第35話 星
アラームが鳴る前に目が覚めた。まだ朝の4時。誰もが眠っている時間に動くのが犯罪者としての癖になってしまっている。カーテンの隙間から入ってくる月光を頼りに、着替えて準備を始める。
俺が憐帝高校に行っている間は、訓練の時間をつくるのが難しくなる。自分からその選択をしたため、その責任として高校に行っていない時間のほとんどをそちらに費やさなくては、俺の完璧が潰えてしまう。
それだけは何が何でも嫌であるため、朝の時間を訓練に充てることにした。
幸いなことに、近くにそれなりに広い公園がある。そこなら周囲を気にすることなく運動が出来るし、かなりの穴場だったため補導のことを頭の中から消し去って集中できる。
そして、俺には強い武器がある。そう、スマートフォン。現代人が多用する最強の武器。これを使うことによって、より効率的な能力向上が図れそうな気がした。
そう意気込んで、近くの公園に走った。その景色は相変わらず人気が一切無いような静かな場所だ。尚且つ深夜、まさに完璧と言える。
しかし完璧でないものがある。そう、星空だ。
深夜の空は星屑の溜まり場だ。それが絶景であり、誰もが魅了される世界の宝物だ。だが都会では夜を飾るのは人工的に作られた光。星は恥ずかしがって見えなくなってしまうが仕方ない。
街灯の下にあるベンチに座り、YouTubeを開いた。昔はスマホなんて一切触らなかった俺がこうして動画を見ようとしているなんて……感慨深い。スマホなんかうるさくて邪魔だから要らないとかほざいていた俺はどこに行ったのだろうか。
進化は嬉しくもあり、寂しいものだな。
俺が一番重視していることは体力の低下だ。これは絶対にあってはならないことだ。今後、刃と戦闘をしていくことが確定している以上、何か強みが無くてはいけない。だからその強みを徹底的に完璧にし、さらに伸ばす必要がある。
俺の強みと言えば、頑張れば一か月は寝る必要の無い身体と無尽蔵の体力があること。だが正直言ってしまえば、睡眠はせいぜい一か月程度が限界だし、体力も最早人外の域にいるため、今後の成長は見込める気配がない。既に限界を越してはいるのだ。
だからこそ、今俺がやるべきことは決まっている。
「精神力を更に鍛えることだな」
スマホをベンチに置いて立ち上がった。それで俺は優に聞いてみた。精神的につらいことは何か?と。するとこう答えた。
う~ん。シャトルランかな。あの音が本当に嫌だし、簡単に限界を作れちゃうからなんか悔しいの。
シャトルランとは、体力テストというものの種目らしい。簡単に言えば二十メートルを体力が尽きるか、音楽が終わるまで永遠に走り続ける競技らしい。
そんなもの軍隊じみたことを義務教育としてやらせる日本は正気とは思えないが、お偉いさんが頑張って考えた結果なのだろう。折り紙の俺はそこに口出しはしない。
なので俺もそのシャトルランとやらをやってみようと思う。公園は二十メートル以上あるため丁度いいだろう。
二十メートルを正確に目測で測り、分かりやすい目印としてラインを引いた。ワイヤレスイヤホンをして、一番上にあったシャトルランの音源を流した。
「………あれ、遅くない?こんな簡単なの?」
耳に流れた音は非常に遅く、歩いても簡単に反対側へたどり着きそうだった。これを永遠とやり続けるには逆に難しい。すぐに飽きてしまいそうだし、精神力なんて鍛えることは不可能だ。………もしかしたら、これを永遠に続けることこそ精神力を鍛えるということか?ならばやるしかない。スマホはベンチに置いてスタートラインに立った。
だがさすがに音が遅すぎるので、優に教えて貰った二倍速再生をして始めることにした。
『スタート』
女性の声が聞こえ、俺の永遠に終わることのない戦いが始まった。鉄琴のような楽器がドレミファソラシドのメロディーを奏でている。確かにこれは運動が苦手な人があぶり出されるし、地味にこの作業的な行動をするために体力をすり減らしつつ行うのは嫌な感じも分かる。
まず一回目の折り返し。俺はラインを踏んでスタート地点まで戻る。この程度、ウォーミングアップにもならない。ぬる過ぎて既にやめたくなっていた。やるだけ時間の無駄なのではないか。これなら山を永遠に走り続ける方がマシだ。
八回目。さっきまでとは違い、少しテンポが速くなった。俺もそれに合わせて少し速度をあげる。始まってから約三十秒。俺は最初遅かった理由を理解した。シャトルランが嫌われる本当の理由はこれか。
しかも俺は二倍速だ。本来は約一分ごとにテンポが上がるのだろう。
ということは、皆が一分でこなすことを俺はその半分で行わなければならないということだ。あの動画は二十分程度だったはず。
十六回目。二十メートル地点のラインを蹴った。さらにテンポは上がる。体力的には問題は全くない。速度にも難なく着いていける。今のところは平気だ。
三十三回目。四十二回目。五十二回目。六十二回目。七十三回目。八十四回目と続けているがまだ体は温まらない。既に速いとかのレベルではない。これは絶対に二倍速でやるべきではないし、俺の出しているスピードも折り返しの速度も人間では説明がつかないほど速くなっている。
一分で220メートル走らなくてはいけないものを俺は三十秒で走る必要がある。
音源よりも速く走ることだって可能だ。しかしそれでは何の成長にもならない。失敗と成功の間をだけを見つめそのギリギリを狙うことで、自らの精神力を鍛えることに繋がるのだ。いつもそれを大事にしていた。だからこそ、俺は限界を狙い続けていた。
119回目を迎えた時、その時事件が起こった。
「……ねえ、ちょっと!」
イヤホンをしていても聞こえるような大きい声が耳に入って来た。女性のような声だが、俺が呼ばれたのか分からないため、無視に徹した。
「そこの白髪!聞いてるの?」
ここで俺の特徴的な髪の毛を指摘される。近くにご老人でもいるのかなと思っていたのだが、多分これは俺のことだ。スマホを置いたベンチの横に誰かが立っている影があった。止まって声を掛けても良かったが、今俺は重要な訓練をしているのだ。わざわざ深夜4時に声を掛けてくるような不審者に使う時間はない。
俺の心に迷いはなかった。
「あ、音楽流してるから聞こえてないわね。えい」
『127………』
シャトルランの木琴のような音が途切れた。イヤホンが壊れてしまったわけではない。白髪呼びしてきたあの女性が流していた動画を止めたのだ。俺はゆっくりと走ることを止め、完全に足が動かなくなった。
「ねえちょっと。なんでこんな深夜にシャトルランなんかやってるの?」
「………美貌披露会とか言ってた奴じゃん」
俺の大切な時間を邪魔してきたのは、昨日の朝に廊下で見た女性だった。その時は、時間がなかったのであまり何とも思わなかったが、恐らく変な人間なのだろう。
見た目は大変整っており美人ではあるが、何かのイベントを美貌披露会とか本気で言っちゃってしまうタイプだ。面白い人なのだろうが、こんな時間に話しかけてくる時点で関わりたいとは思えない人物。
だが、俺の内情なんて露知らず。俺に近づいてくる。彼女も運動している最中だったのか、上下セットのスポーツウェアを着ているし、キャップを被っている。それに少し汗ばんでいた。
「あんた時之宮鳴海でしょ?今日の入学式でバカみたいに目立ってたし、芸能人であるこの私が霞んでたから会ってみたかったの」
「憐帝高校の生徒だったのか?」
確かにあの時憐帝の制服を着ていたが、その時点では俺は女子の制服を知らなかった。それに新入生と一言も話さなかったため、こんな美貌を鼻にかけるような子が憐帝にいたことを認識すらしていなかった。
…………え?ということは、憐帝の入学式が美貌披露会ってこと⁈えぐいなこの子。関わるのやめようかな……。
「じゃあ学校で会おうさようなら」
「いやいやいやいや!ちょっと待ってよ」
スマホをポケットにしまって美貌披露会の主演の人から距離を取ろうとしたが、腕をがっしり掴まれた。振り払うことも出来るがそんなことをしたら余計に面倒を起こしそうだ。
「何なんですかあなた。ちょっと触らないでください。警察呼びますよ?」
「知らないふりしないでよ。あんた私のこと知ってるでしょ?」
「まあ知ってる。名前だけだがな」
彼女の名前は夕凪真凜。十五歳の女優だ。テレビを見てこなかった俺でも知っているほどの有名な女優である。そんな彼女がなぜこの学校にいるかは不明だ。
「何でこんな学校に居るんだ?俺でも知ってるような女優なら、連日大忙しだろ」
「はぁ?あんたテレビとか見ないわけ?活動休止してるのよ。私レベルなら女優なんかいつだって出来るからJKの方が大事に決まってるじゃない」
「へえ。そ、そうなんだ」
この傲慢美少女は自信ありげに胸を張る。皐月には到底敵わないが、確かに強気になれるほどの実力が揺れて主張していた。それに、この時間から運動しているということはそれに拍車がかかっていてもおかしくない。
「あ、今胸見てたでしょ〰〰〰〰〰変態さんだぁ」
俺を蔑みつつ嘲り笑うと、それを圧迫するかのように自分自身を抱きしめた。恥をかかせたいみたいだが、お色気作戦は痛くも痒くもない。裏社会にはそんなことしてくる奴らが山ほどいる。その人たちには効かないが、この子になら効くことがある。
「触りたいんだったらどうぞご自由に?」
「………」
無言でその朗らかな膨らみに手を伸ばした。もう少しで上陸できたはずだったのだが、手がはじかれた。やはり旅には困難がつきものだ。
「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁああ⁈何触ろうとしてるのよ!変態!」
「いや自分が言ったじゃないか」
「確かに言ったけどさあ………もう少し、場所と雰囲気作ってからにしなさいよ……ばかぁ」
目には涙を浮かべて、怒りを通り越して恥ずかしさが顔に表れる。湯気が出るほど紅潮し、今度は隠すみたいにしゃがんで縮まってしまう。からかわれたので遊んでいただけだったのだが、なんだか俺が悪者みたいになってしまい、いたたまれない。
俺も夕凪と同じ目線になり、素直に謝ることにした。
「ごめんね。からかっただけで、本当に触るつもりはなかった。でも、夕凪が嫌な気持ちになったのなら全面的に俺が悪い」
「……夕凪じゃないし」
ぷいっと俺から視線を外して、だるまのようにしゃがんでいる俺を押してくるが、びくともしない。
「え、夕凪真凜じゃないの?」
「それ芸名だし………今芸能活動やってないからその名前で呼ばないでくれる?誰かに聞かれてたらまずいでしょ?」
「この時間なら平気だろ。それに俺、君の本名知らないから」
「私たちお隣さん同士でしょ?把握しておきなさいよ。てか、挨拶来てないでしょ。非常識すぎない?」
「それは悪い。俺多忙だったから」
「どや顔すんなし」
可愛い俺の頬を引っ張ってくる。こんな夜に俺は公園で女優である夕凪真凜と座って遊んでいる。一体何がどうなったらこんな事態が発生するのだろう。
人生謳歌が始まってまだ二日目。朝がぼやけ始めて僅かに見えていた小さな星たちが消えていく。その最中にこんな面白い出会いがあった。
もしかして東京で星屑が見ることが出来ないのは、彼女みたいに我が強い光が沢山あるからなのかもしれない。だから今さっきのことは、この星たちのように消えていけばいい。
本当に消えるわけじゃないのだから。
「それで、名前は何?」
「……汐嶺かりん。今度はちゃんと覚えなさいよ!」
「おう……って今度ってなんだよ」
「内緒に決まってるじゃん。あ、LINE交換しよ」
誤魔化すように話題を変えた。
「えー」
「あ、また胸見たでしょ!バカ!」
「それは自意識過剰だって……」
友達が出来た。星屑とは正反対の人だった。
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