第11話 無意味

「ねえ、布はもうないの?」


「………もうない。こいつらが着ている服を全部使えばいい」


 男は恐怖と戦いながら車を運転し続けていた。今までに感じたことのない不快感。二人の遺体は後部座席の足元に置かれて外から視認できないように大量の布が覆いかぶさっている。


 そうだ。二人は一瞬にして鳴海に殺された。女の方は、叫んだ瞬間に鳴海が殴ったことによる脳震盪。男の方は、車に乗り込む前に拾った缶ジュースのゴミを破壊して、鋭利になった部分で頸動脈を掻っ切ってそのまま出血多量で死亡。抗うすべもなく、一人運転手の男だけは生かされた。


 九紋竜の拠点は栃木県の山奥にある。それを聞いた鳴海は唯一生き残った男に運転をさせて、運転席の斜め後ろに乗って変な動きをしないか監視をし続けている。男のハンドルを握る手は、汗でびしょびしょになっていた。


(………勝てない。まず間違いなく殺される)


 足元に、拳銃を忍ばせているがそれを手に取った瞬間、真っ先に殺されるであろう。


 殺された二人だが、驚いたことに車内に血痕の一つ見当たらない。あれほど派手な殺し方をすれば車内に血しぶきの一滴が飛んでいてもおかしくないが、それが飛び散る前に足元に遺体を置いて外からも違和感を残さないようにしている。


 ゆっくりと鳴海の神経を逆撫でしないように男は慎重に話を始めていく。


「お前が……九紋竜が狙っていた人物ということでいいのか?確かに、聞いていた特徴と同じだが……」


「うん、そうだよ。時之宮鳴海だ。お前は、工藤雄平くどうゆうへいで良いのかな?」


「……かまわない」


 鳴海はニヤニヤして、ルームミラーで工藤と目を合わせようとするが、一向に目が合う気配がないことを悟ったのか窓の外をちらりと見て目を閉じ背もたれに寄り掛かると、あっちは青いなあ~と意味の分からないことを呟く。鳴海の足元は真っ赤だった。


 折り紙。そう聞いただけで裏社会の者は慄くだろう。それは、九紋竜でも同じこと。九紋竜にとって折り紙はどうしても、潰しておきたい勢力だった。だから、この作戦に乗ったはずだった。結果は、五人の殺害に成功。残ったのは子供だと聞いた。しかし、後部座席に座るたった一人の子供にいとも簡単に二人も制圧されたという事実に、ただただ工藤は絶望するしかなかった。


(それにしても……美しいな。こんな人間が折り紙にいるなんてことが、未だに信じられない……)


 息を呑むほどの美しさという言葉があるが、工藤はそれを今実感した。モデルをやっていると言われても疑うことはない。天使と形容するのですらおこがましいほどだ。


「…………なに?視線を感じるんだけど、用があるなら言ってくれ」


 目を閉じながらの指摘に心臓が跳ねられたような感覚がしたが、無視して口を開く。


「何が目的だ?なぜこの車に乗ってきた?」


「………は?そんなの、九紋竜を全員殺すために決まってるだろ?この車に乗れば、ボスの所まで連れて行ってくれると思ってさ。居心地は最悪だけど、暫くは同行させてもらうよ」


「………却下させてもらいたいが、無理なのは分かっている。現時点ではお前には勝てる気がしない」


「そう。物分かりが良いのは素敵だけど、結果は最悪だよ。お前らが刃の口車に乗っかったせいで面倒なことが起こっているんだ。どう責任取ってくれんの?」


「ふん。折り紙の人間のわりに可愛いことを言うのだな。そんなに仲間がやられたのが悔しいのか?」


「おいおい。それを本気で言っているのか?だとしたら、お前はまだ甘いな」


 目を開けて起き上がり、足元を見ながらおおらかに言葉を紡ぎ始める。


「犯罪者っていうのは、永遠と現れて永遠に消滅しないものだ。いくら世界中が幸せになろうがそれが居なくなるなんてあり得ないんだよ。つまり、俺が死んだとしても変わりがいる。命なんて、簡単に補填出来るからな。俺も、お前も、他人に使われている犯罪者の時点でゴミだ。まあ、その点アイツは自由過ぎたけどな」


「あいつ?」


「いや、忘れてくれ」


「なんだ、気になることを言うな」


 自分ですら、使い捨てだと断言する人間に震えた。それは教育で教えられた価値観ではなく、自身で見つけた正義なのだとは怖くて考えたくない。


 夕日に照らされている鳴海の姿は儚くて今にも消えてしまいそうだ。純白の髪の毛がきらきらしてそれが少し眩しいのか、鳴海は物憂げな眼をする。


「あ、そうだ。この二人の名前って警察手帳に書いてあった通りで良いの?男は佐野充さのみちる、女の方は山崎響やまざきひびきって名前だったけど」


「……ああ。間違いなく本名だ。だが、どうしてそんなことを聞いてくる?どうでもいいだろ。殺したあい………」


「どうでもよくねえよ」


 工藤はその震えた声にはっとする。恐る恐るルームミラーで後ろを見ると、鳴海と目が合うが逸らすことなんかしない。冷たい目をしているのに、何故かその奥には自分たちとは到底比べられない覚悟を刻んでいるその目に見惚れる。


「俺は自分で殺した人間を覚えておきたいんだ。彼らの屍の上に立ち続けることで、俺が生きることが出来ているからさ。他人に存在意義を求めるっていうのは、正直良くないと思ってるけど職業柄それは避けられないのが残念だよ」


 そう言う鳴海の目は、スプーンから零した蜂蜜のようにとろんとして今度はその裏に隠されていた優しさが露骨に表れていた。ころころ変わるその瞳は、工藤の心を少しずつ柔らかくしていった。それを見た鳴海も表情が崩れて、緊張が解れていく。


「折り紙も大変なのだな」


「うーんそうか?俺には才能があるから、そんな風に思ったことはあんまりないな。というか、大変なら犯罪者なんてやらないし。お前だって、犯罪者じゃん」


「俺は上からの命令だからな。逆らうことは出来ないのだ」


「えー。九紋竜なんか辞めちゃえよ。弱いとこ入っても良いことないぞ」


「……弱いって中々ストレートだな。お前と比べたら月とすっぽんだが、もう少しだけオブラートに包んでくれても良いと思うのだが」


「勘違いされても困るからね。まあ、一般人に戻りたいなら俺に言えよ」


 今まで殺し合いをしていた関係とは思えないほど、車の中は幸せな空間になっていた。通ずるものがあるのだろう。お互い、悪に属する組織にいるという共通点があって、なんとなく波長があって、鳴海の覚悟という名の優しさに触れ、居心地の良いものを作り上げていっているのかもしれない。


 二人の間にはもう警戒心は無く、心を許し合える友人のようだ。


「なあ、なんで俺たちが警察じゃないって分かったんだ?演技にはそれなりに自信があったんだ」


「簡単だったよ。警察手帳規則のこと、あれは嘘だからな。どういう対応するのか知りたかったんだ。そしたら簡単にボロを出したからさ、びっくりしちゃったよ」


「それ以外は完璧だったんだが、警察手帳規則なんて聞いたことなかったからな。折り紙の奴は、全員そういうことには詳しいのか?」


「ああ。あくまで知識だが、犯罪者だからね。学んだことを全て味方にしてこそだ。使えなきゃ意味がないし。あと、言い忘れてたけど、今日お前たちを新宿駅に呼んだのは俺だよ」


「なら……あのメールはお前が送ったのか?」


 鳴海は前日、京都で九紋竜の者と対峙した際に敵のスマホで、嘘のメッセージを送っていた。


『白髪は明日の三時、新宿駅にいる』


 このメッセージで動けた者が今日の三人というわけだ。それ以外の者は既に東京に居ないことを判断して簡単に出し抜くことは鳴海にとっては容易なことだ。


 それを聞いた工藤のあっけらかんとした表情をルームミラー越しに見た鳴海は、ぷはぁっと目から輝くものを燈らせて笑い始める。


「あっははは!お前らってもう少し頭使って動いた方がいいよ?」


「そういうのが得意じゃないのはお前も分かっているからそうしたのだろう?生憎と九紋竜に頭のいい人間はいない」


「なんで?学校に行っていない人間が多いとか?」


「ああ。元々、半グレや非行少年。捨て子を勝手に保護して、ある程度育てたら殺しの練習をさせているから義務教育すらままならない少年少女ばっかりだった。俺たちも……そうやって生かされて今日までやって来たのだ」


「そっか………それは大変だったんだね」


 環境。それが人生に大きな影響をもたらすことは当然鳴海も知っている。彼らは、自分と同じように偶然不幸な状況に陥ってしまい将来を挫かれてしまった人間だと。本当は優しかった子も兵隊としてしか生きる道が無くなり、泣く泣く犯罪に巻き込まれてしまっているのだと、工藤が言ったことも元から知っていた。


 そういったものを無くしたくて、鳴海は犯罪者になったことを思い出していた。


 鳴海は血の付いた缶の破片を手弄り、右の親指の先を破片の切っ先で軽く傷付ける。じんわりと血が出てきてそれをじっと見つめ、やがて止まるころには日が落ちて周りは暗くなっていった。


「なあ、もう一度やり直さないか?」


「……………ぇ?」


 しばらく沈黙が続いたが、それを破るように話しかける。急なことに、弱弱しく遅れた反応をする。


「それは…………どういうことだ?俺たちは、もう……取返しのつかないことをした。折り紙が、この国の裏で、莫大な権力を握っていることは知っている。そんな奴らを、手にかけたんだ。もう、後戻りできないだろう」


「………今から戻せばいい。後戻りできないのは、昔から知っている。だから何だ?それで終わりが俺たち折り紙じゃない。これからが、一番大事なんだ」


「これ………から?」


「ああ。俺は考えたんだ。どれが幸せな道か。そしたら、あることを思いついたんだよ!それは、俺たちと一緒にこの国を護るってことだ」


「お前たちと……この国を護る………」


「このままだと、刃にやられっぱなしだ。俺もお前らも、利用されて終わり。何も残らない。だから、俺たちで新たな体制を創るんだよ」


「でも………それは」


「出来るさ………きっと」


 鳴海は窓を開けて、入ってくる風を堪能しながら薄暗い空を見つめながら言った。


 鳴海の提案に何か意図があるのかを探すように工藤は脳みそをフル回転させる。


(なぜ、今になってそんなことを言い出す。俺たちを陥れようとしているのか?護るとは、どういうことなんだ……)


 理解が追い付かない展開に頭を悩ませる。


(しかし、俺たち側にデメリットはない。ということは恐らく、交渉を手伝ってくれということか?)


 だから、九紋竜の拠点に向かっていて一人だと心細いから、仲介してくれという意味だろうか。それに、折り紙としてのプライドもあるのだろう。


 工藤は、右手を後部座席に伸ばす。そして、鳴海はニコッと笑ってその手を掴んだ。


「ふふっ。よろしく頼むよ、工藤」

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