第29話 自撮り
「………本当にごめんなさい」
入学式が無事終了した。一時はどうなるかと思ったが、結局なるに助けられてしまった。
しかし、これはこれ、それはそれ。なるが遅刻したことには変わらない。わたしと皐月さんは再び校舎裏にいた。先ほどと違うのは、なるがいることだ。
上半身が地面と平行になるほど頭を下げている。さっきから微動だにしていないのは目の前にいる皐月さんが鬼の形相で、なるを見ているからだろう。わたしは皐月さんの後ろからそれを傍観していたが、埒が明かなさそうだったので救済を与えることにした。
「わたしはもう怒っていないよ。なるに助けて貰っちゃったし。さっきはありがとう」
「優……俺を許してくれるのか?」
「わたしたち、今日のお昼ご飯はお寿司が食べたいかなぁ」
「ああ。握るよ」
「そうじゃないでしょ」
このままだと本気でお寿司を作り始めるだろう。なるが握るお寿司も是非食べてみたいけど、今日は回転寿司で良いのだ。
「それでなるちゃん。ちゃんと説明してもらえるんでしょうね?遅刻の原因を」
「そりゃあもちろんですよ皐月さん。包み隠さず教えます」
そしてその体勢のまま、朝のことを話し始めた。見かねたわたしは、こちらを向いた肩をトンと叩く。なるは身体を戻して腰を反らした。
「学校に来る前に、新宿駅にある献花を見に行ってたんだ。もちろん時間通りに入学式に行くつもりだったからすぐに電車に乗ろうとしたんだよ」
「でも、乗らなかったと………」
「言い訳をさせてくれ」
「黙秘権を行使しても良いのよ?こっちには証拠があるんだから」
「黙秘は刑事裁判の時は有効だが、民事裁判でやったら不利になって終わりだ。………因みにこれって民事で良いよね?」
「あら、怖いのかしら?私たちなんて生きてるだけで執行猶予中みたいなものなのに」
「皐月がかなりキレてる事は充分分かったので、一度だけチャンスをくれ」
なるはじりじりと距離を詰めてくる皐月さんを両手でまあまあとなだめつつ、距離を取った。
「実はある人の落とし物を探すのを手伝っていたんだよ。だから電車に乗れなかった」
「証拠は?」
「俺の目の中を見てくれ。皐月なら、その微々たる動きで分かるだろ?」
皐月さんはなるの薄墨色をした目を凝視した。真っ直ぐで、嘘偽りのない純粋な瞳は皐月さんに訴えなくとも伝わると確信しているかのように、目じりにしわをつくった。
「確かに、嘘では無さそうね。疑って悪かったわ」
「いや、悪いのは遅刻した俺だ」
「そうね。遅刻したんだもの。なら今日はお寿司で決まりね」
「ありゃりゃ?和解という言葉が存在しないみたいだ」
両手を広げてお手上げのポーズをすると風が吹いた。なるの髪が靡くと、その耳元がキラっと光った。
「なる、耳にイヤリングを着けているの?」
「お、気付いちゃった?」
「うん、それ可愛いね。女性ものに見えるんだけど、それって心さんの?」
「正解。あいつが俺にくれたんだ。これは俺たちの始まりみたいなものだからな」
「懐かしいわね。あの時はまだ優ちゃんとは知り合っていなかったし、私は十四歳だったものね」
「え、未来護が創られた時って皐月さんも関わっていたんですか⁈」
「そうよ?子供三人で知らない場所まで行ったの。全員死にかけたのはいい思い出」
皐月さんもなるも折り紙のことを自分から話すことは滅多にない。わたしを仲間外れにしているつもりではなく、折り紙で起きたことは誰にも漏らしてはいけないというルールが暗黙の了解であるみたい。
話のさわりの部分は教えてくれないため、いつもわたしは想像するしかないのだが今日は、なるの遅刻を免罪符に聞いてみることにした。
「もっと詳しく教えて?」
「えぇ、いや。ちょっと…………目がキラキラしてる。俺が遅刻したのを良いことに聞こうとしてるな?」
「ば、バレた」
分かりやすく目を逸らしてしまうと、なるはわたしに近付いてくる。身体を嘗め回すようにじっくり見られ、触らなくても顔が熱くなっていた。
「そういえば、優の制服姿って新鮮だな。素敵だよ」
「……っはぁぁぁぁぁ〰〰〰〰〰〰⁈」
まるでやかんが沸騰した音みたいな声が出てしまい、自分でもびっくりする。なるはそれを聞いてとぼけたように首を傾げた。もちろん本人は正直に思ったことをそのまま言っているのだろう。
しかしわたしにとってそんなの関係ない‼無自覚最低!
もし、褒められたら大人の余裕を見せつけながら受け止めようと思っていたのだが全然ダメだった。そのさりげなさも玉を転がすような声もわたしの心にクリーンヒット。
「あ、ありがとう?」
「ありがとう?何で疑問形………」
「なるも、すっごく素敵だよ」
「うん!ありがと」
チラッとなるを見た。二枚目の彼は慣れたような笑顔だった。
まあそうだよねぇ~。言われ慣れちゃっているよねぇぇ~。
色んな人が彼をそう評価してしまうので、言い寄られることもよくあるはずだ。だからこそ、わたしの言葉が簡単に響かないことが悲しい。
彼はわたしでなくても良いのだ。
「あ、そうだ!みんなで写真撮らない?なるちゃんはカメラに写るのが嫌いだけど、今日くらいは良いでしょう?」
変化をいち早く察知したみたいに、皐月さんが手をパチンと叩いた。
「最近は慣れてきたんだよ。大っ嫌いだけどね」
「そんなに嫌なの?」
「だって記録に残さずに生きていくのが俺の生き方だぜ?あいつらだって写真を撮られるのは嫌いだったじゃん」
「でも今は〰〰〰?」
「折り紙じゃなぁ〰〰い」
「決まりね!」
皐月さんは強引だったが、なるは意外と乗り気だ。
彼はこれからの人生を楽しもうとしているのに、誘った本人はばかみたいに落ち込んでばかり。意味のないことだ。
既に殆どの新入生は帰路についており、学校に残っているのは片付けをしている在校生と教職員。皐月さんは養護教諭ということもあり、雑用をすることはないみたいだ。
わたしたちは正門にある入学式の立て看板の所に行く。
「ていうか皐月。いつの間に教免なんて取ってたんだよ。目が合った時めっちゃびっくりしたわ」
「ずっとヒヤヒヤしてたわ。なるちゃんすぐ変化に気付くから折り紙のみなさんに協力してもらってたけど、ずっと訓練してるって聞いてたから杞憂に終わっちゃった」
「鈍感より無関心という方が適切みたいに言うなよ」
「私は鈍感だと思うわよ」
「言われなくても俺が一番分かってる」
「へえ?」
歩きながら楽しそうに話すのを後ろから眺めることしかできないわたしは、独りぼっちのような感覚だった。
でも、それでいい。なるが楽しそうにしているのが一番大事。わたしの人生の主人公は彼であれば、それでいい。脇役でも構わないの。
でも、そのにこやかな表情を安心して見ることが出来たその努力をせめて知っていて欲しい。なるが簡単にできることはわたしには難しいものばかり。料理も勉強も運動も親切さだって、背伸びをしてやっと得られる。
なんて、押しつけがましいかな。
「すいませ〰〰ん。写真撮ってもらえます?」
正門に着くと、なるは我が子の晴れ姿を見に来ていた人に話しかけた。わたしと皐月さんは先に位置を決める。なるを真ん中にして、右に皐月さん。左にわたしが立つことにした。
スマホを渡したなるがこちらに来ると、真ん中に誘導する。
「はーい。笑ってくださーい」
男性が声を掛けて、皐月さんは妖艶な笑顔をつくった。
「あ、そうだ」
何かを思い出したようになるが呟く。
「優、今更と思うかもしれないけど言っておく」
「…………っぇ」
反応が遅れ、驚きにもならないような声が出た。
「今日を安心して迎えることが出来たのは、優が今日までしっかり準備をしてくれたおかげだ。中指のペンだこも、代表挨拶も、俺は一切関与していない。全て自分が頑張って自信に繋げた。あんな泣き虫だった優が、さっきの優と重ねても一致しない。だから今日は本当に来てよかった」
わたしは右手を見た。そんなこと気にしていなかったほど勉強に打ち込んでいた。
「きっと俺は、心や折坂たちにこの舞台を準備して貰ってたら、大して魅力を感じなかっただろうね。いや、興味すら持ってないかな」
「なる……なんでっ………」
「優が誘ってくれて嬉しいよ。せっかく人生を謳歌するなら、優や、気の合った奴と一緒が良かったんだ」
目頭に涙が溜まり、ハンカチを取り出そうとしたけど間に合わなかった。スマホを構えた男性が戸惑うが、慣れたように皐月さんが近付いて一度中断すること説明し、男性を解放していた。
なんでこういう時にわたしが欲しい言葉をいつもくれるの?わたしの心が欲しいのならいつでも簡単に手に入れることが出来るのに、それをしないなんてわたしを弄んでいるの?それとも全部本音なの?
あなたの心を読もうとしても、全然分からないよ。
「ごめんごめん。泣かせるつもりはなかったんだけど」
「ばかぁ………最低っ!」
「言いたいことは早めに言っておこうと……ね?」
「…………ほんとに最低」
「ほら、俺のハンカチ使っていいから」
天使のような微笑みでそう言われると、何も言い返せない。真っ白のハンカチを受け取ると、皐月さんはなるを見て呆れたような表情で軽く不満を表す。
「全く、何で泣かせたのよ。そうさせないのがなるちゃんの仕事でしょ?」
「後で感謝を伝えても良かったけど、今の方が良いと思ったんだよ」
「どうして?」
「そりゃ、一つしかないでしょ」
なるは皐月さんからスマホを受け取り横で持ってカメラで内側を写す。伸ばした腕に桜が舞い落ちてきた。
「俺は自分の気持ちを大切にしたいの」
わたしはカメラ越しにその幸せそうな笑みを見ていた。
それは遅刻した原因でもあるのだろう。犯罪者のくせにお人好しで、人に笑顔を届ける。意味が分からない。
自分が負担になっていてもまるで当たり前のように振る舞う。困っている人がいたら見捨てられない才能があるくせに不器用な人。その優しさに沢山の人が救われてきた。
わたしもその覚悟に見惚れたからここに居る。
涙をぎゅっと拭いて、カメラの画角に入り込んだ。
「もう大丈夫。皐月さんもありがとうございます」
「優ちゃん。………なるちゃんは本当に感謝したほうがいいわよ」
「もちろん。……で、ここを押すとシャッターが切れると」
なるが一回ボタンを押して一枚ぱしゃりと撮った。それを確認すると、二人だけの世界が映っていた。真剣そうな顔してシャッターを切っていたその表情も、わたしの中で既に思い出になった。カメラのフォルダーにはその一枚しか保存されておらず、少し目が赤くなっていた写真が一枚目を飾ることになったのは決まりが悪い。
「……後で送ってね」
「おっけー」
「次は私も入っていいかしら?」
「もちろんです」
「じゃあ優ちゃんのお隣にお邪魔するわね」
わたしの左に皐月さんが来る。二人に挟まれて、たまに押される。
「ちょっと優もう少し左行ってくれ。看板が写らない」
「皐月さんもう少しズレてください」
「なるちゃんが角度を変えれば良いのよ。私のせいにしないで」
「いやこの画角は高校も入ってるんだよ」
「じゃあしょうがないわね。えいっ!」
「おっと」
「ひゃぁ⁈」
皐月さんが思いっきりこちらに詰めてきて、殆ど無かったような隙間がゼロになった。左腕に抱きついてきて、隠す気のない凶器のような乳房を当ててくる。
でっっっっっっっっっっっっっっっか‼
声に出して言いたくなるほど主張してくる。別に大きければ大きいほど良いというわけではない。でも、何故かわたしは負けた気になった。
「よし。これで全部入ったな…………で、掛け声ってなんて言えばいいんだっけ?」
「私は自撮りなんてしないから分からないわ。優ちゃんなら知ってるでしょ?」
「えぇーっと、わたしも友達とかとあんまり遊んだ事ないので分からないです」
「「…………ごめん」」
「そんな顔された方がなんか悲しいんですけど‼」
二人はわたしの境遇を知っているからこそ、しゅんとして謝ってくる。慣れないことにもこうやって三人で楽しめれば、わたしは満足だ。だからこそ。
「なら、わたしが掛け声をするので合わせてくださいね」
「それがいいね」
「私もそれがいいわ」
言う言葉は決まっている。わたしたちの始まりにふさわしいものだ。その一ページ目には、桜を挟んでおこう。
わたしはなるに密着する。彼の左手は、親指と人差し指と中指が立てられていた。
「『1+1+1』は?」
「「3‼」」
パシャりと鳴ったシャッターに、桜よりも満開な笑顔が切り取られた。
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