第34話 子羊

「どういった風の吹き回しで?」


 ビアンカがご飯を食べているのを眺めながら聞いてきた。俺はメリーナの隣に座り、肩を並べる。


「いや、興味があるだけさ」


「興味だけで首を突っ込めば死んでしまいますよ!」


「死なないさ。死なないようにするために行くんだよ」


「駄目ですよ!絶対にダメですから!!」


 メリーナは驚きと心配の滲んだ表情を見せると、俺の手を一回り小さい両手が慈悲を与えるかのように包み込んできた。自分の仕事を全うしているみたいに、優しい。


「どうした?お前は、俺の敵だろ?」


「……わたくしは見ての通り、修道女でございます。誰かの敵になるつもりはないのです」


「本心か?」


「ええ。Aさんさんに育てて貰っていますし、感謝もしております。ですが、人々を皆殺しにすることは絶対にありません」


 俺の目をじっと見つめ、その心の宿を見せてくる。悪魔を取り払ったように澄んだ瞳はこちらを見つめていると、きゅっと視線をずらした。


「み、見過ぎです」


「ごめん」


 その反応が可愛くて、俺もどうすることも出来ず反対側に視線をずらした。一度、体制を整えようとしたが、俺の手を握る手は離されていなかったため、思うように逃げられない。


 チラッと彼女を見ると、むしゃむしゃとご飯を食べるビアンカを見ているようだったが、まだ少し緊張しているようで化粧っけのない健康そうな肌が耳まで桜色に染まっている。


 今会ったはずなのに、何故か初恋みたいな初心な反応を俺までしてしまったのはどうしてだろう。


「な、なんで俺たちこんな気まずくなってるんだろうな。なんか初対面じゃないみたいだし」


「そ、そうですよ!」


 まだ顔が赤かったこの女性は本当に熱心な修道女なのだろうな。


「わたくしにとって、鳴海様は神に等しいのです」


「……神?」


「新興宗教団体『未来護』。あの団体は人々に無償の愛を与える団体。お金で動く人間の真逆を行く存在。それを創り上げたのですから」


「そんな評価される事じゃないさ」


「しかも毎月何度も炊き出しをしていらっしゃいますよね。わたくしも何度かお手伝いさせていただきました」


「え、マジかよ。俺も何度も行こうとしてたけど、都合が合わずに行けずじまい」


「ふふっ。鳴海様は折り紙でご多忙ですので仕方がありません」


 未来護は粼心が全て管理していた。宗教でもあり、慈善団体でもあった。炊き出しなどのお金は全て心優しき未来護の会員たちが出していて、心にはほとんどお金が入ってくることはなかった。


 この人はその活動にも参加していたのか。その話を聞けば、本当にいい人に見えてくる。ボランティアをする人間は敵味方関係なく尊敬できる。お金は発生しないし、力作業もするし、よく知らない場所の掃除、何か価値を見出せるか分からない、酷く言えば時間を捨てるのだから。


 だからこそ、自分の時間を犠牲にしてまで他人のために率先して動くことが出来る。俺は凄いと思う。


「粼心様ともお話させていただきました。まるで本物の教祖様のようでわたくしも入信してしまいそうになりました」


「あの人教祖なんですよ」


「えぇ!鳴海様が教祖様ではないのですか⁈」


「あはははっ!」


 それが面白おかしくて、腹から声が出たように笑ってしまった。声にびっくりしたメリーナは、頬をぷくっと膨らませ俺の肩を掴むと左右に揺らしてくる。


「酷いです!だって心様は他の会員の皆様と一緒にボランティアに励んでいましたからきっと普通の会員だと思っていたんです!」


「確かに心は教祖だったけど、普段は人と触れ合っていたいからって理由で一般会員の振りをしていたんだよ。だからこそ、未来護では教祖を知っている人が少ないんだ」


「そういえば、教祖様を知っている人はほとんどいないという噂がありましたね」


 心は元々人見知りだったため、創設当時もあまり周囲と馴染めていなかった。だが、将来を見据えて心を教祖に仕立て上げそれに見合う人物にするために、様々な人と触れ合う機会がある未来護の相談役に任命した。


 するとすぐにコミュニケーション能力がめきめきと育っていき、今では誰とでも仲良くなれるほどの完璧な教祖になっていた。


「ああ、でももう亡くなってしまったよ」


「……折り紙削除計画ですよね。わたくしも一部に参加していました」


「………は?」


 先ほどまでは誰かの敵になるつもりはないと言っていたが、その計画に加担していた。だとすると、メリーナは一体誰を殺した?


 彼女は俺を揺らすのを止めて、再び俺の目を見つめてくる。


「しかし、わたくしは誰も殺しておりません」


 瞬きを許さないと思っているのだろうか、一度もその瞼を閉じずに踏ん張っている。数秒するとプルプルと瞼が震え始めて、限界を迎えて目じりにしわを作ってぎゅっと目を閉じた。


「うぅ。耐えることが出来ませんでしたぁ」


「………ちょっとおバカなの?」


「そ、そんなことはありません!わたくしは不平等ですから。天才なのです」


「忘れてたわ」


「やっぱりひどいです!」


 その分かりやすい反応がやっぱり面白くて、ぷっと吹き出してしまった。それを見ていたメリーナも、クスッと笑いだした。


 目の前の女性があの計画に加担したことなんて、もうどうだってよかった。もし、騙されていたとしてもそれでも良い。俺は今日だけで随分とちょろい人間になってしまった。


 俺は時計を見て、既に夕方の6時を回っていた。


「さあ、もう遅い時間だ。俺もついでに買い物に行くから、途中まで一緒に行こうか」


「今日はありがとうございます。お忙しいのに、部屋の中に入ってしまって」


「いいさ。これも一興だよ」


 俺たちは靴を履き、外に出た。陽はもう沈み、宵の入り口にいる俺たちはどことなくぎこちない。高校とかいう空気にさらされて気持ちが有頂天気味だ。


 らしくない。もっと危険な人間だったはずの俺が、今この状況を楽しんでいる。去年までの俺が見たらどう思うだろうか。嫌われちゃうかな。


 だがこのまま犯罪者という肩書きを消して、将来のことも刃のことも何も考えないで全て放り出して走り出すことが出来れば、どんな人生を描けるのだろう。ちっぽけな命をどこまでも馬鹿なことに費やせる気持ちは持てるのか。ただ静かに、教室の隅で誰もが憧れるようなヒロインに恋焦がれるのか。


 全力で叫んで明日を遠ざけるくらいの力を持っているこの瞬間の終わりは憐帝に入った瞬間から決まっている。ゆっくりとその秒針は進み、俺の背中を押し続ける。願ってもいない終わりを誰もが享受する。そして変わっていく。


 大人になる階段を歩むしかない俺には、希望はない。


 その時間が終われば俺は新しく生まれ変わるわけでも、成長するわけでもない。



 死ぬんだ。学生を手放した瞬間俺は死ぬ。



 まるで大袈裟のように言っている。でも分かる。


 憐帝で学んだことを活かせず、ただ思い出を抱えて沈んでいく。次のステージが用意されているわけでも無く、それを勝ち取る権利すら俺には存在しない。また理不尽に潰される。また破れない壁に阻まれる。


 俺の生きる世界が切り取られて再びあっちの世界に戻される。


 だから、俺は悩んだのだ。


 遠くから眺めていれば綺麗な夢であるのだったら最初から触れることをせずにいればいい。綺麗なままにしていれば、辛くなったりもしない。知ろうとしなければ、これ以上傷付かない。死なないまま死ねるのなら、喜んでそっちを選べばよかったと後悔もしない。


 俺の最期には絶望しかない。だってそう、普通に考えてそう。


 生き方を選べることが出来るなら、誰だって死にたくはない。死んだって楽になれない。



「なあメリーナ。迷うこの俺を導いてくれないか?」



「はい。どうしたのですか?」



 遥か彼方にある一番星を眺めていた俺に悠然とした表情で返事をした。今は彼女に、全て託してみることにした。それが出来るのは今だけだったから。


「俺は、死ぬのかな」


「そうですね。鳴海様もわたくしもいつかは必ず大地に還ります」


「きっと俺は怖いんだ。いつか刃と戦うことになるのが。高校での楽しい時間がまるで否定されるみたいに意味が無くなってしまう。きっとそっちに行けば、裏社会に戻りたくなくなってしまう。それが嫌なんだ」


「なるほど、確かに折角の人生なのにどうして自分がこんなにつらい思いをしなきゃならないのか。鳴海様はそう思っているのですね」


「まあそうだね。でも、裏社会は別に嫌じゃないんだ。もう慣れているからさ」


 俺の人生、こうで良いはずだった。けれども、憐帝に入ってしまったせいで自分の決心が少しでも揺らぐのが嫌だ。


 メリーナは数分熟考した後、俺と同じ星を見つめながら口を開いた。


「わたくしは鳴海様の覚悟も過去もあまり存じ上げておりません。ですが、貴方様がわたくしを頼っていただいたので、ご期待に沿えるか分かりませんが全力で応えてみせます」


「ああ、ありがと」


 そんな見習いのような心配をしてくるメリーナだったが、俺は彼女に聞ければ何だって良かった。意志が弱いならいくらでもそう言ってくれて構わない。


 まだ玄関前で止まっていた俺たち。手すりに手を掛けてその話を全てで聴こうとした。


「鳴海様、折り紙の皆様が亡くなってからかなり大変でしょう?」


「まあそうだな」


「別にいいではありませんか。意志が揺らいだとしても。わたくしたちの人生は複雑で、たった一つの落ち度で萎むには勿体ないです」


「……」


「憐帝高校に入れば、今と未来の生活を比較してしまうでしょう。もちろん違います。鳴海様は確かにそれが顕著に分かります。人を殺す世界と人を創る世界。前者に行きたがる人間は誰もいません」


「そうだな」


 メリーナは俺の横に来た。肩が触れてしまいそうなほど。さっきみたいな緊張とかは無く、今はただ涼しい夜に甘えていた。


「なら、こう考えてはどうです?折り紙に入れるのが自分みたいに優秀でないと無理だからみんなが出来ないことを率先してやってあげている俺は優しいって」


「………なんだそれ」


 そんな傲慢な意見が修道女から出てくるとはさすがの俺も思っておらず、狐につままれたような気分になる。だが当の本人は、完璧に答えを出すことが出来たと思っているようで、ふふん!と誇らしげにドヤ顔をした。


「………あれぇ!完璧だと確信していたのですが」


 だが俺の反応であまり良くなかったことを察すると顎に指を当てて、気難しそうにぶつぶつ呟きながら思案している。


 だが、そうか。傲慢さか。


 彼女の一言は中々参考になった気がする。折り紙での仕事で傲慢になったことはなかった。常に快い死を求めていたため、誰かのためにやってあげているという感覚は持っていなかった。


 メリーナに相談したのは正解だった。


「ありがとうな。おかげで気が晴れたよ。最高のシスターだな」


「お役に立てましたか!さすが不平等のわたくしです‼」


 ぱぁっと、宵の明星に負けないように輝いた笑顔のメリーナは、その勢いで俺に抱きつこうとしてきた。どこが純潔やねんと思いつつ両手であしらう。


 しかしそれが悲しかったのか、修道女らしくなくむくれる。彼女をどうするべきか考えつつ俺は歩き出した。その横を磁石のようにピッタリついてくると、彼女の髪の毛がさらりと俺の視界の端に映った。


 今は頭巾を被っているが、髪を出している。出すか否か、その辺は気分で決めているようだ。


「髪、綺麗だね」


「ふぇ⁈どどどどどどどどどどどど。………どうも」


 ただ髪を褒めただけなのに、プロポーズを受けたように両手で口を覆い耳まで赤くなっていた。俺としては社交辞令的のような、さっきのお礼程度に受け取ってもらえれば良かったのだ。


 だがその反応は何?


「………鳴海様も綺麗ですよ。その髪の毛」


「ああ、ありがと」


「………褒められ慣れていますね」


「メリーナだって不平等なんだから、褒められ慣れているんじゃないのか。男に言い寄られる経験だってありそうだけど……」


「わ、わたくしはこの髪のように清らかな自分を保っているのです!」


「そっか。………というかさっきから聞きたかったんだけど、どうしてシスターの恰好なんかしてるの?」


「入信はしていませんが、わたくしは未来護をこよなく愛しておりますので」


「教祖と普通に会話してたみたいだしな」


「粼心様は一般人に紛れる天才です!推しです!」


「教祖を推すな」


 でも楽しそうだったのでいい。さすが未来護だった。

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