第44話 花園の住人2
ほんのり温かいカフェの店内でジャズミュージックが微かに耳に届く。遠くのほうに背を向けて座っている人がいた。角の欠けたチーズケーキと紅茶を嗜んでいる女性。ミルクティー色の髪の毛とその後ろ姿は同じ女性のわたしから見ても魅力的に映るほど美しい。その見覚えがある背中にわたしはそっと近付いてみた。
「あら優ちゃん。ちょうどお話相手が欲しかったの」
足音だけでわたしと見抜いてくる。ソーサーにティーカップを置くと組んでいた足を元に戻した。
「もうプレゼントは選び終わったんですか?」
「ええ。優ちゃんなら、私が何を買ったかくらいは当てられるでしょ?」
「洋服ですよね」
「大正解」
フォークを持ち、チーズケーキを嬉しそうに食べた皐月さんの正面に座った。メニュー表を開こうとしたら制止させられてしまったが、どうやら既に頼んでいるみたいだ。いつも頼むのはルイボスティーとマカロン。
皐月さんはこのルイボスティーの独特な味がどうにもダメみたいだけど、わたしはすっきりしている味わいが好きだ。
「にしても、こんなに早く買う必要はなかったんじゃないの?なるちゃんの誕生日って23日だから結構先よ」
「良いんですよ。決めかねて、結局中途半端で選ぶよりもすぐ決めて後悔しない選択をしたかったんです。おかげで良いプレゼントを選べました」
「なら良かった」
もちろん財布を選ばなかったことを後悔していない。わたしはわたしの気持ちを大切にしたいから。それに、選ばなくてよかったことが一つある。
「だから皐月さん。財布、一緒に選びませんか?」
「優ちゃん。一人で決めなくて良いの?」
「だって二人で選んだと言えば、なるは死んでも捨てませんよ?」
「……意外と理由が重いわね」
皐月さんの引きつった顔でわたしが失言したのを理解した。もっとも、そういうつもりで言ったわけではなく、ただなるは気持ちを大切にする人だからわたしと皐月さんが選んだとなれば、どんなにボロボロになっても捨てることはないはず。
「……重いですかね」
「ボロボロになったらさすがに捨てるべきだと思うけど……。また新しいものをあげられるのも私たちだけの特権と考えるならね」
「それもアリですね」
会話を弾ませていると頼まれていたものが運ばれてくる。マカロンを一口頬張り、じんわりと伝わってくるバニラの甘さを楽しみつつルイボスティーを飲んだ。賑やかだった心がゆっくりと安らいでいくのが何とも甘美だ。
「今日の制服を着たなるちゃんはどうだった?」
頬杖をついて前のめりになった皐月さんは楽しそうにそう聞いてきた。
「えぇっ……そう、ですね……似合っていましたよ。かなり」
「ふふっ、はぐらかしちゃって。せっかくだし当ててあげましょうか?」
「え、あぁ~。いやいや。そのぉ………何のことかさっぱり」
「ふむふむ……。めっちゃ格好良くて可愛くて美人だった。スタイルも完璧でその上儚さもあって桜と共にどこかへ行ってしまいそうな雰囲気が醸し出されたと思ったら、誰よりも明るくてその純白な髪の毛が彼の眩しさと純然さを魅せつけてきたみたいで心が奪われそうになった……と」
「なんですかその酷いポエミーな感想は‼」
こんな盛ってある詩的な感想が思い浮かんでいたら最早、なるのオタクみたい。
まあ最初の一文は否定できないけど……。
「別におかしなことはないわよ。あの子の美貌は百人がみたら全人類が惚れるから。男でも女でも、その気になれば立場がある人でも。彼の魅力を知ってしまえば戻れなくなるの」
「………なるの魅力は外見だけじゃないですもん」
「それは私たちならよく分かってる。お遊びで他人の感情を弄ぶ子じゃないのもね」
それほどまでに彼は危険だ。いつもはふざけてギャグを飛ばしたり気さくな人物ということもありその要素が薄いけれども、その才能を全て用いてしまえば誰もが彼の操り人形だ。
「だからこそ、なるちゃんが今の生き方をすることが出来て本当に良かったわ。その気になれば、圧倒的なカリスマ性で全て壊してしまうのだから」
もし別の場所で違う生き方をしてしまっていたら、なるはどのようになっていただろう。わたしの知らない彼のことは気になるけど……今なら見られる。
「……きっとどう転んでもなるなら平気ですよ。だってなるですから」
「そうね。今の話は蛇足だったかも」
椅子に深々と座り直した皐月さんは何も入っていないジャケットの胸ポケットをぽすぽすと叩いた。
「見て。今日は一本もたばこを吸ってないの!凄いでしょう?」
「えっ⁈皐月さん。大丈夫ですか?そんなこと今の今までありましたっけ」
「禁煙一日目。人生初よ」
まるで禁煙に成功したみたいに胸を張るが、しかしまだ一日も経っていない。皐月さんにしては頑張っているみたいけどいつまで続くか見ものだ。でも分かる、明日になれば煮干しのように干からびた皐月さんが目に見える。
「たばこもお酒も、やるならほどほどに楽しんでください。常に致死量のギリギリを摂取していたら急に身体が壊れちゃって言うこと聞かなくなっちゃいますよ」
「……そんな怖い表現しなくてもいいじゃない。優ちゃんに介護してもらえるのも悪くないけど、迷惑になっちゃうわね」
「理解してくれたのなら良いんです」
皐月さんの介護は意外と楽しそうだ。その時はなるに手伝ってもらうのもありだし皐月さんも喜びそう。面倒見の良いなるのことだから親身になってくれるだろう。
「っていうか皐月さん、わたし皐月さんがたばこを吸っていることは知っているけど吸っている姿は一度も見たことないですよ」
「あら、そうだったの?」
「いつ吸っているんですか?」
「気が向いた時かしら」
「気が向いた時って言われてもそのシーンに一度も遭遇したことないですよ。言わずに隠れて吸っていてもわたし絶対に気付かない自信がありますもん」
そう言うと、皐月さんは頬を綻ばせて笑った。
「嬉しいこと言ってくれるわね。私らしいでしょう」
そのはじけた笑顔は妙にあたたかくてちょっとどきっとする。胸が熱くなったわたしは少し冷めてしまったルイボスティーを飲んだ。
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