第5話 紅茶の味

「さあ、上がってちょうだい。好きにくつろいでいいわよ」


「お邪魔します」


 京都から約十時間。やっと皐月の家に着いたと思ったら、既に時刻は午後十一時を回っていた。家を出るとき何も持ってきていなかったので、服やら日用品を買っていたらこんな時間になっていたのだ。


 にしてもこいつすげえな。車の中でずっとたばこ吸いやがってたな。


 やめたと思いきや、皐月は関東地区に入った瞬間からこのマンションに着くまでの車内での移動時間は口からたばこが離れる時間は皆無だった。


 皐月の家は、四十七階建ての高層マンションの最上階に住んでいる。いわゆるペントハウスになっている場所だ。俺も初めて来たのだが、想像以上に凄い。


 まず、玄関に入ったと同時に、床が大理石で出来ているという、徹底的に金持ちという事実を突きつけてくる造りとなっている。俺はそこで着ていた服を脱いで、買ったばかりの服に着替える。


 すぐに、左右に廊下が続いていて、まずは右の方に行ってみる。すると、すぐに開けた場所になった。リビングだ。天井は五メートル以上あり、部屋全体に余裕が生まれている。リビングの壁の半分を占めている大きな窓から見える東京の夜景は、一つ一つの光が宝石のように輝いている。この世界の全てを掌握したかのように、独り占めするにはとても勿体ない気がする。


 そして来た道を戻り今度は左の方に行ってみる。様々な部屋があったが、もう一人の住人が居る可能性があったため、それを無視して突き当りの扉を開けた。


「おぉ~。いいなぁ」


 ドアの奥はルーフテラスだった。都会の夜景を眺めるよりかは、優しい夜の空を浴びるためのような場所だった。特に何かがあるわけではないが、何回も足を運びたくなるような所だ。


 近くにあったプールサイドにありそうな椅子に寝転んで夜空を眺める。東京の夜空には星が遊びに来てくれない。それとも、都会の夜景の方が眩しいので、少し恥ずかしいのだろうか。


 冷たい夜風を受けながら少し目を閉じる。今は寒さを受け付けていたい気分だった。


「え。鍵が…………さっき閉めたはずなのに……」


 すると、驚きすぎて最後の方がかすれたような声が、開けっ放しだったドアの方から聞こえた。その声の主はこの家の二人目の居住者である。脅かすつもりは全くなかったのだが、彼女には悪いことをした。


 一歩一歩後ろから歩いてくる音がする。俺は依然、目を閉じたままそれを待つ。


「っえ……………な、なる?どうしてここに……」


 横まで来て、俺の存在を確認する。いつまで寝たふりをしようか迷っていると、それを悟ったかのように、少女は口を開いた。


「カギは閉めておくからね」


「…………おはよう」


 寝たふりをすぐやめて、目を開ける。横から俺の顔を覗くように見てくるが、どうやら彼女は俺の性格を完璧に把握済みらしい。薄ピンクのモコモコしているプルオーバーのパジャマ姿の少女。羞花閉月という言葉が良く似合いそうだ。優しい夜が宿ったような純黒の長い髪が夜風と共に踊っている。彼女は俺の顔をじーっと不思議そうに見ている。なかなか悪くないこのロケーションは、その魅力を引き立てる。


 彼女は水無川優みずなしゆう。幼馴染でもあり、大切な家族だ。


「俺の顔になんか付いてる?」


 気さくになんてないことを尋ねてみる。優は、顎に人差し指を添えて少し険しい顔をして俺を凝視する。


「何でうちにいるのかなぁ~って思っていたの。今日は来るなんて一言も聞いてなかったし……で、ほんとにどうしているのよ」


「いや、ただ優のパジャマ姿を拝みにはるばる京都からやって来たんだよ。薄ピンクのモコモコしてるやつね。じゃあ帰るか~。また明日も見に来るわ」


「待ちなさい」


 起き上がろうとすると、軽く体を押されて制止させられる。何か不服そうな顔をしているが、どうしろと言うのだろう。あ、そうだ。まだ言っていなかったことがある。


「お邪魔してます」


「それもだけど、そうじゃないでしょ?」


「え、違うのか。じゃあ……明けましておめでとう」


「………」


「……………後で言うので勘弁して」


 無言で腹を立ててくるというのは、なぜこんなにも恐ろしいのだろう。


「三年ぶりだな。ちゃんとした人生を楽しんでいそうで良かったよ。グレ初めて夜遊びなんかしてたら、俺泣いてたわ」


「そんな心配していたの?」


「いや、優ならそんなことはしないって分かる。ただ、反抗期に金髪に染めて、皐月にタメで話してる優が余裕に想像出来たから少しは期待してたとこはある」


「なるの中で、わたしのイメージどうなってるのよ⁈」


 束の間の休息とでも言おうか。命を狙われているこの状況下で、こんなくだらないことで盛り上がることが出来ている。立ち上がって彼女の顔を見ると、随分身長が伸びたことを実感した。昔は同じくらいだった身長は、今では俺の方が大きくなっている。


 家族の成長は実に嬉しい。だが、それを近くで見ることが出来なかったのは残念だ。


 ……いや、久しぶりに会ったからこうやって目に見える成長を喜べるのかもしれない。実際、俺がこの三年でどれほど成長したかなんてあまりよく分かっていない。


「まあ、でも。そんなことよりさ」


「うん。なに?」


 優も無事であることが確認できた。恐らく皐月たちを殺すつもりはないとみた。こちらの心配は杞憂に終わって良かった。俺は少しほっとして胸をなでおろす。それに、このマンションはこの辺で一番高い。敵も目立つ行為は避けるはずだ。


 だが、あくまで全て可能性であり確定できないのが懸念点だ。


「……元気そうでよかったよ」


「……それってどうゆう意味で言っているのよ」


 意味深に言ってしまったことが気に掛かっているみたいで、探るように俺のことを右や左から、訝しげに見てくる。不安を募らせるわけにはいかないので、笑ってごまかした。


 彼女には、折り紙のことをここ何年も話していない。一般人として生きる優には裏社会のごたごたに付き合わせたくない。それに、いつか独り立ちをするときに、優の足枷になってしまう可能性がある。それだけは、絶対に起こしてはならない。


「そのままの意味に決まってるさ。そんなことより、中学校はどうだ。ちゃんと勉強やってるのか?友達はちゃんといるのか?」


「なんか、親戚のおじさんみたいなこと言うわね……。ちゃんと友達くらいいるわよ。勉強もちゃんとやってる。この前の定期試験だって一位だったし」


「定期……試験?試験が定期的に開催されるのか⁈そんな学校辞めたほうがいい。今すぐ試験がない学校に編入だ」


「そんな学校ないわよ」


「……」


 俺を白眼視して、おふざけが呆気なくあしらわれる。けど、教育機関にお世話になったことがないので、その辺の事情というものは知らない。俺が知っている唯一の情報は、揚げパンが給食の中では一番人気だということだ。優がそう言っていた。


「部屋に入ろうか。体が冷えるぞ」


「そうね。明日も早いし、もう寝ようかな」


「明日?お正月って休みなんじゃないのか」


「学校はね。でも、都立の一般入試が二月の後半にあるから、それに備えているのよ。明日も勉強しなきゃ」


「あ~、そっか。今年は受験生なのか。だとしたら悪かったな。気遣いが出来てなくて。その辺のホテルに泊まるから、勉強に専念してくれ」


 俺は皐月からホテル代を徴収しに行こうとしたが、優に右手を掴まれる。


「いいわよ、わたしはお金払って貰っている側だから。それに……」


「それに?」


 言葉が途切れると同時に、手を掴む力が少しだけ強くなる。言いにくいことなのだろうか。表情から心を読もうにも、下を向いてしまっているのでどうしようもない。


「それに……。まだ、帰って……ほしくない……いつまでこっちにいるの?」


「え~、そうだな。俺さ、東京に住もうと思っているんだ。依頼を受けるために、わざわざ山を下りるのは面倒なんだよね。あの家は不便すぎる」


「まあ確かに……。あそこは不便ね。でもそれでいいの?あの人たちはどうするの?」


「実はそのことで、今日ここにいるんだよね」


「……え?」


 俺たちは、室内に入って今日起きたことを優に説明した。俺以外の人間が殺されたこと。次は俺が狙われていて、今日その実害が発生したこと。期間は短かったが、優もたくさんお世話になったはずだ。テンションが先ほどよりも幾分下がっている。


「そっか……。皆さんが………」


「ああ。遺体はもう回収されているはずだ。場所はどこにあるかわからないけど」


「……なるは?」


「どうした?」


「なるは大丈夫?……つらくない?怖かったりしない?」


「俺?平気だけど……。殺されてもしょうがないで済む世界なんだ。実際に、仲間を殺したことだってある。だから俺のことは心配する必要はない」


「そっか」


 俺が無理をしていると思ったのか、割り切れ無さそうな顔色と共に少し俯いてしまった。


 その辺は優も理解しているだろう。だが、知り合いが同時に五人も亡くなったなんて事実を十五歳の少女に伝えるにはあまりに重かったか。遅かれ早かれ同じだが、もう少しふんわり伝える事も出来たかもしれない。


 こういうことをあまり話さない為、少し困った。


「はい!この話終わりな?まあ、大変なこともあるけどさ」


 両手を叩いて大きな音を出す。その音に少し驚いた優は、下に向いていた目線を俺に向ける。先ほどとはまるで表情が違う俺に、憂いを纏った目が訴えかけてくる。


 強がっていないのか。本当は誰よりも悲しんでいるのを隠しているのではないか。


「強がってないし、もう悲しくないよ」


「え……どうして………」


「そりゃあ優は分かりやすいからね。その心の内だって丸わかりだよ」


「……変態」


 じとーっとした感じで見つめられる。そんな変なことを言ったつもりはなかった。


「まあ、今日はもう寝なよ。明日も勉強だろ?睡眠不足は人間の敵だ」


「……やだ。なるが帰っちゃうかもしれないし………」


「……え?」


 普段の優なら、そうね、おやすみ。と言って眠ろうとするはず。しかし、わがままな子供のようにぶつぶつと小さくぼやく。


「寝ようぜ」


「やだ。なるが寝るまで寝ないもん」


 そんな可愛いことを言うや否や、掴まれていた右手は徐々にその感覚を失い、俺の小指だけが優しく摘ままれている。どうやらこれは、逃れられないパターンだ。そういえば、いつも優に会いに来ていた時はすぐに帰ってしまっていた。それが理由なのかもしれない。だとしたら、悪いことをしているな。


「聞き間違いではないな。明日も早いんじゃないのか?」


「寝ている間に帰ったりしない……?」


「帰らないよ。それに、この件が終わったら東京に住もうっていう話は本当だし、たまになら遊びに来てもいいからさ」


「うん!行きたい。でも今日は寝ないから。おしゃべりしたい!」


「そこは譲るつもりはないのかい」


 先ほどの表情がどこに行ったのか、月光のように眩しすぎる笑顔が俺に向く。まあ、優のことだ。高校受験なんて余裕なのだろう。俺も少しなら教えてやることは出来るので、大丈夫だろう。


「あ、そうだ。なにか飲む?なるが好きな甘いミルクティーなら用意できるわよ」


「いいねえ。なぜ俺の好きなものなら用意出来るのがわかんないけど、貰っちゃおっかな~」


 好物で釣られて俺は気分が浮かれる。起きてからまだたばこ一本しか吸っていないので、余計に欲しくなる。


 リビングに行って、優はキッチンでお湯を沸かし始めた。俺には待機命令が出たので、ソファーに座って待つ。いかにも高級そうな三人掛けのカウチソファーだ。俺はその真ん中に背筋を伸ばし、背をつけずに座る。両端は二人が座るかもしれないと考えた。


 にしても、カップを用意する優の姿はかなり映えている。俺は指で窓を作って優を囲む。


 もう高校生になるのか。優が東京に来てから、顔を合わせたのは、三回。高校生と言えば、もう大人というイメージがある。なら、俺ももう大人か。実感ないな。でも皐月があれだから多分そんなに変わらない気がする。


「それに比べて、優はもう大人っぽいな」


「どういうことよ……」


「あ……いや。決してそういう意味じゃないぞ。ただ、大人っぽいってだけ。成長を感じるっていうか」


「ふーん?」


 粘りつくような視線を送ってきた彼女は、少し目線を下げる。恐らく第二次性徴期に成長する自分のアレを見ているのだろう。その下に自分を抱くように両腕を回し、少し持ち上げて勝ち誇ったように、ふっ。と笑う。


「まあ?皐月さんには負けるけど?それなりにあるわよ?いいでしょ?あーあ。なるにはついてないのね」


「一緒に住んでるから皐月に性格が似てきたな。ちょっと嬉しいよ」


 なんだか微笑ましくなってきた。あの皐月がめちゃくちゃいいお母さんやっているみたいじゃないか。優の前では一切たばこ出さないとか、やっぱりもう愛だよな。


「折り紙辞めることがあったら、二人を題材に映画を作るよ」


「なんでいきなりっ⁈」


「あら、楽しそうな会話ね。私も混ぜてもらえないかしら。もしかして、第二次性徴を迎えた人たちの園だった?」


 声のする方を見ると、お風呂上りであろう皐月の姿があった。白のバスローブを着ているが、この高級な家でその恰好は、もはやここは五つ星ホテルだ。ていうか、ほんとにいい暮らししているな。


 皐月は冷蔵庫から水を取り出して飲むとすぐにしまった。


「おかえり」


「おかえりなさい、皐月さん。事情は、なるから聞きました。大変ですね……」


「わかったわ。ありがと、なるちゃん」


「別にいいよ。それよりも、シャワー借りていい?髪の毛がたばこ臭いからさ」


「タオルは一番下の棚にあるから。好きに使ってちょうだい」


「おっけー。でもその前に、ミルクティーだ」


 可愛らしいカップとソーサーで運ばれてきた。運んできてくれた優に軽く会釈して、彼女は俺の左隣りに座る。まずはストレートで楽しんで、その後にミルクと砂糖を入れることにした。


「ん~。これは……ルフナ、かな。甘くて若干大胆な香りがするっていうか、お高いヤツなのかな」


「なるすごい…。よくわかったわね」


「皐月も分かると思うぞ。意外と味にはうるさいから」


「分かるわけないわ。おいしいものを口の中に入れるだけで私は十分なのよ」


「まあ俺たち意外と庶民派だもんな」


「カバーが雑過ぎない⁈」


 鋭いツッコミはどうやら皐月にウケたようで、それもそうね~、と控えめに笑った。


「少しゆっくりしましょ。長い時間の運転は疲れるもの」


「ふふっ。お疲れ様です。皐月さんも何か飲みますか?」


「ええ。でも自分で用意するから平気よ」


 そう言うと、バスローブの胸の谷に手を入れて、何かを取り出していた。


「やっぱりワインよね~」


「「………」」


 優は、皐月の異常な行為に光が宿っていない目を向けていた。


 そのワインはいかにも高そうだが、そもそも胸からワインを出す演出は必要だったのだろうか。ワインボトルを出した反動で二つの山は揺れていた。噴火のようだ。


 ワイングラスホルダーからグラスを二つ手に取り、俺の右横に座った。両手に花だ。


 ……ん、二つ?


「なるちゃんも飲むでしょ?たばこも吸ったことだし」


「いや、遠慮させていただく。優が居ることだしさ」


「ちょっとなる⁈どういうこと?まさか、やったのね?たばこを吸ったのね?」


 左の肩が悲鳴をあげたくなるほど、思いっきり掴まれる。


「えー。まあ、うん」


「そういうのは、二十歳になってからよ?絶対にやっちゃダメ」


「すいません……二度とやらないので、勘弁してください」


 かなりご立腹なようだ。優と違い、俺は不健全の不真面目だ。それに、彼女の前ではしっかりしなくては。悪い影響を与えてはいけない。


 それを横で見ていた第二次性徴をすでに終えていた人は、俺たちのやり取りを横で見て、クスッと笑う。


「なるちゃんならそう言うと思ったわ。だったら、二十歳になったら三人で飲みましょうね」


「なら、二十歳になるまでは絶対死ねないな」


 言霊のようなものだ。目標が出来てしまった。そんなものとは無縁の人生。死に場所を決められればそれで良かったのだが、どうやら彼女はそれが嫌みたい。折り紙らしくないが、犯罪者にそんなものは必要ないか。


「あ、そうだ!優ちゃん。あれ、言ってみてもいいんじゃないかしら?」


 突然手を叩いて何かを思い出したみたいだ。その時の皐月の顔は、やけに輝いていた。


「あれって………こんな時に言っちゃって大丈夫ですか⁈」


「ええ。そうよ。別に心配しなくても大丈夫。なるちゃんだったら、いくらでも迷惑かけても怒られないわよ」


「俺聖人君子だからな。滅多なことじゃ怒らないぜ」


「ほ、ほんと?じゃあ………」


 俺のボケはどうやら蛇足だったらしい。優は、自身の両手の指を絡ませてそれを、心配そうに眺める。


 そしてそれを聞いた時、俺の中で何かが壊れた。俺の考えを遥かに凌駕した優からの願い。


 そんなこと、とうの昔に捨てていた。いや、心のどこかに捨ててはいたが、端っこに落ちていたのかもしれない。結局は、諦めていた。故に想像できなかった。自分の人生を捨てた。そんな考え方はしたくないのだが、それを今しがた再考する余地が生まれた。


 もし今日ここに来なかったら。家族が死んでいなかったら、優のお願いを聞くことはなかったのだろう。だとしたら、今日は運命を変えた日になるのかも。



「ねえ、一緒に学校にいってみない?」

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