第27話 戯れ

 電車に乗っている間、先ほどの少女のことを考えていた。


 今まで依頼で関わったことも見たこともない少女が俺の名前を聞いた瞬間、悲壮感を漂わせた表情に変わった。俺は見落としている可能性を一切考慮しないほど、記憶力に自信がある。


 たとえすぐに思い出せなくとも俺の中で全て保管されており、どうでも良い記憶は奥底にしまっておくことで忘れた気でいるだけ。つまり、時間を掛ければその記憶を明確に思い出せる。


 別れた瞬間から、十五年間で見てきた全ての視覚的記憶にアクセスしているが一向に解決に辿り着かない。一方的に知っている……いや、俺が誰かに名前を教えた記憶は該当していない。本当に何者なのだろうか。


 俺の見た目について言及してこなかったのにも違和感があるが、それは多様性というものを彼女は十分理解できているからであろう。その点だけで言えば裏社会の人間っぽいが、彼女は聾者だ。他人と違う感覚で生きていればそのことに言及してこなくてもおかしくない。


 ここまでの結論をまとめると、考えるだけ時間の無駄ということだ。


 そんなことよりも考えなくてはいけないことがある。俺は今、窮地だ。


 待ちに待った入学式。今までずっと準備してきたであろう一番大事な日に、俺は遅刻確定というギルティ―な行為をしてしまうという。言うことがない。


 言い訳をして、じゃあしょうがないね。で済ませてしまうのは俺が絶対に嫌だった。だが、あの少女を言い訳に使いたくない。あれは俺のお節介であり、スマホを見つけてすぐに去れば良かった話だった。


 詰んだ………。心の中で呟いて、窓の外を見た。


 景色だけ移動して、俺はこのままここにいさせてくれないかな。


 だが、自分のケツは自分で拭く。そう教わって来たし、俺がやるべきことだ。


 たった一回の失敗は裏社会では命取りだが、ここは皆が生きる世界。


 何度失敗したとしても最後に笑うことが出来ればいい世界だ。


 最後に水無川優を笑わせることが出来れば俺の勝ちじゃないか。


 そうと決まれば、早く会いに行こう。今では、目の前にある扉すらもどかしくなってくる。


 電車が駅に着くと、俺はごった返す人混みの中を駆け抜けようとする。だが、やはり混雑する中では上手く進むことは出来ないし危険だ。はやる気持ちを抑えつつ、改札を出れば学校目掛けて走り出す。


 既に入学式自体は始まってしまってはいるが、出られないことは無さそうだ。来賓からの祝辞を読む時間が長いということを皐月から聞いていたため、入学式というのは長時間やることが想像つく。


 スマホを見ると、現在の時刻は9時26分。まだ始まってから30分も経っていない。多分、新入生代表挨拶には間に合うはず。これだけは絶対に間に合わせなければいけない。


 そう、優が登壇するからだ!


 これだけは絶対に遅刻することは出来ない。


 俺は自慢の脚力を生かし、全速力で走る。制服は意外と動きやすいことに感心していると、遠くのほうにようやく見えてきた。目を凝らせば、正門の隣の立て看板に入学式と書いてある。俺がしばらくお世話になる学び舎。


 東京都立憐帝高校。


 都立入試における最難関高校であり、現内閣総理大臣である敷田英俊の出身校でもある。今日は彼も祝辞を読みに来ているそうだ。


「ここが、俺の新しい世界?」


 目の前に広がっている校舎は、生徒のためのキャンパスと思わせるようなパールホワイトの壁面が見える。俺が色を塗るとしたら、何色を選ぶのだろう。今はまだ思いつかない。


 まるで夢を見ているのではないかと勘違いしそうになる。ここに、本当に俺が行っていいのか。やっぱり、何かの間違いなのかと。まるで実感が湧かない。この着慣れない制服も、感じたことのない学び舎の空気も、全て疑いを持ちそうになる。


「敷田も言ってたな。高校とは“夢への入り口”って」


 確かに分かったよ。現実と区別がつきそうにないね。もちろん、違う意味で言ったのだろう。だが、俺にはそう聞こえないよ。


 俺にとって、この瞬間から人生謳歌の瞬間が始まる。全ては暇潰しに過ぎない。


 夢も将来も、ここで考えることは全て無意味。ここに来たのに明確な理由はない。それに、俺はきっとここで卒業を迎えることはせず裏社会に戻る。それは、刃に殺されるのではなく、自分で退学を選ぶのだろう。


 暇潰しという、中途半端な時間。


「まあ、それでもいっか」


 何かに縛られることなく初めて自分の意志で未来を変えた。それが、暇潰しでも、そうじゃなくとも俺はそれを尊重する。俺自身を。


「あ、やべ。はやく行かないと」


 憐帝のスタートラインを飛び越えて、俺は玄関まで走った。だが、初めてきた場所だし体育館はどうやって行けばいいか分からない。一刻も早く教員を見つけないと、今度こそ間に合わない。


「おーい。こっちだよ~」


「………なんでいるんだよ」


 校内に入った俺は、ある人間に声を掛けられ止められた。それは、この学校の教員ではないし、来賓の者ですらない。振り返って向き合うと小さく手を振ってきた。


「久しぶりだね、鳴海くん。ご入学おめでとうございます」


「ありがとうございます。……って、Aはここの生徒じゃないでしょ?」


 最敬礼をしてくるので、俺もそれに倣うが直ぐに頭をあげて目の前の現実を直視した。


 刃のボスであるAという女だ。


 長い純白の髪を今日はまとめてお団子ヘアにしている。その髪色と同じのセレモニースーツに身を包んでいた。何か隠していそうな、目は今日も閉じたままだった。


 あの日以降会っていなかったが、まさか憐帝まで足を運ぶとは思ってもみなかった。それに、奏の姿が見えない。もしかして一人で来たのか?


「悪い、今急いでるんだ。終わってからにしてくれ」


「新入生の挨拶が始まるまであと、11分4秒あるから大丈夫。少しお話しようよ~」


 後々面倒なことになりそうだったので、宙ぶらりんな心を説得して頷いた。


「今日は入学式だからね。来ないと思っていたでしょ?」


「予想外過ぎて怖い」


「私のお世話係の子もここに入学するから、一緒に写真を撮ろうと思ってここに来たんだけど、もしかして鳴海くん。まさかの遅刻?」


「ああ。入学早々やらかしてしまったよ」


「水無川優は怒っているよ。後でちゃんと謝らなきゃダメだよ?」


「………優しいな。お前らしくないよ」


「お互い様だよ。私も、鳴海くんも、この無意味な時間を同じ場所で共有しているんだから。少し変な気分になるでしょ」


「慣れないことは、才能があっても大変だな」


「それに、鳴海くんが大切にしている水無川優も高校入学するというのなら、私もお祝いするしかないよ。でも、君は嫌がると思ってまだ接触してないから安心して」


「お前の厚意をいい意味で受け取っておくよ。で、本当の目的は?」


 Aは数メートルもなかった距離をさらに縮めてくる。どう考えても土足禁止エリアなのにヒールを悪びれもなく履いている。それでも俺の方が高いため、彼女はじーっと仰ぎ見てくるので、どうした?と声を掛けた。


「今日の私、可愛い?」


「…………今聞くことじゃないだろ」


「可愛いでしょ~?」


 ぷりっとした大人びている紅の唇に人差し指を当てて、それとも美人って感じ?と呟くがそうじゃない。


「結論から言っておくと、俺が一番可愛いと思う」


「出た〰〰〰‼真珠の子特有の異常な自信。学校でやったら嫌われると思うよ」


「自信があるのは良い事だろ。それにぶりっ子よりましじゃない?」


「確かに。私たちはとっても可愛いから許せるけど、他の女がやったら異能で絞めちゃう♡」


「怖ぇーよ」


 こんなことをやるのならば、すぐに体育館に行きたいのだが全然解放してくれない。会話を終わらせようとすると、それでさ~と永遠に中身のない話を繋げようとしてくる。俺には彼女が体育館に行くのを必死で阻止しているように見える。というより、俺の焦る所が見たいのだろう。


 というか、こいつもお世話係の晴れ舞台を見に来たのならなぜこんな場所にいるのだろうか。


 既に7分4秒経ったため、さすがに俺も焦りそうになった。


「じゃ、行こっか」


「ふざけんな」


 結局戯れていただけだった。


「あ、私はこっちじゃないんだよね。だからここで一度お別れだよ」


「どうせすぐ会いに来るんだろ?」


「まあね。それともう一つ。私の連絡先を教えておくから控えといて」


「………なぜ?」


 どうせ刃の人間が監視をしているから俺の情報なんて筒抜けだと思っていたのだが、どうやらあちらにも何か事情があるみたいだ。


「………あんまり言いたくないけど、まあいっか」


「言いにくいことなのか?」


「そんなことは無いよ。でも、うちの問題はうちで片付けたいの」


「それで俺の生活に支障が出るなら、聞いておくわ」


「────────可能性はある」


「へえ」


 この意味のない駆け引きはすぐ終わりを迎える。Aは、俺に対して絶望してほしいと言った。それがこれの話と繋がっているのならば、俺は当然介入する。だが、彼女はただ俺を怖がらせるためのお遊びとしか考えていないのかもしれない。


 無駄に俺は彼女を警戒しつつある。


 しかし、それはAとて同じことだ。こいつは俺のことを異常に観察している。俺の次に繋がる一挙手一投足を注意深く見ている。目を閉じてはいるが、確実に認識できている。


 俺が武器を持っていると仮定しての行動だ。だからこそ、見た目の違和感を探している。


「うーん。思考が似ているね」


 俺は彼女の思惑に気付き、彼女は俺の思惑に気付いた。


「本当だな」


「やっぱり敵同士なのが悔しいよ。私たちは家族なのに」


「家族じゃないよ」


「………それより、連絡先教えるね」


 ご丁寧にメールアドレスと電話番号を口頭で言ってきた。そうして、俺から少し距離を置いたAは手を小さく振ると外に出ようとして歩き出す。その背中を見ていると、チラッと一瞥してきた。


「帰るね」


「お世話係のやつはいいのか?」


「うん」


 そう言い去って、もうこっちを見ることはなかった。


 連絡先を貰ったことに関しては、きっと何かあるのだろう。だが、あいつらが他のことに気を取られてくれるのは千載一遇のチャンスだ。見逃すわけにはいかない。


 それにしても、高校入学ってこんな大変なのか。世の中の学生は大変だねぇ。


 割かし楽かと思っていたはずの生活は、すでに苦行の域にあった。だが、もう目の前にはあるのだ。俺が初めて体験する自由というものが。


 自己責任が前提の命懸けの犯罪組織で働けば分かる。全てを持っていても、全てを叶えることは出来ない。どれだけ願ってもどれだけ努力したとしても、限界はある。


 才能もある。金もある。努力も出来る。それが出来る環境だった。俺は全て持っていた。



 だが、俺は自分よりも大切な存在たちを失った。



 その成果が現状だとしたら、意外と重たいな。もっと気楽にこの暇潰しをすることが出来たらよかったけど、そう簡単にはいかないか。ここまで来るのに、こんなにも犠牲を払ってしまったのだから。


 だから、彼らが見ているのなら楽しい人生を謳歌している姿を見せたいな。


「何しているのですか?」


 俺に声を掛けてきたのは、ここの教員らしい男性だ。


「すいません。遅刻してしまったんですが、体育館はどうやって行けばいいでしょうか?」


「一年生ですか。初日から遅刻とは中々肝が据わっていますね」


「俺は生まれたときから首がすわっていたらしいですよ」


 あいさつ代わりのジョークを飛ばすと、面白い冗談ですねと失笑される。だが冗談ではない。全て事実だ。世の中は不思議なことだらけ。



 これから起きることは、事実に過ぎない。

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