第39話 汐嶺かりん

 皐月を帰らせた俺は再び遅刻したことで斎藤先生からお𠮟りを受けた。しかし、保健室に行っていたと言うとまるで別人のように態度が変わった。世の中というのは、こうやって抜け道を作っていくのだろう。


 因みに優には誤魔化すことは出来なかった。


 その後は憐帝高校関連の話を聞かされ、また休み時間になった。


「皐月さんと何していたの?」


「怪我したから病院行かせた。多分問題ないと思うけど一応な」


「えっ…………。大丈夫なの?」


 表情が曇り、こちらを見る目が潤んでいた。あいつが羨ましいよ。


「本人にとってはただの切り傷だよ。あと帰ったら後ろから抱きしめてあげなよ。そしたらすぐ治ると思う」


「ほ、本当?」


「おまじないみたいなものだけど、ないよりは断然良いと思う」


「わかった。やってみるね」


 俺の言っている意図は分かっていなさそうだが、やってくれるそうだ。その光景を想像して少し微笑むと、ある生徒と目があった。


 その生徒は教室の廊下側の一番後ろの席に座っている。芸能人でありながらも全然影が薄く、誰かと会話することもなく一人寂しく座っている孤独な少女。


 美人は三日で飽きると言うが、彼女はそれの最短記録を更新するような逸材だったのか。じっと少女を見ていると、何故かイライラしながら立ち上がってこちらに歩いてきた。


「見てないでこっちに来なさいよ」


 優と俺を見下ろして腕を組みながら悪態をついてくる。彼女がこちらに来たせいで、落ち着いてきた視線たちが再びこちらを向く。いきなりのことに優は尻込みして、椅子ごとこちらに近づけた。


 彼女は優の顔を見て目線を少し下げると、勝った。と得意げに笑った。


「そんな風に高圧的だと友達出来ないぜ?汐嶺かりん」


「え、私たち友達でしょ?ならあんたが言ったことは間違ってるわよ」


「俺以外が見えてないのか?節穴だな」


「なにその乙女ゲームでありそうなセリフ」


 汐嶺かりん。芸名は夕凪真凜という、テレビを見ないような俺でも知っているほどの有名な女優だ。今朝俺の訓練を邪魔したことで、普通に面倒な奴としか見ていない。なぜこの憐帝にいるのかは不明だが、まさか同じクラスだったとは。


 さっき会った時は、まだ暗かった時間だったしキャップを被っていたためあまり分からなかったのだが、つやのある綺麗なブラウンの髪の毛が似合っていた。


「ていうか、昨日優から汐嶺が同じクラスにいるなんて聞いてなかったぜ」


「だってなるが昨日の入学式で全部持っていったから、汐嶺さんがいることなんてすっかり忘れちゃっていたの」


「いやあんたもナチュラルに煽ってんじゃないわよ」


「それに、なるって女優に興味無さそうだし知っているはずもないと思って」


「待って優普通に真実伝えてるだけだと思うけど、それ結構傷付くやつ」


 汐嶺は泣きそうになっていたため、俺が仲介に入った。俺は知らないけど、目の前で女の子同士の争いが起きていた。しかも、優が真顔で刺さるようなひと言を言い続けたせいで汐嶺にはクリーンヒットする。間違いなく皐月の影響だ。


「はいはい。お前たち仲良くしてな。てか、汐嶺って本当に芸能人なのか?全然話しかけられてないじゃん」


「誰のせいだと思ってんのよ。私だってチヤホヤされたいのに、あんたのせいで霞んでるの」


「俺のことなんか気にしなくて良いんだよ。ほら、みんなこっち見てるぞ。美貌披露会はまだ終わってないみたいだ」


「それ言うな!」


 凄い女優ならば、こんな雑な扱いを受けたことがないのだろう。優がこんな対応をしているということはテレビでは恐らく猫を被って出演しているのだろうが、ここでは素を見せてきゃっきゃしている姿はまだ高校一年生のあどけない少女だ。


 そういえば、女優はいつでも出来るからJKの方が大事って言っていたな。そういった気持ちは、今思えば些細なことだけど大切なものだ。


 俺たちがふざけていると、一人、また一人と、周りに集まってくる。辺りを見渡せば、クラスメイトの大半が俺たちの会話を楽しんでいた。時にはその中の誰かが話に割り込んで来ることもあった。


「汐嶺さん‼俺とLINE交換してくれませんか!」


 スマホでQRコードを出してくる男子生徒に汐嶺は、罪悪感をはらんだ声で対応する。


「ごめんだけど、男性と連絡先を交換するつもりはないの」


「だ、だったらインスタ交換してもらえませんか?」


「良いわよ。でも、相互フォローは無理だから」


「それ交換じゃなくてただのファンになっちゃうじゃないですか!」


「うふふ。一生ファンでいてね?」


「は……はいッ!」


 男子の扱い方を心得ているのか、まるで操られているかのように心を弄んでいた。汐嶺の普段からは想像つかないキャラは結構ウケているようで、男子生徒はほとんどメロメロになっていた。どうやら女子からも好評で、LINE交換を野郎抜きで行っていた。


 俺は彼女にだけ聞こえるような声で話しかける。


「おいおい汐嶺。恋人選びには困らねえな」


「この中から年収数千万になるような男を選べってわけね。選り取り見取りじゃない」


「お金が無ければ愛は生まれないって訳っすか……」


「金は全てを凌駕するもの。でも私は金で人を選ぶような俗物じゃないから」


「本当かよ」


「好きな男となら駆け落ちくらい何てことはないし、女優なんていう肩書だって捨てても構わないわ」


「……普通に格好いいな」


 真っ直ぐな声音は、本当かそれとも女優ならではの演技か一瞬迷いそうになったが、軽はずみに男と連絡先を交換しなかったのは、女優としての一面と純粋に好きな人以外には興味のない一面の表れが混在しているからなのだろうか。


「ま、それでも私も年頃の女の子と言っておくわ」


「へぇ~」


「………興味ないの?私の好きな人」


「あんまりないかな。それに、それで知らない俳優出されても、結局目に見えるような要素で選んでるじゃねえかって思っちゃうね。俺、恋愛素人だから」


「確かに、あんなギャーギャー騒がれるほどモテるんだったら急いで恋愛する必要なんてないわね」


「それもあるかもな」


「私たち、意外と似てるかもね」


 無駄にモテるという、普通の人たちが聞いたら反感を買いそうだしイメージダウンしそうなことを平気で言う。俺も言うことがあるので気が合うのは間違いないかもしれない。


 生徒たちが各々去っていった後、俺たちが話している間ずっと他の生徒の相手をしていた優は人知れず面白くなさそうな顔をしていた。まだ汐嶺はこっちに来ているので何も言わずに、俺たちの話を静聴しているので俺は気になって話しかけた。


「なあ優、誰が一番女優で可愛いか論争することになったからこっち来てくれよ。俺、汐嶺くらいしか出てこないからさ助けてくれ」


「…………ふん、二人でやってれば?」


「あ」


 さっきのようなことが初めてだったため、一人だけで楽しんでしまった。元々は優が誘ってくれたおかげで今があって、俺の力ではない。だからこそ優が使ってくれた時間を今度は俺が優のために使うべきだ。


 彼女には悪いことをしている。一度きりの高校生活は俺だけではない。優もそうだ。今の子だったら普通に恋愛もする。その時期に俺のような人間に時間を使う必要はない。


 ただ、それを言うには俺では力不足だ。


 そんな優を見ていた汐嶺は何故か痺れを切らしたみたいに苛立っていた。床を一定のリズムで足を踏み鳴らし、舌打ちまでする始末。もしかしてと思い、急いで手を伸ばして止めようとしたが遅かった。


 机に手をついて優を威圧するよう睨んだ。


「あんた、鳴海のことが好きなんでしょ。ならどうしてそんな態度取るの?」


 言ってしまった。しかし優は怖気づくことなく、立ち上がって反発する。


「汐嶺さんには関係ないでしょ?」


「あるに決まってるじゃない。鳴海は友達だもん。友達が困ってる顔してたら助ける、当然のことでしょ?」


 優と俺の関係は対等ではない。俺は優に対して負い目を感じてしまっている。優の時間を無駄にしているのではないか、将来に悪い影響が出ないか、そんなことを考えることが多くなっている。


 昔だったらとりあえず皐月に任せておけば何とかなると思っていた。だがそれは、接触の機会が極端に少なかったため生まれたやり方だった。だからこそ、綺麗な理想だけ見ていられるし深く考える必要はなかった。


 でも今は毎日会うような環境になった。そうすれば、必然的にどれほど違う世界で生きているかが分かってしまう。彼女のことを優先的にするべきだが、今回は俺の失態だ。


 優がただヤキモチを焼いている。分かりきっているはずなのに、それを無視できない。


 黙り込んだ優に汐嶺は柔らかい口調で語りかける。


「私はあんたの事情は知らないけど、きっと鳴海はそれに何も言えないの。だからこそあんたが嫉んでいても無視できないで関わったりしてる。違う?」


「違くない………けど」


「好きな人が他の女子と会話してモヤモヤする気持ちは分かるけど、鳴海のことを考えたことがあるの?」


「そんなのあるに決まっているじゃん」


「なら、あんたは鳴海の気持ちを利用してる。自分に都合が悪くなればそうやって不機嫌になって彼の気を引こうとしてる」


 割り込もうとしたが出来なかった。今俺に出来ることはここで傍観していることだけだ。無理に入ったら優に気を遣っていると汐嶺は更に怒り出す。


「嫉妬するなとは言わない。けど、それで鳴海に時間を使わせるのはやめて。時間はあなただけに与えられた特権じゃない。私にも鳴海にも平等にあるの」


「………わたしはただ、なるにいい人生を歩んでほしくて。でも………」


「ああ……そういうこと。じゃあちょっと外に出ましょ?」


 鳴海は待ってて、と言われ接着剤で固定されたみたいに俺は立つことはなかった。二人は廊下に出ていき、俺はその背中を眺めていただけだった。


 喋るのは今日が初めてっぽい二人だったが何故さっきみたいに言い争いが行われたのか。汐嶺にとって優の引っ込み思案で自己肯定感が低い一面に嫌気が差したのか?それとも単純に俺が困ったような……いや、そんな顔したつもりはないから恐らく前者だが、それでも今日初めて会った俺のためにわざわざ怒ったりするか?


 彼女は何者だ?


 思考を巡らせていると、二人が戻ってきた。また喧嘩が始まるのを危惧していたが無用の心配だった。


「もうそれって最悪ね。ああいうやつって意外と女癖悪いから気をつけなさいよ?」


「確かにそうかもしれない………それにね、興味無さそうに見えて妙に女性慣れしているの。もう本当にびっくりでね」


「え~何それ。やっぱりモテることを自覚しているナルシストなのよ」


「えぇ………」


 二人は仲良く目を合わせながらお喋りをしている。さっきの険悪なムードはどこかに行ってしまったようで、優は人見知りが消えたようにニコッとしているし汐嶺も聞き手に回り話の中の人物を馬鹿にしたように笑っていた。


 これ、俺のことだよな。


「鳴海。終わったわよ」


「あ~うん。仲良くやってるみたいで良かったよ」


「そうね。話してみたら、優もただの可愛い女の子ってことが分かったから」


「そっかそっか。まあ二人がそれでいいなら構わないよ」


 こういった言い合いの時、別の敵を作ることによってその場を収拾させて協力関係を作る。間違いなく俺がその敵になったみたいだ。


 すると汐嶺は、優の背中をポンと叩いて前にやった。優に不安はなく真っ直ぐに俺を見つめて、優しく微笑んだ。


「うん。ほら、優も言うことがあるんじゃないの?」


「あ、そうだね。あのね、なる。わたしに言いたいことがあるのなら、何でも言っていいよ。きっと学校に来られたこととか色んな要因で自分の意見を通せなくなっているんじゃないかな」


「そうだな。優に感謝してるから、言うべきことも言えないんだろうな」


 元々汐嶺は喧嘩するつもりはなかったのだろう。ただ、優を見て、俺を見てその状況を変えるためには優の意見をしっかり聞き、その考え方では駄目だときっぱり正面から言う。


 俺では出来なかったことだ。


「なるの人生なのに、わたしが制限しちゃっているなら謝る。ごめんね」


「謝る必要なんてない。俺が勝手に負い目を感じてるだけだ」


「でも、それで負い目を感じることは無いんだよ?なるが好きなように生きていいの。わたしの感情に付き合わせるのは今日で終わりにするから、それも含めて楽しい学校生活にしようね!」


「優………」


 別人のようだ。自分の感情としっかり向き合った彼女の表情は澄んでいた。波が立つことがあってもきっと俺がどうこうする事はなく、もう一人の力で乗り越えていくのだろう。もしそれでもつらくても、その隣には友達がいる。俺よりも気心知れた何でも話せるような人だ。


「汐嶺もありがとな」


「何言ってるのよ。友達なんだから当然じゃない。いつでも頼っていいんだからね」

「ああ、助かるよ」


 ブラウンの髪を嬉しそうに払うと、両手を腰に置き胸を張った。汐嶺には今度お礼でもしようか。色々手伝ってくれたのだからそれくらいはしたい。


「じゃ、もうチャイムがなるからまたね」


 そう言い捨て席に戻っていった。俺は静かにそれを見ていた。しかしこう言っては何だが、何か違和感が残る。



 なぜ俺たちの問題に彼女が割って入って来た。あいつは何がしたかったのだ?助けてもらっておいてこういう風に詮索をするのは不義理だ。だけど、おかしい。それでも不可思議だ。


 あいつの口ぶりからして、好きな人くらいは簡単に分かる。それほどの好意は受け取ってきた。それならば、なぜ優と俺の仲を取り持つような行動をした?関係を壊すように仕向けても何も問題はないはずだ。なぜ俺のことを友達として認定した?他の男とは連絡先すら交換していないのに俺だけと交換したのか。彼女の行動が変だ。


 それに、似ているって何だ?もし俺たちが似ているのならば汐嶺が何も言わなくたって俺がこの複雑な関係に終止符を打てると思うはずだ。だからこそ気が合うかもしれないけれど、性格が似てはいない。


 彼女の考えていることに追い付いてきた。だからこそ確信した。





 汐嶺かりんは、折り紙の時の俺と会ったことがある。

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