第58話 いちばん星
深夜3時の静寂をさ迷っているのは、くうくうと小さな二つの寝息。それは誕生日会が終わりを告げる音。
ソファの真ん中で、優が皐月の肩に寄り掛かる形で寝ていた。寝顔が可愛くてついイタズラ半分で白い頬をつんと突いてみたりした。
ブランケットを掛けてそのままにしようと思ったが、この家には二人だけが使う俺のよりも大きいベットがあるためそちらに移動させる。
持ち上げてもぴくりとも反応せずに眠っているため、楽に運ぶことが出来た。どうして客人のベットの方が俺のより豪華なのか聞きたかったがまた今度。
グラスなどの洗い物をやりつつ、酔いを醒ますかのように水を一口飲んだ。
俺はこれから訓練に行こうと考えた。今は学生だし今日ぐらいは休みにしてもバチは当たらないが、ただでさえ訓練に充てる時間が少ない生活をしている上、いつ刃の気が変わって攻撃を仕掛けてくるか分からない。だから急いで着替えて外に向かおうとした。
靴を履いていると、いつも通り玄関にある写真立てに入った写真に目が行く。
俺が二歳の時の家族写真。優も、皐月もそこにはいない。
普段ならあまり気にしないが、今だけは違う。何か出てくるのを期待するみたいにまじまじと見てしまう。
手に取って、その場に座った。自分でも呆れるほど大きく息を吐いた。その音が聞こえてしまわぬかと焦って口を手で塞ぐ。
後ろを振り返って誰も聞いていないことを確認して、口を解放した。
「危なかったね、今日はやけに気持ちが正直だ」
誰にも聞こえてはいけない、小さな声。今は空気が会話相手。
この家の中でも話せないのは、中々大変だ。
────見て、優から素敵なプレゼントを貰った。羨ましいだろ?
写真に見せつけても当然反応が無い。
それに、ここに写っている人たちは俺以外亡くなっている。自慢できる相手はもういないのだ。
その中で、ある少女だけを見つめた。
まだ小さな俺を抱いて、一番星ですら嫉妬してしまいそうな笑顔をつくる女の子。当時十三歳ながらも折り紙に入ることを許された天才だ。
そして宗教団体「未来護」の教祖。
俺にとって彼女は姉のような、母親のような存在だった。
家にいる時は心が好きなドラマや美容系の話に永遠と付き合わされることもあれば、俺が訓練や依頼を終えて帰ってきた時には朝でも夜でもご飯を作ってくれたりもした。それを楽しそうに話す心を見ていれば、俺も自然と笑うことが増えていき今のふざけた性格の俺が出来た。
だが、俺は彼女に感謝している。
俺は幾度となく死にかけてきた。幼少期から刃を倒すためとなれば、どんなに訓練を繰り返したとしても足りないほど。だからこそ、危険なことに手を出したりもした。
真珠の子なんて才能を貰った俺は限界に挑み続けた。
そんな俺に、心は言った。
「────私たちは家族だよ。そして私はあなたのお姉ちゃん。なるの辛いこと、悩んでいること、全部私が受け止めてあげるからね?」
今となっては面白いの一言で済ませてしまいそうな発言だが、まだ小さく家族意識のなかった俺には温かい言葉。一つ屋根の下に住んでいた俺たちが大切にしていたことらしい。
俺はその日から、彼らの誕生日を絶対に祝うことにした。折り紙のたちは普段から忙しかったため、家にはあまり帰ってこない。何か話すきっかけとしてその日を利用しようとしたのだ。
しかし、粼心は違った。彼女にとって記念日はどうだってよかった。
訓練に行く度、後ろから走ってきて抱きしめてくる。家に帰ってきた時も扉を開けた音に反応し、飛んでやって来て抱きついてきた。彼女と同じ身長になっても、いつの間にか抜かしていた時も。家にいた時は毎日欠かさずに。
「────もう行っちゃうの~?やだやだ!もっとお喋りしようよ。あ、じゃあ私もつれてって!お姉ちゃんの命令だから絶対だよ」
にんまりと笑ったその顔を忘れることは無い。
「あ~あ。変なこと思い出したよ」
それが永遠と続けば、俺も彼女の影響を受けるに決まっている。
少し根暗だった俺が変わった理由だ。彼女がいなければ、俺はどこかで挫けてしまっていたかもしれない。今みたいに人に優しく出来なかった。
心のおかげだ。大切な家族のおかげで折り紙のみんなを、最後には記念日を理由にしなくなった。
余裕が出来て、今になって言いたいことも出来た。
────どうして、俺を呼ばなかった。
刃の襲撃を受けた日、少なくともどこかで俺を呼べるタイミングはあったはず。だけど、サプライズを成功させるために自分の命を懸けたの?折り紙の存続よりも、優の願いを優先したの?
皆は刃を殺すために折り紙で戦ってきたはずなのに、心は俺の辛いことを全て受け止めるって言ったはずなのに。
これじゃ、訓練している意味が無いじゃないか。
勝つために、守るべきもののために俺が何千回も死にかけて、数えられないほどの怪我をしてきた。俺は一つの家族を失って、強くならなければいけないのにここで悩んでしまう。
無意味だと分かっていても、意図を探ろうと掘り下げて時間をまた無駄にする。
でも、無駄だと分かっていても俺はそれを止めない。
そしてたった一つ、俺は気付く。
この写真は、元々心の部屋に置いてあったもの。よく彼女の部屋でおしゃべりしていたから覚えている。その私物がどうして俺の家にあるのか。
皐月が置いたのは間違いないだろうが、独断かと言われたら違う気がする。
俺はたまたまその裏側を見ると、端っこに小さく文字が書かれていた。
『開けちゃダメ』
その瞬間に、俺は裏側の板を外した。もし開けてほしくなければ書かなくていいこと。
答えが分かるとは思えなかったが、俺の知らない何かが目の前にあればそれに手を伸ばす。それが出来る人間になった。
すると目の前に見えたのは写真の裏。真っ白な紙に意味深な言葉。
『なるのために死ぬ時、優ちゃんと皐月のために生きてね』
紛れもなく、心が書いた丸っこく可愛らしい文字。
「何それ。俺が悪者みたいじゃん」
やはり姉には勝てないものだ。そう確信して声を出さずに笑った。
俺がまるでここに来るのを予想しているかのようだ。
きっとお姉ちゃんがいないと寂しいだろうから、という魂胆が見え透いている。お前が姉なら俺は弟だ。
心がここまで懸けていたのに、俺は彼女のことを分かってあげられていなかった。いや、分かっていた。でも、きっとどこかで迷ってしまった。
心が予想したみたいに、誰にも頼れない期間が続いたことで自分の道が分かっているのにもかかわらず、心配事だけは増えていくばかりで押し潰されそうになっていた。多少なりとも、思考の中に焦りが入ってしまえば目の前のことに全力を尽くせない可能性を考慮したのか。
家族を大切にしているのは俺だけではない。
だから、今ここでこのメッセージを受け取れた。
「愛されて育ったわけだ」
ふんだんに貰った愛は重くて運びきれない。会えなくなった今でもそれを実感する。
写真を元に戻して、そのメッセージとはさよならした。
気にしないで、そう言われてしまったから。姉の命令は絶対だから仕方ない。
入学式からほんの少し伸びた髪の毛に隠れていたイヤリングを外す。優から貰ったとしても、訓練の時は装飾品を着けないでおく。落としたら大変だからな。
少し待ってみても、後ろから抱きついてくる様子はない。鬱陶しく思っていても、やっぱりあの時間は俺にとっても大切なコミュニケーションだったのだ。
「……行ってきます」
誰かに呟いて家を出れば夜に食べられたみたいに真っ暗な世界が広がっている。
けど知っているのだ、夜は明るいことを。悲しみを隠すためにこの世界は輝くのだ。
その光が邪魔をするせいでここでは星たちは主役ではない。引き立て役にもなれない。
空は深くて落ちていったものを拾えない。手を広げてすくおうとしても、するりと指の間から抜けていってしまう。いつだって輝いていた少女の笑顔は失われてしまった。
一番星はもう見えなかった。
犯罪者の暇潰しは人生謳歌 とーじょう @Naru428
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