第13話 裏切り

 時刻は22時。俺は工藤が運転している車に乗りながら、九紋竜の拠点としている場所に向かう。空はもう真っ暗になってしまっていて、山の中にいる俺たちは車の灯りだけが頼りだ。なんかこう、なんで犯罪者組織は山に住みがちなのだろうか。俺が言うのもあれだが、もう少しやりようがあるだろうに。


 車は補装されていない道を走っているため、ガタガタと異常なほどの揺れを感じる。俺はともかく、前の奴がなんか辛そうだぞ。


「あと、どのくらいで着きそうなんだ?もう五時間はこの車に乗ってるぞ」


「………それは、お前らが悪い。折り紙が昔暴れまわったせいで一部の犯罪組織は衰退して、こんな山奥に追いやられてしまったのだ」


「なんかごめん」


 機転を利かせようと、俺はスマホを取り出してビアンカの写真を見せようとする。

「………っと。今のは危なかったな。別の道を作ることを提案してみるか」


「あ……………っ」


 車が揺れた拍子に、しっかり握っていたはずのスマホがするっと抜け落ちる。しかも、最悪なことに、右前の工藤が座っている運転席の下に潜り込んでいってしまった。


 これでは取れない。それに、動こうとしたらまた車が大きく揺れて低い天井に頭をぶつけてしまう可能性もある。ここは、着くまで大人しくしておくのが賢明な判断だ。


 ………よくよく考えたら、俺はビアンカの写真なんか持っていないな。それに、今皐月たちは何をしているんだろうか。


 今日の予定では、まずビアンカの健診。でもこれは簡単に済むとして、一番の心配は皐月たちが敵に尾行されているのか否か。だが、それも問題ないだろう。『刃』の目的はあくまで俺の回収。仮に、あの二人に手を出したということが俺に伝わればどうするか、姿の見えないあいつらなら想像に容易いだろう。だから、皐月と優が無事なのは間違いない。そして、あの二人に手を出していないということは今この行動は全て、刃の手のひらの上だということ。


 最悪という二文字が脳内に浮かぶ。


「………聞いてなかったけどさ、この件で九紋竜の人間は何人殺されたの?」


「三十一人だ。ボス含めて四十九人もいたのに、殆どは折坂に持っていかれた。あれは人間なんかじゃない、化け物と言っても過言ではない。銃弾を避ける瞬間を見たというやつがいた。そんなことが出来る人間が実在していいのか?」


「折坂か~。可愛そうに、普通に戦っても簡単に勝てる相手じゃなさそうだしね。生きてるんだったら、喜びなよ」


「お前なら、勝てるのか?」


「さあね。折坂とちゃんと戦ったのは一回だけだし、それもかなり昔だから」


「そうか」


「ああ、それでいつ着くんだ?」


「それなら、あれだ。正面に見えてきただろう。あの洞窟が、俺たちがアジトにしている場所だ」


 山の中の開けた所に出ると、そこは崖下だった。目の前に広がっているのは、大量に設置されているソーラーパネルと野外用ライト。夜なのに昼と勘違いしそうになりそうだ。


 そして、一つぽっかりと穴が開いている。縦三メートル、横四メートル程度の大きさで扉が設置されていないため、誰でも侵入出来そうだ。こんなところで暮らしているというのは不便極まりないのではなかろうか。


 車を降りて辺りを眺めるが、遠くの方にもソーラーパネルとライトがあるのは意外にも壮観な景色である。しかも、少しだけ雪が積もっているため何故か神秘的に感じる。


「すごい数のソーラーパネルとライトだな。うちにも欲しいくらいだ」


「ここを離れることが出来るのなら、もう必要ないだろうな。昔は大所帯だったが、今はもう違う。この電力ももう無駄だ」


「へえ。この洞窟ってそんな広いのか」


「そうだな。一番人数が多いときは七十人もいたが、生活には困らないほどの広さはある。残念ながら、トイレは無いけどな」


「とりあえず入ろうぜ。ここは冷える」


「そうしようか」


 さくさくと雪の上を歩いて洞窟に入ろうとする。これが終われば……俺の高校生活がやっと始まるのだろうか。いろいろな問題が残りそうだが、俺なら問題ないだろう。


 ………何か忘れているような。


「あ、そうだ。携帯だ」


「ん、どうした」


「携帯を車の中に忘れてしまったんだ。鍵を貸してくれ、すぐに取ってくるからお前はここに居ていい」


「ああ、それは問題ないが。ここの車は誰にも盗まれないから鍵はかけていない」

「そういう感じね。なら待ってて」


 工藤に長い時間待たせるのは悪いと思い車まで走って戻り、後部座席のドアを開けて乗り込む。そうして、運転席の下に手を伸ばす。


「確かこの下に……………あ、あったあった………って汚ッ‼埃まみれなんだけど」


 スマホに、毛やゴミなどが付着していて触るのを躊躇いたくなる。それに血も。人の車に文句をつけるのもあれだが、その辺はちゃんとしていて欲しい。


「よし、あとは………まあ、こうだよな」


 皐月に連絡しつつ、一分ほどの滞在時間で工藤の元に戻る。


「お待たせ~。待った?」


「大丈夫だ、早く行こう。ボスがいる部屋は、かなり遠い。それにこの中は意外と複雑だ」


「そっか。でも、記憶力には自信があるから大丈夫だ。帰りは一人で平気だよ」


 優との会話の記憶をすっぽかしていたので、説得力は皆無だった。そんなことは露にも思っていない彼は歩き出すので、その後ろをついていく。


 洞窟の中の温度は、それほど寒くない。寧ろ外よりも断然暖かい。確かにこの中なら寒い冬でも乗り越えられそうだ。


 だが、洞窟内には照明らしきものが見当たらない。入り口から遠のいていくにつれて外の光が小さくなっていき、やがて目の前を視認するのが難しくなってくる。


「懐中電灯はあるのか?」


「残念ながら無いな、スマホのやつで我慢してくれ」


「……スマホの懐中電灯?なんだそれ、お前は何言ってるんだ?スマホは連絡手段であって、懐中電灯なんかあるわけないだろ。あ、もしかしてあれか?この画面の裏のタピオカみたいなやつか?」


「………それは本気で言っているのか?しかも、なぜスマホの機能を知らないのにタピオカを知っている」


「あ~、よく飲まされてたから」


「貸してみろ」


 そう言ったのにも関わらず強引に俺の手から奪うと、その場に立ち止まってまるで俺のことを初めてスマホを触る老人のように見立ててゆっくり丁寧に教えてくれる。


「ライトはここを長押しで点灯する」


「おお、すげえ!!スマホにこんな便利な機能があるとは。なんで早く教えてくれなかったんだ。これが、文明の利器か」


「ああ、そしてこっちが電卓だ」


「あ、それは頭で計算したほうが速いかな」


「……そうか」


「あ、ごめん。……もっと教えてほしいな」


 どうやら、教えることが意外にも楽しかったようだ。表情が良く見えない為分からないが、声のトーンが二段階くらい落ちた気がする。見えないが、見ていられなかったので俺が折れることにした。


「…………まあ、これくらいでいいよ」


「む、そうか。まあ、使い方なら俺よりももっと教えるのが上手いやつがいるからそいつに聞けばいい」


「あ………どうも」


 アプリのインストールの仕方からアラームの設定の仕方までしっかりと教わり、もはやほとんどの操作が完璧になった。嬉しいような悲しいような、そんな曖昧な感覚に襲われるが、ライトで工藤を照らすと満足そうな顔をしていたので何も言えなかった。


「行こうか」


「うん………」


 ガッチガチにスマホの講習を受けた後、彼の背中を着いていくように再び歩き始める。スマホの心許ないライトを使って、足元を照らしながら。嫌なところで時間を食ってしまったが、俺たちの仲は確立されている。しっかりと。


 洞窟内は静寂が蔓延っていて、歩く音を響かせたり鼻歌を歌ってみたりすると気持ちいいメロディーとなって鼓膜を震わせる。意味なんてまるでないのに、ただ人生に色味をつけるためにやっている。


「なあ、時之宮。お前は、どうして犯罪なんてやっているのだ。やはり、お前はまだ子供だろう?」


「どうして……か。うーん、天職だからかな?」


 歩きながらこちらを向かずに聞いてくる。過去のことは、いちいち振り返ることタチではないんだけどな。


「天職?それは、本音なのか?」


「本音だよ。だって、才能が無かったらやってないし人殺しなんてつまらないだろう?弱いヤツを殺しても手に入るのは金だけ。残念だけど金には興味ないんだけどね」


「なら、犯罪をやり始めたきっかけは何だ?お前のルーツは、どこにあるのだ。俺は、それを知りたい」


「そう言われても………じゃあ、一番初めに殺したやつの話でもしようか」


 歩くスピードを落とし脳内にあるアルバムに手を伸ばす。それを一ペーずつ遡っていく。


「二歳。俺はその時から、折り紙が危険な奴らしかいないことを理解していた。だが、理解していたところで俺には何もできないことを確信していた」


「二歳………。その時の記憶なんて、俺は覚えていないぞ」


「初めて殺した人間の名前は、桐谷眞きりたにまことという女性。俺が殺したのは五歳の頃だ。保護責任者遺棄致死、まあ簡単に言えば自身の子供を殺してそれを山に埋めていたんだ」


「その女を殺したの…………か。どうやったのだ?五歳なら、暴力を行使するのは不可能だろう」


「まあね、暴力はやっていないよ。裏路地に連れて行って、マンホールに落としただけ」


「だけって言われても、どうやってだ」


「飼ってる犬が大変だから来て助けてって言ったんだ。当時の俺は五歳だったし、奴も大人という使命感に駆られていたらしい、だから簡単だったよ。それに、一回は親という立場になって責任感を覚えさせてしまえば、簡単に誘導できるしね」


「………俺には…………分からない。お前が、そんなに罪を重ねても心が壊れないのか。もし、慣れたというのならそれまでだがお前の場合は慣れたというよりも、その才能があったとしか思えない」


 前を歩く工藤がどんな表情かは見えない。俺のことをどう思っているのだろうか、理解不能な気持ち悪い生物?それとも、同じ犯罪者としてのリスペクト?


 どちらでもない。


「だとしたら────────お前は間違いなく世界一不幸だ」


 また言われた。皐月も優も、今日初めて会ったこいつにも言われる始末。


 ここまで言われると自覚せざるを得ない。分かっていたつもりでも、現状が底辺の中の底辺だという事実を永遠に突きつけられてくると、普通に嫌気がさしてくる。


「不幸でもいいじゃねーか。幸せなんて、どうせ落ちてるんだから拾えばいいだろ。俺は、たまたまその拾い方を知らなかっただけなんだ。でも、それを許してくれない子がいてくれたおかげで考え方が変わったとでも言おうか」


「許してくれた子?俺にはその子が全く想像出来ないが、お前がその子のことをとても気に掛けていることだけは分かる」


「その子は一般人なんだ。だから、俺には関わらせずに生きてほしかったんだけど無理みたい……それが今の懸念材料だよ」


「ふっ。たった一人の女の子に振り回されるなんて、折り紙の犯罪者も難儀なものだな」


「ははは。なかなか悪くないけどね。犯罪者を手のひらで転がしてくる一般人なんて面白そうだ」


 工藤はどうなのだろうか。こいつの幸せとは何なのだろう。


 今のお前は不幸か?


 それとも幸せなのか?


 俺なんかが言うことじゃないが、俺はこの国に生きるものが全員幸せになれと心の底から願っている。いい人間でも悪い人間でも、そこは些細なことでしかない。


 折り紙の一人として、それを全う出来ているのか?それを犯す者として、最後くらいは聞いてみたい。


 ────────いや、聞くまでもないか。


 靴の音だけが聞こえる時間を乗り越えて辿り着いたと思えば、一つの扉が現れる。扉の端には外にあった野外用ライトが設置あったので、俺はそれの電源を入れてスマホのライトを消して、ポケットにしまう。そして別の物を取り出す。


「ご苦労だった」


「いや、いい。それよ────────っ。なぜだ………」


「え?なぜって?」


「なぜっ………その銃を持っている?それは車に…………まさか…………」


 工藤が振り返る時にはもう遅かったようだ。灯りが二人を照らす。それを見た瞬間に同じく持っていたスマホを手から離して、ゆっくりと両手を上げる。


「利口だな。犯罪者のくせに」


 冒険は終わった。寝る時間にはちょういいだろう。


「どうして………ここには交渉をしに来たんじゃないのか?それとは無縁の人生を送るためのものだろう」


 拳銃を向けられる工藤の顔色が青ざめる。それもそうだ、俺が言っていたことと全然違う。本来ここには九紋竜のボスと平和的な交渉をすると本気で思っていたみたいだ。


 そのために、心を開いて仲良くなって笑い合ったのか。


「ああ、そのための一歩だ。だから、俺はお前たちを殺すんだよ」


「なぜだ、どうして………俺たちはなっ」


「なあ、交渉で何を解決するんだ?」


「………は?」


「俺がお前たちみたいな足手まといを仲間にしなくてはいけない理由はなんだ?お前たちは、何が出来るんだ?お前たちが出来ることは、俺に出来ないとでも思ってるのか?思い上がってるのは勝手だが、あまり敵を信用しない方がいい」


 工藤は勘違いしていた。言うとおりにすればいい方向に進むと。仲良くなれば、自分も将来を考えることが出来ると。


 どうやら何も分かっていなかった。こっちの世界では、友情も同情も愛情も全て都合のいい道具に過ぎない。もし何かをしたければ、それ相応の対価を払う必要がある。


 そして、俺は自分の人生を優先した。



「もしかして、俺の優しさに触れたからきっと理解し合えると思ったの?」



 俺が軽蔑を込めた視線を送るとその場に尻もちをついて座り込む。こちらを見る目が潤んでいる。悔しいのか。憎いのか。俺のことを殺したいか?


「お前を懐柔する方が楽だと思ったんだ。車に乗っていた時に、武器を隠していることを知ったからな」


 あの時俺は工藤が反発してきたことに違和感を覚えた。圧倒的な実力を見せつけたのに、俺を煽る胆力が微妙に残っていたからだ。そしたら、運転席の足元に拳銃を置くスペースがあり、すぐに抜けるようになっていた。


「……………お前のことを信用………してっ……た。子供ながらにこんな人生を送っていたお前が………不幸で……哀れで……輝いていたから。裏切られるなんて……考える隙も無かったくらいには……信用したっ」


 自分自身と俺を重ねていた工藤は、不甲斐なさから自分を守るために力強く唇を噛んでいた。工藤の手が、土を掴み俺に投げようとしていた腕が途中で止まり、ぽろぽろと手の中から土が落ちていく。


 こんなことが起きなければ……。なんて、今でも思っている。何も出来なかった俺がただただ悔しい。


「悪い。俺がこの方法を取らなくてはいけないほど弱かった」


「時之宮は悪くない。……ふっ、時之宮鳴海。粼心……殺した人間の名前は覚えるだったか。お前の知り合いだろ、最期にそいつがどういうやつだったか教えてくれ」


「……………心……か。お前が彼女を殺したのか」


「殺したのは、お前と同じ白髪だ」


 不平等だったか、やはり勝てなかったのか。まあ、天才と不平等では分が悪いのは分かりきっていた。


「……心は、俺が姉のように慕っていたやつだ。犯罪者という観点で言えば俺よりも自由だったな。そして、俺に愛を教えてくれた。彼女が居なかったら、今すぐにでもお前を撃っていたかもしれないな」


 工藤の目を見た俺はそれを拒むことは出来ずに口を開けていた。


 大事な姉、大切な姉、血縁関係は無かったが沢山甘えさせて貰った。


「ふっ。それは、感謝するしかないな」


「俺も感謝しているさ」


 殺されると分かっている。それなのに変なものを見たかのように笑い飛ばす。これが冥土の土産になって良かったのかは不明だが、俺としては彼に伝えることが出来て良かった。


 ならば、俺も聞きたいことがある。


「アイツの最期はどうだったんだ?」


「確か……スマホで連絡を送っていた気がする。誰かまでは知らないがな」


「……そうか、ありがとう」


 誰かに連絡…………その時は、俺はスマホを持っていなかったし家の電話にも履歴が残っていなかった。一体誰なのだろうか。


 考えにふけていると、さあ早くと催促する声を放ち、工藤は銃口に頭を付けて目を閉じる。


「殺せ。お前は前に進め、俺は裏切られただけで心が折れた軟弱者だ。お前は、家族が殺された子供なのにも関わらず止まらなかった。お前が、今は正義だ」


「その言い方はやめてくれ、ただの犯罪者さ。俺もお前も正義だ」


「じゃあな、幸せになれよ」


「誰よりも幸せになるさ」


「ありがとう」


「次は普通に生きろよ」


「他の奴らにも、そう言ってやってくれ────」


 薬莢の落ちた、ちん。という音を耳にしっかり覚えさせて、扉を開ける。


 工藤、また会いたい。そう思えた。犯罪者も最期はせめていい夢を見て逝ってほしい。


 まあ、それを言えるのは今だけなのかもしれない。だからこそ願う。


 これから、壮絶な戦いが始まる。犠牲者は大量に出るだろう。それを最小限にして絶対にあの二人は生かす。そして、刃を全員無力化もしくは皆殺し。難所は大量にあるが乗り越える。


 あーあ、やることが多いというのは俺の苦手なことなんだけどなぁ。


「あ?誰だ、お前は」


 扉が開いたことに気付いた、一人の人間が言い放つ。



「別に何も知らなくていい。未来のことも知らない方が面白いだろう?」



 銃声と同時に俺は走り出した。

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