第37話 教室

 憐帝高校に着くと、昨日の立て看板が撤去されていたことがうら悲しかった。昔はこんな一日が早いなんて感じたことはなかった。うかうかしていたら、今日という日もすぐに終わってしまう。


 学生の間に出来ることはなんだ。それを全てやろう。


 上履きに履き替えると、優が俺の少し前を歩いて昨日行かなかった教室へ先導してくれた。俺たちは一組だ。たまたま同じクラスになったと思っていたが、どう考えても何かの力が働いている。なぜなら、ここは総理大臣が答辞を読みに来てしまうような学校だ。絶対に折り紙が絡んでいるだろうな。


「優、高校生の間に何をやっておけばいいかな。とりあえず何でもやるつもりでいるからどんどん提案してくれ」


「高校生の間にやったほうがいいこと?勉強とかかな?」


「……却下したいけどまあそうなるよな」


「あとは、悪いことをしてみたり?」


「悪いこと?」


「うん。皐月さんが言ってた。大人に守られているんだから悪いことをしても問題なしって」


「それって少し背伸びをしてみることって意味で言ってるでしょ。言い換え方が相変わらず最低だな」


 その言い方だと、この学校は敷田の管轄みたいなものだし折り紙(俺)がいるから隠蔽できるって遠回しに言っているようにも聞こえる。ダブルミーニングだ。


 それよりも、俺は最寄りからずっと気になっていることがある。ずっと、俺たちは見られている。自意識過剰というわけではなく本当に。優もずっと気がかりだったようで、さっきからそわそわしている。慣れていなくて同然だ。


 もちろん見ている側も悪気は微塵も無く、ただ興味本位でちらちら見ているだけ。


「大丈夫か?」


「全く………。ずっとこれだとおちおち生活できない。こんなに見られると逆に鬱陶しくならないの?」


 登校早々、疲労感がある声を出す。顔は見えないが、明らかにいつもより幾分声に元気がこもっていない。


「普段の生活に性格が出るからな。容姿にも、外見にも、相手を見る材料になる。俺は普段はあれだったから、それを悟られないように完璧そうな人間に仕立て上げる練習になる」


「………なんか、凄い」


「まあ、たまに鬱陶しくなったらびっくりするくらい死んだ顔になっちゃうから、限度もあるよね」


「え、死んだ顔?何それ見たい」


 よく分からない所で食いつかれたが、その話をする前に俺が今年から学ぶ教室の前に着いた。扉に手をかけた優は、俺を焦らすようにそのまま止まる。ご機嫌なのだろうか、らしくないことしてきた。


「………いよいよだね」


「俺を焦らして遊ぶのはやめてくれよ。我慢できなくなってしまうだろ?」


「分かった。じゃあ思いっきり楽しんで」


 優は扉を開け、その感覚を自分が使える全ての感覚を使って嗜むかのように、俺はゆっくり箱庭の中に入った。周囲には当然視線が俺に集まった。だが、そんなことを気にすることはなく、ただこの瞬間に無限の感動を見出すことに俺は価値を感じていた。


 少し埃っぽい空気と人が周りに集う窓から差し込む陽光で白く輝きを放つ教室。色んな歴史がややこしく混ざったような匂いが鼻腔をくすぐる。光が当たって、色が薄くなったように見える黒板。ここに清らかな学生の声が聞こえていたら120点だったのだが、全部俺のせいで壊してしまったのだろう。


 不純物が混在した教室は、境界線みたいに区切られている。きっとここは世界と繋がっていなくて、綺麗な星みたいに取り繕って心を通わせるみたいだ。


 酷く、醜く、そして煌びやかだ。


「あ、そういえばどこに座るか分からないでしょ?」


 優は思い出したように俺の後ろで呟いた。席って自由じゃないのか?そう言おうとしたが、俺が学校事情に疎いやつだと勘違いされてしまうため喉奥に引っ込めた。


「そうだな。どこなんだ?」


「窓側の一番後ろだよ」


「へえ~。外が見やすくていいな」


 俺はその席の所まで行き、着席して窓の外を眺めた。横でガララッと椅子を引く音が聞こえたのでそちらに視線を移すと、優が隣に座っていた。あちらは俺が見ていたことが不思議だったようで、首を傾げてぽかんとしていた。


「どうしたの?」


「何でもないよ。そんなことより、自己紹介で何言うか考えた?」


「自己紹介で何言うか考えるなんて、なるって結構可愛いとこあるよね」


「え、考えないの?趣味とか全然作ってこなかったから何て言うか一晩悩んで結局寝れてないんだけど………」


「何言うか決まったの?」


「いやまったく」


「えー」


「考えてこなかったから意外と難しいんだよ」


「特技でも良いと思うよ。わたしなら趣味で朝のランニングとか、料理の話とかするつもりだったけどそういう出来ることでも良いの。自己紹介を重く見すぎ」


「そ、そうなのか」


 まあたしかに関りが少ない人も出てくるだろうし、俺はそんな人にも自分をアピールしようとしていたな。


 だがせっかくなら全員と友達になってみたい。一人でも多くの人間に関わって価値観や生き方を聞いてみたい。折り紙では絶対体験できないのだから、今だけはずっと背伸びしつづけよう。


「なら俺は特技を披露すること決めた」


「何するの?」


「それは楽しみにしておいてよ」


 周りを観察していると、既に複数のグループが出来ているみたいだ。聞こえてくる声に耳を傾けていると、どうやら塾などが同じだったり席が近いという理由で仲良くなっていたりする。俺も右斜め前のやつに話し掛けようとしたが、周囲の様子からするに俺は見定められている。


 男の目線はどうせ、学年トップの水無川優さんとどういう関係だ?みたいなものだ。優は努力家で勉強も運動もしっかりやる。しかも、誰から見ても魅力的に映る素敵な子だ。それに、人見知りだったが生徒会長を経験しているのだからかなり社交性があるはず。昨日の時点で仲良くなった子もいるだろうし、もしかしたら恋心を抱いた子もいるかもしれない。そこに俺が現れたらそりゃそんな目を向けたくなる。女子は言わずもがなだ。


 なんてことを思いながら窓の外に視線を戻そうとすると、このクラスの担任らしき人物が教室に入って来た。


「はいみなさーん。席に着いてくださーい」


 その合図と共に、クラスメイト達は迷いも反抗もすることなく席に座った。この集団性は折り紙よりはるかに上だ。全員が自由過ぎて統率なんか不可能に近い折り紙もこれを見習うのが良いと思う。すぐ頭から消し去るのは目に見えるが。


「おはようございます」


「「「おはようございます」」」


 俺以外は完璧に着いていけている。そこが挨拶をする場面だったとは知らずに置いてけぼりになっていた。


「昨日はお疲れ様です。慣れないことが沢山あると思うけど、今日から一歩ずつしっかり頑張っていきましょうね」


 皐月のような余裕がありそうな女性が担任だ。黒板に今日の予定を書き始めると、俺は隣の優に小さい声で話しかけた。


「なあ、あの人の名前はなんて言うの?」


「えーっと。斎藤佳穂さいとうかほ先生だよ」


「そこ!お喋りしないの」


 ビシッと振り返った後、こちらに指を指してくる斎藤先生。その声にびくりとした優は姿勢を正した。


「あ、君は時之宮鳴海くんだね。昨日いなかったからまだ先生のこと知らないよね」


「そうですね」


「じゃあ私のこともう一回言うね。斎藤佳穂って言います。趣味は一人旅で、最近はスーパーの特売をよく買っていて、節約にハマってるかな」


「一人旅ですか……面白そうだな」


「うんうん、楽しいよ。時之宮くんは昨日遅刻をした挙句、会場を沸かせたエンターテイナーだよね」


「いやなんですかそれ。俺いつからそんな呼ばれ方を?」


 俺の呼ばれ方がそんなに面白かったのか、教室がどっと沸いた。一人を除いて。


「入学式が終わった後の職員室が大騒ぎだったからね。あんな子試験会場で一度でも見たっけって。私は写真を校長先生から見せていただいたから知っていたけど」


「あはは、たまたまですよ」


 もしかして二日目から不正入試が露呈されるのか?なんでこんな所で……。


「そしたら、まさか特別推薦枠って聞いて驚いちゃった。あの制度でこの学校に入れる人なんて一年に一人いるかいないレベルだから凄いね」


「ええ、それに俺は都合が悪くて学校に行けなくて面接はオンラインでやったので先生たちも知らなくて当然だと思います」


「あ、そうだったんだ」


 オンラインで面接やったとか嘘をついたが全くバレなかった。俺の隣で胸を押さえてほっとしている優に、俺は親指を立てた。不正入試の首謀者と考えれば、確かにあの状況は笑えず胸騒ぎするだろう。優も大概悪い子だ。


「それに、男の子とは思えないほど美人だし可愛い」


「いえいえ、先生には敵いませんよ」


「あらお世辞が上手いじゃない」


 再び周りが爆笑の渦に巻き込まれた。だが、これでは俺が口説いただけに見える。確かに先生は美人だと思うけど、教師に手を出しても相手にされずあしらわれて終わりだ。


 そう言いつつ、斎藤先生は自分の指をしきり触れてチョークの粉を払っていた。


「まあそれは置いておいて、あとでみんなに自己紹介をしてもらうからね。名前、誕生日、趣味や特技。しっかり考えておいてね」

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