第2話 希望から絶望

 1月1日。年末の依頼を終えて俺は、新たな年の朝をベッドの中で迎えていた。特に大掃除をしたわけでも、おせちの準備をしたわけでもない。年末年始だからといって、依頼を受けないという選択肢は折り紙には存在しないのだ。


 現在、家に居るのは俺のみである。折り紙が拠点としているのは、京都の山奥にある古びた洋館。基本的に折り紙の人間以外はまずたどり着くことすらできない。それに折り紙の洋館を囲っている山々は、全て折り紙が買収済み。仮に侵入者がいた場合は、もれなく排除しても良いとのお墨付きを国から貰っている。因みに、まだ一般人は排除していない。


 ピーーーーーッと、部屋中に目覚まし時計のアラームが鳴り響く。


 元々は、ピピッ。ピピッ。という可愛いらしい音色だったのに、それでは全然起きる事が出来なかったので、ちょっとずつ衝撃を与え続けた結果、丁度良くうるさくなってくれた。


 つまり壊れているのだ。


 うつ伏せで寝ていた俺は目を少しだけ開けて、真っ白な枕を意味もなく睨みつけた。


「ん~。うるさ………」


 新年の一言目を愚痴で済ませて、目覚まし時計で時間を確認する。一度アラームを止めて仰向けになり、掴んだ目覚まし時計を天に掲げる。


「………12時30分?」


 もしこれで依頼をすっぽかしていたら、リーダーの鉄拳制裁が頭に降ってきていただろう。最後の晩餐は一人でキムチ鍋だったが悔いはない。


 しかし、依頼は去年受けたものが現時点では最後だ。奇跡的に命は助かったのだ。神がいるというのならば、今すぐにでも頭を下げていたかもしれない。


 とりあえず俺はベッドから出ることにした。


「ん~」


 立ち上がって伸びをする。美味しそうな雲が浮いている空を窓から眺めながら、今年一年間の抱負を考える。


 ………いや、そんなものは無かった。俺がやることは、折り紙に入ってくる依頼を遂行すること。それだけだ。この国のために罪を重ねて命を賭す。明日も、来年も一〇年後も同じこと。今の日常にそれなりの幸せを感じているのだ。


 しかし、この国は俺らに優しすぎだと思う。まず警察に捕まることはない。上の奴らが手を回しているお陰で、証拠の隠滅ですら容易い。


 そして何より一番凄いのは、報酬の面だ。一つの任務を達成して得られる金額は最低でも一千万以上だ。命と人生を懸けているとはいえ、まず現実的ではない金額。俺の貯金額を聞いた日には、普通の人ならすぐに仕事を辞めて、悠々自適な生活をするだろう。恐らく数百億はある。


 だが結局は、そんな大金を持っていたところで、俺には全くと言っていいほど使い道がない。まだ寄付したほうがマシだ。


 兎にも角にも、抱負なんてものは俺が考えるべきものではない。


 それよりも休みの日は、やらなくてはいけないことが多い。12時半に起きた奴が言うことではないが、忙しいのだ。


 基本的に休みの日には訓練を行っている。山の中をランニングすることから一日が始まり、体術や筋トレ。たまにヨガだったり、よく熊と対峙したりする。身体は資本である。常に完璧でなくてはならない。


 しかし、やはりこの身体は不思議なものだ。俺は生まれてから一度も風邪とかインフルエンザになったことがない。俺の仕事上、何とも都合のいい体だ。


 そして何より、この身体は、怪我の治りが異常に早い。


 骨折をしたときの話だ。俺は七歳の時に初めて骨折をした。任務で仲間を庇った際に、左前腕の粉砕骨折。間違いなく手術が必要になるくらいの大けがだ。だが、それは普通の人ならの話。不平等の俺は違ったのだ。


 俺の左前腕は手術をせずに、一週間で完治した。


 当時は折り紙の専属医にドン引きされたが今ではいい思い出だ。


「あ、顔でも洗うか」


 俺は部屋を出て長い廊下を歩きだす。この家は、築100年以上の洋館で何度も修繕工事が行われている。過去にタイムスリップしたかのような洋館だ。中は西洋を彷彿させるゴージャスな造りとなっている。壁はダマスク柄という、同じ絵柄が繋がっているエレガントなデザインで、日本にいることを感じさせてくれない。そしてこの家には、断熱材が使われていないため、冬の今は意外と寒い。


 それに、家の至る所が壊れていたり、壁がボコボコと凹んでいたりする。ここの住人が実験なら何やらをすることで修繕費が馬鹿にならないようだ。


 しかし、水回りは割と進歩しており、一般家庭でも使用されているようなスマートな造りである。この家の主曰く、汚いと使いたくないと誰かが文句を言い過ぎたせいでトイレ、キッチン、洗面所が綺麗になったそうだ。


 俺は洗面台の鏡の前に立つ。もちろん映っているのは、自分の姿。いつもと何も変わらない見慣れた自分。肩まで伸びた髪の毛の自分。


 真っ白な髪の毛の自分だ。


 生まれた瞬間から真っ白。染めたことは一度もない。こんな目立つ髪の毛で犯罪者は笑えてくる。街を少しでも歩けば目立つし、これで職務質問を数回も受けたことがある。京都警察の女性にナンパされたことを数えるのも面倒になるほどには。


「それでも、俺は俺が好きだけどね」


 他人と違おうが犯罪者であろうが、俺は自分を誇っている。見知らぬ誰かのために、命を懸けて、犯罪までしてこの国に尽くす事を愚かだと思うものもいるだろう。


 だが、折り紙にそれを後悔している者は誰一人としていない。


 全員がこの国の全てを平等に愛しているはずだ。


 顔を洗った後、談話室に行って暖炉に火をつける。エアコンは自分の部屋にあるのだが、ちょうど壊れていたので仕方なくそっちを使っている。うちの人間は頑固なので、なぜかエアコンを皆が集まるスペースにつけてくれない。今はもう令和だというのに。


 俺はランニングをしようと思っていたが、外は雪が積もっているためランニングマシンで妥協しようとしていた。


 今の季節は、熊が冬眠してしまっている。わざわざ外に出ても、張り合いがある相手がいないため、気分でランニングマシンにしたり外に走りに行ったりと、臨機応変に対応している。


 すると、部屋の固定電話が鳴り響く。この家に似合わないコードレスの固定電話だ。


「ん、電話……?」


 固定電話に電話が来ることは珍しい。なぜなら折り紙の中で、俺だけがスマホを持っていないからだ。実際は、俺もなかなか頑固な人間なのかもしれない。


 恐らく。いや、間違いなく電話を掛けてきた人は俺の知り合いだろう。きっとスマホを持っていない俺に、新年の挨拶をするためにわざわざ電話をくれるなんて……。なんて優しいのだろうか。


 受話器を手に取り、開口一番俺は、清々しい挨拶をしようとする。


「明けまして……」


『なるちゃん⁈なるちゃんね‼生きているのね⁈』


「………うぇ?」


 新年の挨拶を遮られるや否や、生存確認をされることになった。あまりに大きい声だったので、受話器から耳を遠ざける。


「どうかしたのか皐月。俺はいつも通り元気だ。これからランニングだよ」


『良かった……。無事だったのね。いつも通りで助かったわ』


 声の主は、皐月さつきという女性である。折り紙が依頼を受ける際に、専属で仲介役を担当してくれている人だ。俺が三歳だった頃からの付き合いということもあり、俺の良き理解者でもいてくれている。


「それで、無事だった、ってどういう意味?」


『あ、ええ。そうね………』


 言いにくそうに口ごもる。普段は遠慮なしに好きなことを言い合える仲なので、当惑することしかできない。悩みがある……とは感じ取れない。


『なるちゃん。今から言うことは、本当だから。嘘のない真実を話すから。ちゃんと聞いてくれる?』


「……わかったよ」


 俺がそう言い放った後に、皐月が話し始めるまでの約一〇秒。静寂が俺を襲った。


 その時間は俺にとって異常に長くて、異様に気持ちの悪いものだった。


 でも、その時に分かってしまった。


 彼女が言わなくてはいけなかったことが。


 皐月の牙を鳴らした音が、微かに聞こえてしまったからだ。



『みんなが………………殺された』




「…………ああ」




 その一言をやっと喉から絞り出したのはそれからしばらくしてからだった。

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