第4話 たばこ休憩

 車に揺られること約二時間。やっと高速道路に乗った。あの家はどこかに行くときには非常に不便である。俺が依頼に赴く際は大型バイクに乗って現地に行く。当然ながら、十五歳なので無免許運転である。小さい犯罪を行っても、だから何、程度にしか思わなくなってしまっているのは、やはり環境という要因が非常に大きい。


 家庭環境は子供が育っていく上で一番重要なものであると俺は考えている。極端に言ってしまえば、教育方針はどうだって良い。自由にのびのびやらせても良いし、一日に勉強時間を一時間は必ずやらせるとかでも問題ない。要は親が子供としっかり向き合っているということが大事なのだ。たとえ少し道を間違えてしまったとしても、手を引いて導いてあげる。それが教え育むことだ。


 折り紙の家庭環境はそれなりに最悪なものだった。まず、全員が犯罪者という点だ。どう考えても子供を置いていい環境ではない。この時点で終わっているのにも関わらず、教育方針は更に終わっていた。


 俺の教育方針は、「とにかく自由に素晴らしい犯罪を」という救いようのないものだった。


 仲間たちから、様々なことを教わりながら、自分の好きなことを沢山した。好きなこととは、訓練のことだ。これだけだと楽そうに聞こえるが、この裏では大量の人間を葬ってきた。


 俺にとっては、特に何ともなかったが、普通の人間ならすぐに精神が病んでしまっていたかもしれないと考えると、俺でよかったとも言える。


 無駄話をしたがそれはさておき、俺の悩みを聞いてほしい。この皐月の車の話だ。さっきは、気にならなかったがたばこの臭いが酷すぎる。車用の消臭剤の中身は空っぽになっていて、窓を少し開けている状態だ。


 多少皐月のつけている香水で緩和されていたのだが、限度はある。


 窓を全開にすると寒いと言われるので我慢するしかないのだ。


「ねえ、ちょっとこの車内臭すぎるんじゃないか?」


「そうかしら。この匂いの良さがわからないようじゃ、まだまだなるちゃんは子供ね」


 斜に構えたような顔で当たり前のことを言って、ふふっ。と笑ってくる。


「舐めないでほしい。受動喫煙歴なら、皐月よりも遥かに俺のほうが長い。仲間が吸っているのをよく隣で見ていたからな。髪は真っ白だが、肺は真っ黒だ」


「中々のブラックジョークね。受動喫煙歴なら勝てないわね。でも、主流煙を吸い込んだ歴なら私の方が長いわ。だからこそ言えることがあるの。それはね、お金の減りが異常に早いの」


「それは大変だ。もうカートンで買うのは終わりにしたほうがいい」


 後部座席を見ると、皐月がよく吸っている赤色のパッケージのたばこが四カートン。四十箱分積まれている。一つ五百円と考えると、二万円するのだろう。どのくらいのペースで吸っているのかは分からないが、さすがに体の心配をするべきだと思う。まあ、今は仕方ないで済むが、でも少しは自制させるべきか。


「カートンで買っているけど、一日に吸うのは三箱くらいかしら」


「ヘビースモーカーだな。もし俺が死ぬとしたら受動喫煙による脳卒中じゃなくて、糖尿病の方がいいな。甘党だし」


「なるちゃんが病気にかかるなんて想像出来ないわ」


 俺たちは、車内でふざけあっていた。少しでも皐月の心が楽になれるようにふざけていたら、皐月もふざけ始めてくれた。というか、そもそも俺も皐月も依頼が関わってくると非常にまともだがそれが無くなると、ただの頭がおかしい集団に成り下がる。


「なあ。もしかしてこの空間って、傍からみたらおかしいのか」


「今更それに気付いちゃうの?私はとっくにわかっていたわ」


「いつから?」


「たばこのくだりからよ」


「ほらな?」


「確かにそうね」


 俺は横目で皐月を見ると、彼女も全く同じことをしていた。それがおかしくて鼻で笑ったら、それも被ってしまった。一〇年以上の付き合いだとこれほどまでに息が合うものなのか。


 お互いが疲労を感じさせない所も似てきている。信頼の裏には大きな犠牲があったからこれが出来るのかもしれないな。


「たばこの臭いが気にならなくなる方法があるわよ」


「え、何それ聞きたい!」


「なるちゃんもたばこを吸えばいいのよ」


「解決どころか酷くなっていくじゃん」


 俺は運転席と助手席の間にある、ドリンクホルダーに入っていたたばこの箱に目をやる。それに気付いた皐月は不敵な笑みを浮かべて、ようこそ、と一言だけ言って会話を終了した。


 たばこの箱を手に取り、恐る恐る一本だけ引き抜く。ゆっくりと口に運び、俺は窓の外を眺め始める。だが、見えるのは街のいい景色ではなく、反対車線。新年ということもあり、混んでいるようにも見える。高速道路に乗る機会は極めて少ないので、せっかくなら素晴らしい景色も見たいものだ。どっちにしろこの車は左ハンドルなので、それが叶うことはまずないだろう。


「緊張しているの?」


 窓に反射した皐月と目が合う。また俺のことをからかっているようで、何だか複雑な気持ちになった俺は目を閉じて逸らしたつもりになる。彼女はいつの間にか、たばこを咥えていた。


「………何だか後ろめたい気分だ。何か悪いことをやっている気がしてさ。これを吸っちまうともう戻れなくなる気がするんだ。今夜食べるご飯の味がしなかったらどうしようかと思ってる」


「そんなこと考えるにはもう遅いわ。私も初めて喫煙したのは十八歳だったけど、後ろめたさなんて、すぐ忘れるわ。でも、もう最近は依存というより義務で吸っているのよ」


「やめ時見つかって良かったね。それは俺が預かっておくよ」


 振り返ると、既にたばこに火をつけていた。


「……まあ、俺が気にしても仕方ないか」


 俺は、諦めた。


「そうだ。こっちにも火を恵んでくれ」


「いいわよ。はい、どうぞ」


 皐月は咥えていたたばこを、人差し指と中指で挟んで俺の近くまで持ってくる。そんなやり方があるのか、と感心して口にくわえたまま先端同士をくっつける。


 少しだけ吸い込んで、端が燃えたのを確認する。そのあとに、たばこを口から離して吸い込んだ煙を吐き出す。それを数回繰り返し、肺がお気に召さないことを確認して灰皿にたばこを置いた。味の感想は、特に良く分からないという感じだ。ただ体に悪いということだけが分かった。


「うーん。なんだこれ」


「たばこ童貞卒業ね。おめでと」


「いや全然嬉しくない。というか今更だけど、あいつの前で吸ってないよな?俺は良いけど、その辺はしっかりしてくれよ」


「問題ないわ。家で吸ったことは一度もないし、あの子の前ではたばこすら出してないから。それに、家に帰ってきたら必ずシャワーを浴びるし、優ちゃんと一緒に出掛ける時も、これと別の車を使っている。私に死角は存在しないわ」


「その話だけ聞くと、俺惚れちゃうわ」


 普段は面白いお姉さんが、たばこ一つでこれほど完璧超人になれるのだ。さすが折り紙の仲介人。仕事の出来が人間の域を優に超えている。それどころか、行動が愛で溢れている。


 俺たちの話題になっているあいつ、あの子、優ちゃん、とは、折り紙とは別の家族である。


 俺が幼いころに山で倒れていたのを助けたのをきっかけに、一時期京都で一緒の家に住んでいたが、ある事件を境に皐月と東京で住んでいる。俺が今から行く皐月の家にその子はいる。歳は俺と同じで十五歳の中学三年生だ。俺と違って義務教育を受けさせているので、ちゃんといい子で相当まとも。現在親権は、皐月が持っているということになっているが、血が繋がっているということはない。


「あいつにも言わないとな~。少しは世話になったと思うし、犯罪者だからと言って関係が悪かったわけじゃなかった。でも、優ってなんか凄くない?一般人なのに、折り紙という空間で一年過ごしてた。よく耐えられたよな。心が壊れなかったのは凄いことだ」


「なるちゃんがメンタルチェックを怠らなかったからじゃないの?よく一緒に寝ていたって聞いていたのよ。因みに……写真もあるからあとで見せてあげる」


「お、みたいみたい。昔の俺とか絶対に可愛いもんな」


「なるちゃんの寝顔ってほんと天使みたいだったんだから。もちろん優ちゃんは今も天使みたいに可愛いわよ」


「その言い方だと俺は闇堕ちしたみたい聞こえるんだけど………」


 俺たちは、たばこを吸うのを止めて昔話に花を咲かせていた。優という少女の話になると、その場がお花畑になったかのように、話に花が咲いていく。俺も皐月も頬を綻ばせて、ここにいない少女の話で盛り上がる。それは、自分の娘がどんな大人になっていくのかと予想してみたり、それは久しぶりに会った家族がどうなっているのかと考えてみたり。血は繋がっていなくても、母親じゃなくても、法律上の家族ではなくとも、何も関係はない。


「早く会いたくなってくるね~。優に会うのは三年ぶりか。お正月だからまだ寝てるかもしれないから寝起きドッキリしよう」


「残念だけど、その可能性はゼロパーセントよ。今日も朝五時前には起きて、そのままランニングに行ってたわ。あれは超人よ」


「…………そりゃ、やべぇな。もしかして、俺よりも訓練しているのか?」


「その可能性は………捨てられないわね」


 そのまま俺たちは東京に着くまで、意味も脈絡も存在しない話を永遠と繰り返した。だが、それが良いか悪いかで言えば、良いのだ。


 自他共に認める美女で、折り紙の仲介役で、俺の家族である皐月は、いつも通り笑っていた。縁の下の力持ちで自分だってつらいはずなのに。大人としての威厳を見せた。ならば、俺は俺にしか出来ないことをやって見せる。

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