第20話 首相降ろし
「任せな」
誰にも聞こえないような声で独り言が漏れた。再び手袋を着けて、流れる血に触れないように、岩井の右手人差し指をスマホに触れさせて、ロックを開く。
時刻は6時22分。車掌を下ろして逃がす。車掌は鳴海が事前に準備した人間であり、犯罪をする上で情報を収集する役目を持つ人間だ。この後すぐに、一般人に戻り私生活をしながら情報収集を再び始めるだろう。
「さてと、やりますか」
鳴海は、ん~。という声を出しながら伸びをする。そして、軽くストレッチをする。
まず下準備として、この電車内で触れた場所、髪の毛、服の繊維、靴の汚れ、その他の証拠を一切残さないように車内を観察し始める。いまから、全国的にこの件は露呈する。そのためのリスク管理を完璧にする。
「よし、騙すか」
だが、証拠隠滅が完璧であればあるほど捜査は容易くなる。これほど大きな事件があれば犯人の証拠の一つも無い方が逆に怪しい。計画的がすぎる犯行だと思われるのは良くない。
それを利用し、鳴海は約二か月間の任務で採取していた複数人の髪の毛や証拠になりそうなものを現場に少しだけ置いておく。既に亡くなっていて、同じ地域で殺害したこと、尚且つ遺体処理が完璧であることを条件として、三人程度の犯行に見せかける。更に、新宿内に同じように付着したものを置いておくことによって、捜査を難航させる。
鳴海は新宿駅内にある全ての監視カメラの位置を柏木から教えて貰ったことにより、今日は一切カメラに映らず行動することが出来た。
「完璧だ。これで俺に辿り着くということは一般人には不可能だろう」
だが、今のことは下準備。何も解決していない。今から電話を掛ける必要がある。娘であろう人物が背景になっている岩井のスマホ。役立てさせてもらう。
鳴海の仕事はこれからが本番だ。
「えーっと、確か電話番号は………」
すっかり慣れた手つきでスマホを操作する。電子機器を十五年使っていなかった鳴海でも、今では必要不可欠になってしまっている。
『────はい、こちら新宿駅東口交番です、どうされましたか?』
ハンズフリー設定にして、鳴海は話始める。老人の声で。
「私は折り紙。新宿駅西口地下広場のコインロッカーに爆弾を仕掛けました。ロッカーの番号は13番。嘘だと思うのなら、行ってみなさい」
『な、なに言って────⁈』
そのまま何も言わずに強制的に電話を切る。ひと息ついたところで、残っていたカフェオレを飲み干す。
「いや~、かなり上出来だったな。というか、もう老人だった」
老人の声から、いつも通りの声で自分自身をべた褒めする。
そして、もう使用する必要の無くなった岩井のスマホを鳴海は半分に折って、完全に破壊する。それをポケットにしまう。しかし、問題はここからだ。
鳴海は内ポケットをからもう一台のスマホを出す。当然これも自分のものではなく、依頼で拾ったものを勝手に使用している。
鳴海が掛ける相手というのは、全ての元凶と言っていい者だった。
電話番号を打ち込んで、ハンズフリーにすると呼び出し音が聞こえ始める。5コールしても出ない。あちら側が手こずっているのだろうか。
「あいつを信じるか」
9コール目、ついに音が途切れる。電話からは、少し相手の呼吸の音が聞こえる。
『………お前は誰だ?』
重々しい老人の声。知らない携帯番号から掛かってきて多少の動揺を見せている。
現内閣総理大臣の光原巌令、折り紙削除計画の首謀者だ。
「久しぶり」
『その声はっ………』
「そう、時之宮鳴海だ。地獄の底から這い上がって来たよ」
『何故だッ!なぜ貴様が生きているのだ………。まさか、あいつらがしくじったか』
「いや、刃の作戦は完璧だった。思わず拍手したくなるほどのものだ。おかげで、折坂を含め五名が殺された。折り紙は大損害だよ」
『フン。お前が生きているとしても何が出来る。私を殺すか?やれるものならやってみろ。犯罪者はコソコソ生きて、地獄で朽ちればいいのだ』
光原の虫唾が走る煽りを、物に動じない態度で鳴海はぽりぽりと頭を搔きながら聞き過ごす。話が終わりを迎えると、鳴海は冷嘲し哀れんだ口調で言う。
「はあ、こんなのに総裁選で負けた敷田は何やってたんだよ本当に………。お前も可哀そうだな。今から総理大臣を辞めるっていうのに、人を馬鹿にするような発言で強く見せる必要はもう無いよ」
『………はぁ?何を言っているんだか。戯言はいい加減にしてもらえないか』
「まず手始めに、お前がいる場所を当ててやるよ。総理官邸だろ?」
『ど、どうしてそれを………』
「そりゃあ、今日の為に頑張って来たんだから。あ、近くに敷田もいるだろ?」
『くっ。敷田。貴様何のつもりだ!』
「はははっ。まあ、焦るなって。これからがお楽しみの時間だから。とりあえず静かに聞けよ」
電話越しに癇癪を起している光原を今度は嘲笑う。
「内閣支持率を見せて貰った。三十九・二パーセントなんて良い数字じゃないか。政府関係者に大口を叩いて、実現したんだろう?折り紙を全員抹殺するということを」
『………何が言いたい』
「おかげで内閣支持率は四〇パーセント近くになって安定し始めている」
『実に助かっている。折坂という女も所詮刃の前では紙切れ同然だ』
「ああ。お前は俺のことを本気で怒らせたいみたいだね。だが、俺ももうすぐ十六だ。大人気ないお前をみすみす逃してやろうと思っていたのに………そうもいかなくなってきた」
『悔しいのか?首輪が無ければ行動出来ない犬が何を言う』
「まあいいか。なあ、俺の声が聞こえているのなら答えてみろ。内閣支持率が下がると何が起こると思う?」
『………内部から強制的に降ろされる』
「そうだ。そして、お前は折り紙を壊滅させたことで支持率が上がっている。つまり?」
『時之宮が生きているということが、他の者に知れ渡ったら私の支持率が下がる。………私が降ろされる』
「あはははは。正解。どう?飼い犬に噛まれた気分は」
笑壺に入った鳴海は、狂犬病には気を付けてね~と言って、もう片方の手で自分のスマホを操作してSNSを開く。
既に新宿駅に爆弾があったということが話題となっている。一万いいね、五千リツイートという数十分で異常なほどの反応がある。
「………マジであったんだ。凄いな」
鳴海も確実に爆弾があるとは思っていた。しかし内心では、ありませんように、と願っていたのでこのニュースを見て少し寿命が縮まりそうになる。
『な、なんだ』
「新宿駅で爆弾が見つかったんだって~。なんでだと思う?」
『や、刃か?だとしたら』
「違うよ。俺がやったんだよ。お前がそういうつもりなら、俺が国民を殺してやった方が早いと思ったんだ」
ま、もう遅いけど。と愚痴をこぼして鳴海は空き缶を持って車掌室に向かって歩き始める。岩井とはここでお別れだ。遺体はそのまま置いていく。
「これからお前は降ろされるぞ。内閣支持率を見ればわかるが、六〇パーセントの事件を知ってる者たちはお前を支持していないんだからな。折り紙が生きていることが露呈すれば、きっと今より酷い事になる」
車掌室のドアから敷き詰められた石の上に着地する。電車が近くを通らなくなったということは新宿駅に爆弾があったせいでダイヤが狂ったのだろう。
会社に大きな損害を与えてしまったが、柏木は大して気にしていなさそうだ。
『お、お前………まさか。爆破予告を………』
「なあ、光原。お前は間違いを犯したんだよ。折り紙は三〇年という歳月、この国に貢献し続けていた。もちろん結束当時、俺は生まれていないから分からないし、折り紙という治外法権が簡単に認められる訳がないんだ。だが、どんな逆境だったとしても折坂たちは諦めなかった。だから今、折り紙が浸透しているんだ。己が命を懸けてでも守りたいものがあって正義を歪ませた。それを全国民に認めてくれなんて今更言うつもりもないさ。だが、俺たちとお前の中には、何にも違いはないはずだ。一緒に闘った時もあった。その時、この国のために俺たちは正真正銘に命を懸けた。お前に警告を入れたこともあった。だけど、その最期がこれか?馬鹿正直にこの国を裏で支え続けた人間の終わり方がこれなのか?」
鳴海は折坂を尊敬していた。人間としても、犯罪者としても。
だがら、きっといつか任務で死ぬと、そう思っていた。それに対して鳴海は悔しいという気持ちは一切乗せずに、労いの言葉一つと笑顔で送り出したいと考えていた。
だが、そんな言葉一つ選べずに会えなくなってしまった。
「残念だ。それだけ」
声を曇らせて、ため息をついた。就任当時、元々光原に期待なんてしていなかった。だが、総理大臣にまで上り詰めたその努力を信じてやってきたはずだった。
『…………私にとって立場、それしかなかった。それを守ることが精一杯だった。一度手にしてしまえば、離せなくなる。今のお前のことを聞いていなければ………な』
「お前。もう総理大臣なんか辞めなよ。お前の支持率を下げるために、数カ月間走り回って爆弾使って他の政治家からの追及でお前を内側から潰すっていう算段だったけど、今のお前にとってその権力の価値って何なの?誰が、お前のために動いてくれるの?自分の命を捨てる事すらできない人間に上に立つ資格なんかないよ。お前には無理だ。そうやっていけば、いつか大切な人を失う」
『…………』
遂には黙り込む。鳴海もここは何も話し出さない。命を懸けずにただ権力にすがる者と、永遠に従う使命を受けた者。鳴海はそれを割り切ってしまっている。
結局、そっちでしか生きることが出来ないと知っている。
「………お前に好条件を出してやる。今から病院で診断書を作ってもらうように依頼する。お前は緊急会見をした後、遠くに逃げろよ。そうしなければ俺がお前のことを殺しに行ってしまいそうだ」
『………お前はそれでいいのか』
「俺はお前と同じだ。何も違いはない。これから、あるものを手に入れてくる。それを手に取って二度と離したくないと感じたのなら、俺はいつかお前に謝りに行く。しょうがなかったなって、今日までのことを笑い飛ばしてやるよ。なに、謝らなくていいんだ」
『時之宮…………』
「ま、そんなところだ。それで、お前はどうするんだ?このまま総理大臣を続けるのか?」
『…………いや。私は………今日を持って辞める。どうせ、お前には勝てないからな』
「ああ。お疲れ様、だな」
少なからず恨みがあろうとも鳴海は笑顔で打ち消す。しょうがない。それだけで成立してしまう世界なら、鳴海は素直に受け入れるしかない。それが、裏社会での約束だ。
「ああ、とりあえず敷田と代わってくれ。お前と話せて楽しかったよ」
『分かった。敷田お前にだと………………敷田だ』
「ああ、お疲れ。今日までご苦労さん」
『時之宮も。特に何も無いなら、この携帯は破壊する。それでいいか?』
「それでいい。ちゃんと破壊できんのか?」
敷田が使っている携帯は鳴海が依頼で奪ったものであり、自身の携帯の通話履歴に残らぬよう念のために使わせている。敷田曰く、こんな大規模な作戦は二度とやりたくないようだ。
「光原が辞めると言わなかったら、もう少しお前に頑張ってもらう予定だったがその必要は無くなった。良かったな」
『ああ。だが、もう大丈夫だ。ここからは私の得意分野だ』
本来の作戦では光原が折り紙を殺し、その残党である俺が爆破予告の件で暴れていることを理由に敷田派閥が光原に言及し、全て光原が原因だということを他の政治家に思わせて引きずり降ろすことだった。
だが、光原が随分と簡単な性格だったおかげで助かった。
「だね、総理大臣サン」
『伏線が回収出来て良かったな』
「そっちこそ四代続く政治家一族だから、そろそろ総理大臣にならないと危なかったんじゃない?」
『そうだな。実はヒヤヒヤしていた。次の総裁選は確実に勝つ』
「そうしてくれよ」
鳴海はそのまま通話を切ると、携帯を破壊する。
「一日何回スマホを壊せばいい………」
ポケットの中には既に破壊したスマホ一台。鳴海はなんとも言えない気持ちになる。そんな気持ちを消し去りたいと思った鳴海は、皐月に連絡を入れて光原の偽の診断書を制作してもらうように伝える。ついでに何か買ってほしいものがあるかを聞く。
落ち着いたところで、鳴海は電車にもたれて空を見上げた。
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