第54話 あの日から
拳銃を拾い上げて、俺は錦に向かって包み隠さずにあの日のことをすべて話す。
「3月21日。錦の自宅のポストに手紙を入れた」
「ああ。確か、『お前の白い髪の毛の正体を知りたいのなら、車両基地に来い。その際、拳銃を回収し、自分の痕跡を何一つ残すな』と書かれた手紙だな」
「そう。そしてそれがこの拳銃。この中にまた手紙を入れた」
「電話番号が書いてあった。それに掛けたら皐月という女が出て、『暫くそれを持っていて欲しい。次電話を掛けるまで待機しておいて』と言われた。ふざけた奴だった。いくら質問をしても何も答える気が無い」
「まあそれが普通でしょ。何も言わないであげて」
「そしてこの前。お前からの連絡でバランスをここまで誘導するように命じられた。お前もあの女も、実質脅迫のような口ぶりだったな」
「正直に言えば、錦がどんな奴でどうやって行動してどうやって勝つのか見たかった。試したみたいで悪かったな」
「どうしてこんな回りくどいやり方をした?」
「簡単でしょ。刃にバレたくなかったから。この密会もバレていないと良いんだけど」
「いい加減にしろ」
錦は距離を詰めて、俺の服の襟を掴んだ。歯の軋む音が聞こえ、今少しでも下手なことを言ってしまえば首が簡単に飛びそうな気迫に満ちていた。
「どれだけの人間に迷惑を掛けたッ‼光原総理を、あの会社の副社長も……貴様のせいで死んだのだぞ」
つり上がった切れ目の瞳孔が開いて、内から溢れる怒りを全て俺にぶつけてきた。いつシャツが破れてもおかしくない強い力と、反対の手の血が滲み出すほどの握力が、俺に暴力を振るうことを抑えている。
確かに。俺は最近色んな人間に迷惑を掛けた。
優にも、敷田にも、岩井にも、光原にも、九紋竜。そしてこの国に生きる人間にも。
本来、俺たちが護らなくてはいけないものであるはずなのに。彼らを危険に晒し、自分が上手く立ち回るために爆破予告まで出して、事件に一切関係ない家族に手を出して壊した。
これではやっていることは光原と何ら変わりない。
結局、他人を守るためじゃなくて自分の利益しか求めていない。
刃を殺し、この国の安全を確保する。大抵の人間には関係のない話であるのに、俺の都合で全部おかしなことにさせている。
それで、今俺は人生謳歌するために高校に行っている?ああそうだ。
「そうだよ。俺は犯罪者集団、折り紙の時之宮鳴海だから。勝つためならば何だってするの。何だってね」
それでも、俺はこれをやり遂げなくてはいけない。
迷惑なのは俺だって分かっているさ。なら、そのまま放置してやられる所を見ておけとでも言うつもりなのか。
「犯罪は平和の象徴だ。これが変わることはないし、これを変えてはいけない」
「……それが折り紙の言っていいことか?」
「ああそうだ。この世界では犯罪は無くならないし、無くなってはいけない。お前が高尚な理想のために歩んだとしてもだ。今もこの国では犯罪が行われ、社会的に弱い立場にある人間は今を生きるために少ない未来を削っていく」
それがあるべき姿なんて言えない。
ただ、いつだって命を懸けると誓った俺はこんな場所で戸惑うことは許されない。
「犯罪をすることで、反対に平和が存在できる。犯罪が無いのは治外法権なだけだ」
「………そのくらい知っている。恵まれない人間は誰からも救済されずにこの世を去ってしまうこともある。そんな人たちを一人でも減らすこと、私が巡査になった理由だ」
「良い理想じゃないか」
「私は犯罪が平和の象徴などという、貴様の考えは嫌いだ。だが、貴様は私よりこの国の内情を知っている。だからこそ、ここでハッキリと言い返すことが出来ない自分も嫌いだ」
「俺のことが嫌いか?」
「ああ。嫌いだ」
「なら止める?俺がやること。犯罪を平和の象徴とするにはこの国の安全が保障されなければいけないからね」
「いや………いや、何をするつもりだ?」
するりとその手から解放される。もうこの服は着られなくなった。
「お前に刃の壊滅を手伝ってほしい。これがお前への最後の頼みだから、本音で言うよ」
そのために、相手に誠意を見せて、弱い所を見せて、本心を見せる。
俺は深々と、上半身が地面と平行になるぐらいまで頭を下げた。
勝つためなら、喜んでプライドを捨てよう。
「俺は、大切な人を守りたい。もし可能なら、力を貸してくれ」
こんな場面あいつらに見せられないな。
「鳴海が頭を下げるとこ、初めて見た……」
嘘はつかない。本当に馬鹿でくだらなくてダサいし、あの情報屋も見ているから恥ずかしくもなってくる。それに、そんなこと自分でやれと一蹴されてもおかしくない。
だけど、理屈なんかで動かないお前には本心だけをぶつける。
「正直俺だけではどこまで戦えるか分からない。あの日はどうにかなったけれど、次は前のように上手くいくとは限らない。だから俺は今仲間を集めるために裏で動いている」
「……時之宮」
「だが、人材は圧倒的に少ない。お前のような真珠の子がいてくれれば俺も多少気が楽になるけれども、無理なら断ってくれていい。俺のために死んでくれと言っているようなもんだしな」
「断れば、誰を誘うつもりだ?」
「もう一人の真珠の子にアプローチしてみるつもりだが、どこにいるかは分からない。まあ時間はかかるけど探す旅に出る」
「学校は?」
「……この頼みをしているくらいだ。初めから余裕なんて無かったんだから退学して当然だろ?」
「なぜそれをあの女に言わない。彼女も折り紙の人間なら、他の機関に色々と指示を出せるだろう」
「ああ、皐月か。なぜって」
そりゃ言えないさ。
「彼女は仲間じゃなくて、家族だから。言えないことだってあるさ」
皐月は折り紙の仲介役ではある。だから命を懸ける時がいつかは来るかもしれない。それでも、俺は優と一緒に東京へ逃がす選択をした。
その瞬間から、二人は折り紙とは別の意味で大切な存在になっていた。
それに、俺には約束がある。
「ある人から皐月を幸せにしてほしいって言われていてさ。まあ、皐月の父親からなんだけど。その人、俺を庇ったせいでもう亡くなっちゃってて。だから、最悪俺がいなくてもお前が叶えてくれれば十分なんだ」
「それは違うぞ」
「……えっ?」
急に否定されて、言葉が止まってしまう。
「彼女………皐月さんも、お前と同じで時之宮が幸せでないと駄目だ。だからこそ、親御さんがお前に託したのだろう?きっとお前なら幸せにしてくれると確信していたからこそ、死に際に娘をお願いした」
「………まだ3歳の頃の俺に何が出来たって言うんだよあいつは」
思い出すのは皐月の父親のこと。良い奴だったし優秀だった。俺よりも自分を優先するべきだったのに、彼は俺の命を選んでくれた。
だからこそ絶対、彼の願いを優先しなくちゃいけない。
「電話で言っていたぞ。彼に任せればきっと全部上手くいく。って」
「はっ。慰めてくれるのか?」
「よく嘘だって分かったな」
「皐月は絶対的な関係が無い相手に俺のことを話さない」
「さすがプロだな」
どちらのことを褒めたのか分からないが、多分どっちもだろうな。
だが、結局俺は錦のことを折り紙に入れることが出来なかったな。
「……悪いな。情けない姿を晒して。お前を勧誘している側なのに、一方的にこっちの都合ばかり押し付けて」
頭を下げたまま自責の念に駆られていた。
あ~あ。折坂ならこんなことはせずにもっとスマートにやっていただろうな。もっとしっかりしないといけないのに、こんなところで何しているのだろう。まだスタート地点から少ししか動けてない。
俺には折り紙のリーダーとしての資格はなさそうだ。
諦めて、頭を上げようとした時だった。
ぽすっと。頭に何かが乗った感覚がした。視線だけ動かすと、彼女は先ほどとは打って変わって柔らかい表情をしていた。えくぼを作った朗らかな顔。
頭にあった感覚は錦の手だった。温かい感覚と優しさを込めてそのままゴシゴシと髪の毛がぐしゃぐしゃになるまで頭を撫でられる。
「ち。ちょっと。何すんの?」
「折り紙ならもっと脅迫して加入させようとしてくると思っていたが、拍子抜けだな」
不服そうに鼻で笑った錦に、少しムカついて顔をあげた。
俺のことはまだしも折り紙への文句は受け付けていない。
「俺たちはそんなやり方はしない」
俺たちはどうあがいても犯罪者なのだ。
「折り紙は、人生を理想と努力で埋める人間に握手を求めるんだよ」
才能も実力もあるやつなら誰でも折り紙に入れるわけじゃない。そう説明すると、感心するかのように頷く。
すると、美しい顔は何か悩むかのように顎に手を置いて考え事を始めた。一分程度で結論がまとまったようだ。
「……折り紙に入ってやろう。だが、条件が二つある」
「何でもいい。お前が入ってくれるなら」
「一つは、私は刃以外の人間を殺さない。もう一つは、お前は学校に行け」
「なんでだよ。俺がいればもう一人の真珠の子を探せる」
「私が真珠の子を探す。しばらく休職して、全国を回ればいつかは見つかるだろう。お前が学校を辞めたら水無川優っていう子が悲しむだろう?それに、憐帝高校に真珠の子が潜伏しているのなら探すべきだ」
「……あの日の会話。少しだけ聞いていたんだ」
「最後だけだ」
あの日は時間を指定したので来ていたことは知っていたが、真珠の子は才能に溢れているし、殺気が無かったので全然場所が分からなかった。さすがだな。
「誘っておいてあれだけど、何で折り紙に入ってくれるんだ?」
「父からよく言われていたことだ。『もし、響華でも勝てない相手が現れたら、折り紙の時之宮鳴海さんに頼れ。あの方に任せればきっと全部上手くいく』と。つまり、刃はあの日から私の敵だ」
「……俺の計画はまあまあ完璧だったってことかよ」
「すまないな、お前を試していた。だが本心を聞けて良かった」
「くっそ恥ずかしいんですけどぉぉぉ‼」
その場で地団太を踏んでしまった。ははっと笑う錦が今だけ悪魔に見える。最初から、本心を話してくれと言ってくれていたらあんな小恥ずかしくならなかったのに。
まあ、折り紙にふさわしい人間だな。嫌なくらいに。
俺は一歩勝ちに進んだ。今日、様々なものを失った。あと、何を捨てられるのだろう。
一度、深く呼吸して落ち着かせる。そして、新たな仲間にしっかり向き合って右手を出した。
「錦響華、ありがとう」
「認めてくれてありがとう。リーダー」
その手を力強く握ってきた錦は、不敵な笑みを浮かべた。
その後、傍聴していた情報屋が早く帰ろうと急かしてきたため、この会合は終わった。
バランスの遺体は、ある場所に送るように指示し、俺たちは車でその場を去る。家に帰ればいつもの二人がいる。俺の誕生日会を開催してくれるらしい。
バキバキに割れたスマホを眺め、時間を確認した。
「うわっ時間ヤバ。誕生日会に遅れちゃうな……スピードあげて!」
「あいよ!」
情報屋が運転する車の速度が上がる。
「普通乗用車両における一般道の法定速度は時速六十キロだッ!貴様ら、覚えておけ」
錦の怒りも膨れ上がった。彼女がキレる理由も分かる。
二十キロオーバーだった。
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