第25話 おはよう

 春めいた東京は少し暖かく、薄い毛布でも心地よく朝まで包んでくれたおかげで快適に夜を越した。すべすべで真っ白なシーツの上で寝返りを打ちながらその感触を堪能するのは、俺の今まで人生で無かったため、かなり新鮮な気分だった。


 飼い猫のビアンカと共に眠りについたためか、服の中がほんのりふわふわしていた。きっと寝ている最中に入って来たのだろう。


「久しぶりの睡眠って、こんなに気持ちよかったっけぇ~?」


 京都にある実家のベッドよりも格段に柔らかくて寝心地も良い。尚且つ、最近は寝ないで訓練に励んでいたため久しぶりの睡眠。


 ベッドは絶対にこだわった方がいい。東京で初めて覚えたことだった。


 俺が住み始めたマンションは、どうやらかなり良い所らしい。一階にはジムがあったり、俺でも知っているような芸能人と廊下ですれ違うこともあったりした。ここなら刃は俺に襲い掛かってくることはない。


 すると、ピ―――――ッ!というアラームの甲高い音が部屋中に響き渡り、睡眠の時間が強制的に終了した。その音にビックリしたビアンカが俺の服の中から思いっきり飛び出ていく。腹を蹴られて少し痛かった。


「う、うるせぇ………」


 情けない声を出しつつ、ゆっくりと起き上がり伸びをした。アラームを止めて時刻を確認すると、朝の7時だった。今日は入学式ということもあり絶対に遅刻できない日だ。少し遅めに起きてしまったが、授業が始まればもっと早くなるらしいため、これよりも早く起きる必要がある。


 俺は立ち上がって洗面所に歩きだす。実家とは違い、洗面所までの距離が圧倒的に近いため、こっちの生活に慣れてしまったら実家が嫌になりそうだ。


「ふわぁ。相変わらず俺の髪の毛は真っ白いなあ」


 あくびをしながら鏡を見て当たり前のことを呟いた。俺が入学する憐帝高校は校則が緩いそうで、髪色が自由らしいしイヤリングを着けても問題ないみたいだ。だが、入学早々に羽目を外しているヤバイヤツ認定されそうだな。


「あ、はやく準備しなきゃ」


 歯を磨いて顔を洗って部屋に戻ると、俺は初めて制服というものに袖を通した。


 ブラックのブレザー、白群色や空色、天色を混ぜたチェック柄のスラックス。ネクタイはスラックスと同じ柄だ。素敵な色合いで、俺の髪色と相性ばっちりだ。


 いつもはスーツを着ているため、しっかりとシャツの代襟ボタンは留めていたのだが今は制服だ。堅苦しく見えるから台襟ボタンは留めないことにした。


 俺も高校生か。入学まで本当に大変だったなぁ。


「あと、イヤリング………よし。完璧だな」


 粼心から託されたイヤリングを着けて、身支度を終わらせた。


 鏡を見なくとも分かってしまう完成度に自惚れつつ、ビアンカの朝ご飯を準備する。生後四か月なのでもうそろそろ離乳食を卒業する頃だろう。なので、俺は買っておいたカリカリのご飯をあげることにした。


 お皿に出して、少しずつドライフードに慣れさせていく。ビアンカの前にお皿を置くと、興味津々な様子。一口食べたと思ったら、さらにもう一口とむしゃむしゃ食べていく。


 どうやら気に入ってくれたようで、もっと欲しそうにしているがあげすぎになってしまう。俺は水をあげつつ皿を片付けた。


「美味しそうに食べてくれて嬉しいよ。お前にとって記念日だね」


 ビアンカの顎下を撫でると喉をゴロゴロと鳴らす。すると、俺のお腹も鳴ってしまう。


「そういえば昨日から何も食べてない……」


 お金で困っているわけではないはずなのに、冷蔵庫には何にも入っていなかった。


 そして俺はついに見つけてしまう。キッチンの上に置いてあるビアンカのご飯を。


 すまないビアンカと心の中で思いつつ、ドライフードの一粒を口に含んだ。


「………いいヤツ買ったから、意外と不味くはないな」


 感想としては、三週間何も食べていなかったら食べたいという感じだ。俺よりも断然良いものを食べているのだから、少し羨ましい。


「やべっ!時間気にしてなかった」


 時刻は7時半を回っていた。ビアンカとの時間を楽しみすぎたようだ。もうゆっくりしている場合ではない。授業はないため、バッグを持たずに靴を履く。久しぶりにスニーカーを履いてみたが、履き心地が何とも快い。


「じゃあビアンカ行くね‼」


 そのまま家を出て階段を全力で下りる。オートロックはなんて便利なのだろうか。しかし、その最中に忘れ物に気付く。ため息をつきたくなるほどの慌てっぷりは、新生活にまだ慣れていない証拠だった。


 再び家の中に入ると、玄関に飾られた一つの写真立てを見る。


 その中には、数か月前に亡くなった5人との家族写真が入っている。俺がまだ小さいころに撮ったものであったため皐月も優もそこには居ないがもう一人、別の人物が写っていた。


 その人物は皐月が折り紙に来る前に亡くなってしまったが、優秀な人間だった。


「みんな。行ってきます」


 その写真に微笑んでまた家を出る。俺のルーティーンが一つ出来た。


「も〰〰〰〰〰‼なんでアラーム鳴らないのよ!今日は私の美貌披露会なのに……」


 一つ隣の部屋の前を通った時、その声の主が出てきた。俺は急いでいたため気にしなかったが、見たことのある人間だということは認識できた。美貌披露会とは何ぞやと言いたいがそれどころじゃなかった。


 遅刻をすれば、間違いなく優に怒られる。優に怒られるとどうなるか?


 そう、皐月にも怒られる。この世界では、どうやら俺よりも強い存在がいるのだ。朝のコーヒーを飲みたいがそれで遅刻する可能性があるのならば我慢を強いるしかない。



 犯罪者なのに全然自由じゃな~い‼



 心の中で全力で叫びつつ、俺は全力で駅まで走った。

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