最初から負けた時の保険を永遠と考えることになってしまう事態に、耐えられないのだ。


 余裕がない。それが全ての自信に繋がるはずなのに最初から背水の陣を覚悟で大切なものを守れるかどうかも確約してあげることが出来ない。


「悪いな。あんな啖呵を切っといてこんな話をしなきゃいけないなんて」


 俺を見つめる彼女の表情は暗く優れない。ジョークを飛ばして誤魔化さない俺の気持ちを考慮し、同じくふざける様子が微塵も無い。それどころか眉間にしわを寄せていた。


「どうだ皐月、何かいい案が思いついたか?」


「いいえ………結局どうあがいても私にはこの実情を打破する案は思いつかない」


「優を守ってくれるだけで、俺が二人いる気分になるから嬉しいよ」


「………それでも、さっきの答えを認めたくない」


「他の生徒を殺すってやつか?」


「ええ、結局守りたいものはたった一つよ。取捨選択する結末に辿り着くのは明白ならば未来は自分の手で選びたい」


「それはもちろん俺だって優に比べたら他の命なんて比較的どうだっていい」


 たとえこの世界の半分が刃によって殺されたとしても平静を保っていられるだろう。


「なら、だめって結論には………」



「でも、それを許せば俺も皐月も二度と優には会えなくなるぞ」



 俺が現実を突きつけると、歯が擦れるような音がするほど食いしばり聞きたくなかった言葉を塞ぐように目を伏せて閉じた。


 俺たちは今まで自分のために折り紙で人を殺めてきた。


 もし、この学校で不審な死を遂げた生徒が出てきてしまったのなら、優だったら俺と皐月が関わっていることくらいすぐに分かってしまう。


 その死を彼女が望んでいるはずもなく、しょうがないと割り切れるわけもない。自分の将来のせいで人が消されてしまったなんて考えたくもないし、重すぎる。


 それに、そんなことをしてしまえば俺が皐月を……。


「俺たちが優を愛していることは彼女も分かっている。その判断をするにはまだ早計だ」


 皐月は優のことが何よりも大切な家族だ。それを失うくらいだったら、この学校の生徒を殺すことに何のためらいもない。だが、悪手すぎる。


 皐月は俯いて、無垢な爪に血が滴るほど手を強く握った。俺の優先順位に納得していないのだろう。


「なるちゃんも優ちゃんのことが大切でしょ?私はどうだって良いから優ちゃんをッ!」


「優は皐月のことがどうだって良いわけじゃない」


「………っ!」


 同様に優も皐月のことが何よりも大切だ。優が小学生の時から二人で一緒に東京に住み始め、楽しいことも大変なことも一緒に乗り越えてきた。そして法律上でも本当の家族でもある。


 だが、彼女たちにとってそれは些細なことに過ぎない。学校に通わせるために養子縁組を通じて親子関係になっただけ。


「優にとって皐月はたった一人の家族だ。血は繋がってなくとも母親のように慕っているのが分かってるはずだろ?大切なものは替えが効かないんだ。俺は優の親にはなれないし、優は俺のことを親としてみない。本当の家族が居ない俺たちだからこそ、無償の愛を与えてくれる人がどんなに温かい存在なのか一番理解できるんだ」


 お金が無い人がお金の凄さを一番知っているように、俺たちも愛の大切さを知っている。俺は本当の家族を知らないし、皐月の親は殺害され、優の親は……思い出したくはないな。


 こんな報われないような扱いをされたとしてもまた立ち上がることが出来る。


「皐月がムショなんかに入ったら優が悲しむぞ」


「……………うん」


「俺も悲しいし、今と比べても自由なんて無いみたいなもんだぞ」


「うん」


「それに、皐月がその役割を担う必要はない」


「うん」


「あいつらをどうにかする方法はまだないけど、人間一人くらいなら俺に任せてくれ」


 コクリと小さく頷いたので、もうこの話を終わりにすることにした。それと同時にチャイムがなって休み時間の終わりを告げたが、皐月の手のひらが大変なことになっていた。俺は清潔なタオルを見つけて止血させた。


 しっかり止まったことを確認すると、皐月の荷物をまとめて帰らせる準備をした。


「一応神経に問題が無いか病院で見に行った方がいい」


「……ありがと。それに……ごめんね」


「謝ることはないよ。それよりもいつも通りの皐月に戻らない方が死活問題だ。病院から帰ってきたら好きなだけご馳走してやるから」


「ええ」


「それに、弱さを見せることは何も恥ずかしくない。俺でも、優でも、不安になったり怖かったりしたら少しだけでもいいから触れ合えばいい。何があっても、最後までは寄り添うよ」


「……最後までは?」


 上目遣いで揚げ足を取るかのように指摘してくると、俺の腕を掴んで体重をちょっとだけかけつつ、扉の前まで一緒に歩く。赤く染まった唇が、三日月のように浮かんでいた。



 その重さも綺麗な月も、死んでしまえば感じることが出来ない。



「死んでも。で、いいのか?」



「ええ。快いわね」



「あ、俺の取るなよ」



「なるちゃんのものは私のもの」



「なんかそれ聞いたことある」



 その後、俺はしっかり授業に遅刻した。

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