第36話 ハチマキを締め直す

 汐嶺かりんとの時間はハッキリ言って、眠気を誘うようなものだった。だが、それと同時に余裕の無さを実感していた。俺が一か月訓練をしなくたって今の身体能力が落ちることはないだろう。今まで積み重ねてきたからこその自信を持って言える。


 しかし、刃という存在は常に俺の命を狙える立場にある。俺よりも体力がある人間は居ないかもしれないが、奴らには異能という厄介な代物を所有している。その可能性は未知数であり、限界はあろうと異能を持ってすらいない俺ではスタート地点にすら立てない。


 Aという人間はまず間違いなく、手を抜いている。何があったとしても勝てると確信しているからこその余裕があるのだろう。俺に接近したときも緊張感は一切感じなかったのは、手を出せばあの二人をいつでも殺せるからリスクを考えれば戦闘を避けてくるという俺の最悪を想定しているからだ。


 人質の喉元に刃物を突き立てられている状態が続いているみたいなものだ。


 そのせいで俺は必要以上に焦っている気がする。俺の心理的な弱点がずっと抉られるように、時間を使って訓練でそれを埋めようと無意識に考えてしまっている。しかもそれが時間で解決するような問題ではないのが一番面倒な部分だ。


 俺の理想は、刃による被害をこれ以上増やさずにその上で刃の人間を全員殺すことだ。どう考えてもこれは非常に困難であり、机上の空論に過ぎない。理想にするためには、あまりにもハードルが高すぎる。


 しかも、俺の弱点はそれだけではない。


 折り紙の欠損だ。彼らのような背中を365日24時間ずっと任せることが出来る人間はもういない。皐月も十分強いが、刃にどれほど対抗できるかは不明だし実際に確かめるわけにはいかない。それにもっと重要な役目を担ってもらうつもりでいる。


 つまり俺には頼ることの出来る人間はいないということだ。裏社会の猛者たちに声を掛けても良いのだが、あいつらを無駄死にさせてしまうのが目に見えるしそれで多方面から恨みを買ってしまう。得策ではない。


 だが、しばらくは仲間を作る方向で動くのは必然だし刃もそれを狙うのだろう。

 計画は確定した。


「あ~。考えることが多すぎて脳がパンクしそう………そもそも、俺頭脳要員じゃねえんだから、頭使わせないで欲しいわ」


 災いの元である口は、ぶうぶうと止まらずに文句を吐き出す。打破しようにも、手のひらでダンスを踊っていることを笑われているようじゃ、どうしようもない。


 しかも俺は後方で頭脳を用いて戦うよりも、最前線で全てをぶっ壊して勝ちに導くやり方のほうが慣れている。ありとあらゆる才能は持っているが、俺はそのほとんど身体能力を上げることだけに専念していた。それに、頭の良さだけならば俺よりも優秀な真珠の子は沢山いるのだろう。まあ、殴り合いとかなら大抵の真珠の子に勝てるだろう。


「………だとしたら異能との相性最悪だな」


 何かいい案を思いついたとしても、まあ何とかなるだろからとりあえずやってみようという精神では動けない。やはり優や皐月たちが命を狙われるという可能性がほんの少しでもあるだけで、何事もストップがかかってしまう。


 なぜ世の中はこんなに上手くいかないものだろうか。さっきだって訓練の時間に汐嶺というお隣さんに出会ったせいで、全ておじゃんになった。これも刃の妨害ならば逆に面白いのだが、ただのハプニングみたいなものだから何とも言えない。


 そんなこんなで学校に行く時間になった。今日は優と憐帝高校の最寄りで待ち合わせしているので何が何でも遅刻できない。昨日みたいなことが起きないことを願いつつ、俺は駅に向かった。


 駅に着いて、早歩きをして改札を通り電車に乗った。昨日は気にしていなかった通勤ラッシュの車内は、春とは思えないほど蒸し暑い。座席の前に立っていると横のサラリーマンとしっかり肩が密着して離れることがなくなるほど混み始める。


 しかも恐ろしいのが、既に他の利用者と密着しているほどの混み具合だったとしても、まだまだ乗ってくるのだ。


 実際、それが今起きてしまっているのだが本当にやばい。ここは戦場だ。


 横の人に足を踏まれるし、手はろくに動かせないし、どこかから様々な香水が混ざった気持ち悪い臭いがする。しかも逃げ場がどこにもない。外では駅員が電車からはみ出ている人を押し込むように入れようとしている。紛れもなく定員オーバーだ。諦めて次の電車に乗ってくれ。


 しかし、この人たちにも人生があるのだろう……。


 この電車に乗れなければ俺と同じように遅刻して偉い人に怒られる。自分のため、もしくは家族のために辛い思いをして働いている。みんな同じだ。何か長い物に巻かれている。好き好んでこんな電車に乗りたい人なんてここにはいないし、楽に金を稼ぎたいと誰もが思っているはずだ。


 だとしたら、俺は運がいい。


 最寄りに着くと、人混みを掻き分けて電車を降りて改札を抜ける。周りを見渡すと柱付近に制服をきっちりと着て、手櫛で綺麗な髪の毛を整えていた少女の姿があった。こちらに気付くと、糸で引っ張られるように一直線で近付いてくる。


「おはよ、なる」


「おはよう、優」


「今日はちゃんと来たわね」


「そりゃあもちろん。昨日のはただのアクシデントですので」


「よろしい。いい心がけでしょう」


 俺のノリに朝から付き合わせてしまったが、嫌な感じはしておらず本人も楽しそうだった。どこかから、「あ、昨日白髪の人だ!」「新入生代表の水無川さんと一緒にいるけど、付き合ってるのかな?」とか俺たちを噂する黄色い声が聞こえた。女性は恋愛話を好むらしいが、もう目を付けられてしまったのか。


「行こうぜ。昨日みたいに遅刻したら今度こそ先生に怒られちまう」


「そうね。行きましょ」


 歩き出すと優は隣にしっかりついて、どこか心ここにあらずだ。


「歩くの速かった?」


「あ、ううん!そうじゃなくてね、やっぱりなるがここにいることが信じられないって言うか、今も夢の中にいるみたいで」


「そっか。多分去年の俺だったら誰よりも信じてないと思うよ」


「なるは年中あの山で頑張っていたもの。未来は誰も想像できないよ」


「そうだな。未来なんて、何があるか分からない。優が教えてくれたな」


 明日も明後日も、確定しているみたいに見えているだけ。いつもその手の中にはサイコロを握っている。それを振るも、握り続けるも、気付かないフリをするのも自由だ。


「わ、わたしが?」


 大きく目を開いて優は驚いた。


「俺はずっとあそこにいると確信していた。俺に未来なんて何一つなかったんだ。いつからかそれでいいと思ってしまっていた。だから一度は、優の誘いを断った。無駄だと、そう信じていたからな」


 今だってそうだ。こんなこと話さなくても良い。


 だが、教わったことに感謝したかった。


「けど、きっと優はそれが嫌だったんだろ?幸せは人によってカタチが違うことは知っていても、誰だって大きい幸せの方が良いもんな」


「………わたしが言いたかった事、ちゃんと伝わっていたのね」


「そのための人生だからな」


「ありがと。やっぱりなるがいてくれて良かった!」


 しっかりと伝えると、優は不平等に引けを取らない白い歯を見せ優しい目が弧を描いて涙袋の下にしわを作った。その笑顔を、俺は目に焼き付けた。


 この子のためならば、俺はどこまでも頑張れる。何だってやれる。怖いものなんか何もないし、叶えるのが困難な理想だって貫き通す。俺が迷う場所はあの世界にはない。


 ただ勝つこと。それだけが犯罪者の俺に許された道。


 でも、一つだけ、許してほしいことがある。




 被害を増やさないのは、はっきり言えば理想には出来ない。無理だ。


 刃たちと分かり合えることはない。どう説得しても、きっと不可能なこともある。だからこそ、俺の理想を押し付けてしまう。それだけ許してほしい。



 俺の理想はたった一つ。水無川優と皐月が、どんな形であれ幸せであることだ。



 優は知らない。今は舞い上がるほど楽しいだろうが、裏では最悪だ。


 全て責任は俺にある。優に折り紙の現状を一切話していない。だから、優の命に常に手が掛かっていることを本人は知らない。


 言っても、彼女を心配させるだけ。俺が死んだら二人とも死ぬなんて口が裂けても言えるはずがない。



 俺はどうしても、お前たちに生きていて欲しい。どうせこの国を守るのだから好きな人たちがいたほうが良いだろうから。それが俺の理想。



 唯一の理想で良いから守らせてほしい。



 決めていたことだ。



 関係ない人間を巻き込んでしまっても、俺は今後一切気にすることはない。



 理想を叶えるために、理想を捨てることにした。



 折角の楽しい時間なのに申し訳ない。でも、もう駄目だ。甘い世界では無かった。




「学校楽しみだな。どんな奴らがいるんだろ」




 暇潰しは順調に始まった。

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