第28話 ヒーローは遅刻しがち
わたしは今日を楽しみにしていた。憐帝高校の入学式。
長い休みが終わって始まる学校なんて、いつも億劫だった。友達がいなかったわけじゃないけど、わたしが求めていたのは違う。ただ一つ。
時之宮鳴海と同じ学校に行きたいということ。
彼は、犯罪者でわたしと同い年で、それで。彼に恋していた。
昔、彼があるひと言を呟いたのが始まりだった。それがきっかけで、今日という日を願った。
ここまで来るために、色んな人に協力してもらった。それはまだわたしが子供で、たった一人の人間すらも救う力がないから。わたしに唯一出来るのは、彼の足を引っ張らないこと。彼がつまらないと思わないような世界に連れて行くために、自分の能力をあげて選択肢を広げることだけだ。
そして、それを成せる準備が完了した時、わたしも彼も大人に近付いていた。
成長したのは、身体だけじゃない。
約三年振りに会った時、彼の目を見た。薄墨色をしていた目はどことなく深い夜を募らせたような感じだった。きっと何かあったと、その時察した。
だからこそ、その時折り紙の皆さんが亡くなったことにあまり驚かなかった。
寧ろ、彼が生きていたことの方に安堵してしまい、少し自分が嫌になった。
この世界には彼が必要だ。それほどまでに彼は成長していたのに、わたしはただ勉強していただけ。全てが月とすっぽんのような差が生まれていた。
折り紙が危険で法を犯してでもこの国を裏から支えているのをわたしでも知っている。そんな彼をわたしの都合で引き留めている。
だからこそ、この高校生活を選んだことを絶対に後悔させてはいけない。
そのはずだったのに………。
「遅刻……するみたいです」
「え?」
校舎裏でわたしは皐月さんと二人で話していた。なるについてだ。
なるのことだから遅刻はしないと思っていた。折り紙の人は皐月さんも含めて時間にルーズな人が多いらしいけど、大事な時などは人が変わったように時間を守りだす。
もしかして、それほど大事なことだと思われていないのだろうか。
「う~ん。なるちゃんが優ちゃんとの約束を守らないわけがない。きっと面倒なことに絡まれたのよ」
「そうだと良いんですけど、来てくれますかね?」
わだかまりがあるみたいに上手く呑み込めない。彼は頭は良いが、向こう見ずなためきっと誰かのために時間を使ってしまっているのかもしれない。危険なことをしていないといいが、彼ならやりかねない。
皐月さんはスマホを取り出すと、地図のアプリを開いた。一緒に見ていると、一つ反応がありそこは新宿駅を示していた。どうやら、皐月さんが彼の居場所を突き止められるように、GPSを入れていたようだ。わたしも欲しいが言えなかった。
「えっ……どうしてなるが新宿駅にいるの?」
「あの子きっと、献花に行ってるみたいね」
「新宿にですか?」
「きっと爆破予告の件ね。多分気にしないでい………ちょっと待って」
「ど、どうしたんですか?」
横目で皐月さんを窺うと、開いた口が閉じていなかった。その唖然とした表情を放置しつつ画面に目線を戻すと、なるの居場所を表示しているであろうマークが新宿の駅を飛び出していた。
次の瞬間、皐月さんから何かのオーラが出ているような感じがした。びっくりして見てみると、皐月さんは笑顔を作っていたがどうにも目が笑っていなかった。
「さ、皐月さん?怒っています?」
「そんなことはないわよ?あ、そうだ。お昼は高級寿司を食べに行きましょうか。夜はステーキも良いわね」
「やっぱり怒ってる‼」
「大丈夫よ。なるちゃんは私よりも稼いでいるんだもの」
「そこは今関係ないですって!」
「半殺しよ」
「わ、わたし戻りますね~」
いまここになるが居たら、八つ裂きにされてしまうだろう。わたしのために怒ってくれているのは確かだろうけど、早く来てほしいけど、来てほしくない。わたしは一応教室に避難することにした。
教室に戻ると、席に座る間もなく同じクラスの人に囲まれてしまう。自分から話しかけるのは苦手だったので、チャンスに思えた。
「ねえ水無川さん。総代なんでしょ?」
「うん。そうだよ」
「すごいなぁ~。こんなに可愛いのに、勉強も出来ちゃうなんて羨ましいよ」
「あ、ありがとね」
「そうだ!LINE交換しない?」
「もちろんいいよ」
「あ、俺も交換したいです!」
「ちょっと待ってね、一人ずつね」
昔からの人見知りはそれなりに治ってきたが、完全に治ることはなさそうだ。
ハッキリ言ってしまえばわたしは容姿に自信がある。それは、自分のためでもあるけれど、なるのためでもある。彼は全ての人を釘付けにするほどの美人だ。彼の隣を歩こうなら、芸能人のようなレベルでないと公開処刑のようになってしまう。
彼に嫌な思いをさせないようにしなければいけない。
「みんな〰〰!もうすぐ式が始まるから廊下に並んでね~」
担任の先生らしき人が呼びかけると、生徒たちは慣れたように教室の外に出て列を作りだした。中学の時とは違い、全員が頭の良い環境だ。手を抜いているとすぐに勉強で負けてしまう。才能がないわたしは地道に努力するしかない。
「じゃあ、出発しま~す」
新入生の代表として登壇するので、先生の後ろ。つまり一番前に並んだ。折りたたみ式の手鏡で前髪をチェックしつつ、リップクリームを塗った。
わたしもなるも同じ一組。クラス編成に折り紙が干渉しているのは、なるには内緒だ。
体育館の前に着くと、ようやく実感が湧いてくる。今日まで本当に大変だった。
彼の横に立つために様々なことに挑戦した。向いているはずがない生徒会に入って、最後には生徒会長も務めた。月に数回ボランティア活動を頑張ったし、皐月さんにお願いして中学一年生の頃から家庭教師を雇ってもらった。憐帝高校なんて、わたしには夢のまた夢だったが、三年間の気持ちを全てぶつけたおかげでまさかのトップで合格することが出来た。
辛かったなんて一言で表したくないような三年間だったが、なるの日常と比べたら生温いと思えた。だからこそ、準備は完璧だった。あとは彼を待つだけだったのに。
「………ばか」
今日のお昼ご飯はお寿司の気分になった。
時刻はまもなく9時を迎える。なるはまだ到着していないみたい。
新入生の入場が始まる音楽が聞こえると体育館の扉が開き、先生の前を着いていく。一組の生徒が全員椅子の前に着き、着席の合図が出される。全クラスが着席すると、式が進行し始める。すると、重々しい雰囲気がこの場を占めて、先ほどまで緊張なんてあまりしていなかったはずなのに、わたしはその空気に飲み込まれたように身体が石のように硬くなった気がする。
校長の挨拶は長いはずなのにびっくりするくらいに短く感じた。わたしの出番が近くなっていく。来るなと願うが、そんな思いは一切届かず、すぐに来賓の挨拶が始まる。
最初に登壇したのは、わたしも知っているあの人だ。
「新入生のみなさん。私のことはテレビでご存じかと思います」
あたかも私は有名人だということを軽いノリのように言いこなしたのは、内閣総理大臣の敷田英俊さんだ。敷田さんの一言はどうやら周囲の空気を掌握したみたいで、新入生が笑っていた。重々しい空気は少し柔らかくなった。
敷田さんは周囲を眺めて誰かを探しているように見えた。恐らくなるのことだろう。しかし、この場にいないことが分かると、ため息を吐く。内ポケットから紙を取り出そうとしていたが、それを出さずに話し始める。
「改めて、ご入学おめでとうございます」
その時、敷田さんと目が合った。まるでわたしは機嫌をとられたような気持ちになる。
「これからの出会いはみなさんにとって価値のあるないにしても、経験になります。経験というものは、何ものにも代え難い価値になります。ですから、私に騙されたと思ってやってみることをお勧めします」
え、詐欺師みたいですって?政治家なので口は上手いのですよ。そう言って、5分程度の敷田さんの挨拶は終わった。入学式の挨拶としては適切ではなかったはずだ。
だが、わたしのためにあの話題を出したのは分かった。
その後PTAの会長や市長の挨拶を聞いて、次は新しく憐帝で働く教員の紹介の時間だ。
わたしはこれが一番見たかったのだ。なぜかと言うと……。
「養護教諭を担当していただく、
普段から考えられない程、真面目なスーツを着こなしていた。そのぴちっとしたスーツを着ることによってボディーラインが強調され、あの豊満な胸が歩く度より主張してきている。それなのに、スカートから露わになっているスラっとした脚。異常なスタイルの持ち主だ。皐月さんが登壇をすると、周囲の男性たちは感嘆の声をあげていた。
そう、皐月さんが保健室の先生としてこの学校で働くのだ。
「みなさ~ん。ご入学おめでとうございます。今年から、この学校で養護教諭として働かせていただきます、君影皐月と申します」
あの皐月さんが敬語を折り紙以外の人に使っているのがとても新鮮で吹き出しそうになった。口元を手で押さえて笑うのを我慢していると、わたしを見てニコッとした。
「みなさんと共に学校のことを覚えていけたら良いと思っています。一緒に頑張りましょう!」
胸の前で両手をグーにして、熱心さをアピールしているが本当にやる気はあるのかどうか分からない。だが、皐月さんはこの日のために通信制の大学に通い、忙しい時間の合間を縫って勉強し、教員免許を取得していた。あの人は中学生の時から折り紙にいて勉強なんて全くしてきていないはず。本当に凄い。
一人のために、大掛かりなプロジェクトが動いていた。一つでも欠けてしまえば、意味を成さない。
もう~。もうすぐわたしの出番が来ちゃうのに、なるはどこで道草を食べているの?
皐月さんが降壇すると、次は新入生代表の挨拶が始まった。
「新入生代表挨拶。新入生代表、水無川優」
「はい!」
わたしは名前を呼ばれて大きな声で返事をしたつもりだったのだが、掠れたようなものになった。そのせいで、今まで積み上げてきた自信がじわじわと削り取られていきそうになった。一年生全員が起立し、もう引き返せなくなった状況に気分が悪くなる。
来賓の皆さんに礼をした後、階段を一段一段踏みしめて上る。こんなに足が重くなったのは人生できっと初めてだ。
舞台に上がり、ついにマイクの前に辿り着いてしまう。一礼してマイクの電源を入れると、体育館のスピーカーから呼吸が聞こえてきた。ブレザーのポケットから原稿用紙を取り出して開く。
一度顔をあげて周りを眺めたが、悪手だった。代表としてわたしは期待されている。だが、わたしはなるみたいな周囲を自分のものに出来ないし、皐月さんのような才能はない。ボロを出さないように、大量の時間を使って取り繕っていただけだ。だからこそ、中学時代に友達と遊んだ記憶は無く、休日でさえ自分を高めるために時間を使った。
ここに立つのにわたしは相応しくない。トップなのはたまたまなのだから。
そして、ここまで頑張れたのはみんなが背中を押してくれたおかげでもある。一人では何も出来ない。
わたしは弱い。覚悟を決めたのに。
だからこそ手っ取り早く終わらせようとした時だった。
扉が開く。ゆっくりと、その空気を嗜むかのように体育館に足を踏み入れた。その瞬間、全員が彼を見た。全てをひっくり返したように空気を変える。まるで、ヒーローが遅れて登場してきたみたいに。
「めっちゃ綺麗じゃん………」
「芸能人でも霞むって。凄……」
その純白の髪の毛を揺らしながら、遅刻したことを悪びれた様子などなく、飄々とした態度で歩いてきた。彼はこの瞬間、わたしを抜かして主役に躍り出る。だが、周りの反応を気にすることなく、堂々とした立ち振る舞いは彼の十五年の人生映し出していた。
彼は、教員席にいた皐月さんを見つけるとぎょっとして何か言いたげだったが、来賓席にいる敷田さんを見て口パクで何か言っていた。
そして時之宮鳴海は、こっちを見て微笑む。まるで心の中を見透かしたように。先生が彼を席に誘導した。この空気を変えただけではなく、勇気を与えてくれた。
よく考えればそうだ。わたし一人ではまだ何も出来ない。いつも思っていたことは一つ。
彼がいてくれれば、わたしはどんなことにだって挑むことが出来る。失敗しても、怖い事なんて何もない。今まで頑張って来て、何度も涙を飲んだこともあった。
それが報われた。
あなたがいるなら、わたしは怖くない。
「暖かな春陽が照らす今日、わたしたちは憐帝高校の門を潜りました」
練習していた時よりもずっと完璧だった。
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