第19話 無駄な犠牲
3月22日。午前6時。新宿駅は今日も社会人の渦を作っていた。そこにいつも通り、出社する男はコインロッカーに寄る。
指定されたパスワードを打ち込むと一つの扉が開く。中は開けてはいけないという指示を破ることなく、それを持って改札まで歩き出す。周りは気付くはずもない。その者が、今から罪を犯すということを。
爆破予告が社会問題の渦中であるこの日本だが、それを危険視しているのは政治家だけで殆どの国民は反応があってもその話題が続くことの方が少ない。
改札口を通りホームを抜けると、一本の回送列車。そこに乗り込めば、男の仕事は終わったのも同然だった。どこに行くかは不明。だが、結果は分かる。
ドアが閉まると、ゆっくりと列車は走り出す。それに揺られながら席に座って、窓の外を眺める。鞄は足元に置いて、動かないように両足で挟む。呼吸は正常だが、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。
「見たことのある景色にうんざりしたことはあるかい?」
「…………っ!ど、どうして?」
声の方を見ると、純白の髪を揺らしながらかつかつと楽しそうな靴音を奏でながら男の方に近づく一人の犯罪者がそこにはあった。時之宮鳴海だ。
「犯罪をするのに俺を入れないってどういうことだい?そこだけ知りたいね」
「………貴方に関係ありませんよ。これは私の仕事、ですから」
「仕事?お前の仕事は傍観なはずだろ。
「ええ。それが私の道ですから」
煽るような口調に岩井は動じずに言い返す。鳴海はため息をつくと、岩井の真正面の座席に座る。そして、ポケットの中から缶のカフェオレを出してふたを開け、あちぃなと愚痴をこぼして、ちびちびと飲み始める。
駅を通過するが、この状況は鳴海たちがセッティングしたため車庫がある場所まで列車は止まることをはない。もしくは二人のどちらかが死ぬまでは止まらない。
「どうしてここが分かったのですか?死ぬのならそれだけでも聞いて殺されたいですね」
「おっと、お前は何か勘違いをしている」
「勘違いですか?」
「そうだ。一つ目は、お前は依頼という名目で殺されるためこの事件の裏側を知る権利はない。二つ目は、俺はお前を殺さない」
「ど、どういうことですか?」
「とりあえず、それ開けて」
岩井の足元に置いてあった鞄を指さして開けるように命じると、岩井はそれに応じる。自分の膝に置いてチャックを開けると、中には錘と拳銃が一丁入っていた。恐る恐るそれだけを取り出して、鞄を降ろすと立ち上がり鳴海に拳銃を向ける。
「おっとおっと」
鳴海は地面にカフェオレを置いて立ち上がって両手を上げる。二人は時計回りに動き、鳴海は背を向けずにゆっくり後ろへ下がる。
岩井の手がぷるぷると震える。照準が定まらず、顔や足、胴体に狙いを変えたりするが、当然ながら撃ったことがない岩井にとって、相手を殺害させずとも一瞬だけでも行動を止める部位を知らない。
それを危惧した鳴海は岩井を説得しようとした。
「待って」
「待たないですよ。もう時間がないですから」
「話し合えば分かる。お前が何を企んでるのかも」
「それが分かったところで、何も出来ずに終わりです。私も、貴方も」
「ここで撃っても何も意味はない。状況が最悪になるだけだ。だから一回降ろそうか」
「…………状況って?」
「後で言うさ。それに、俺が君に拳銃を弾薬が入ったまま渡すわけがないだろ?」
「じゃあ、この銃は……」
「ああ、空さ。中身はないよ。君の人間性を確かめたかっただけだ。最悪だったけどね」
「………ははは、あなたに勝てばあの人に生かしてもらえると思っていました。ここで負けですかね………」
岩井は構えていた拳銃を床に落として、手をぶらぶらさせる。それを鳴海は見逃さず拳銃を回収し、そもそもエアガンだしと呟く。
それを聞いた岩井は、俯きながら拳を握る。鳴海の巧妙な罠に引っ掛かり、更にここでも弄ばれる。何もかもを放棄して再び座席に座るが、少しも楽にならない。
「考えるのを放棄してはいけないよ。お前たちをいい方向に進める。なに、犯罪の一つや二つ。俺は一々文句は言わないさ」
「え?」
顔を上げると、鳴海は岩井の目の前まで来て吊り革を掴みながら、ニッと歯を見せて笑う。
意味の分からないことを言ってくる鳴海にギッと目を細めるが、表情を変えずにまぁ聞きなさいとなだめる。
電車に乗って数分の間で色々あった。一度敵意を向けた人間が自分を助けようとしている。今なら簡単に殺すことが出来るだろう戦力差。しかし、そんな相手が救いの手を差し伸べてくれるというのなら、それしかない。
(恐らく、それが最善策だ。だったら私は…………乗るしかない)
「お願いします。それをやります」
「お、いいね。やろっか」
そう言って鳴海は岩井と同じ目線まで腰を下ろし、右手の親指と人差し指で丸を作ってOKサインを作る。左手は、岩井の肩に触れながら静かに深呼吸をする。
「右手の輪っかを見て、そこから絶対に目を離さないで」
「はい」
「そうしたら考えるんだ。君にとっての一番の幸せを」
「一番の幸せ………」
(妻と……娘。私の生きる意味であり、私の幸せの象徴だ)
「考えたか。そうしたら次だ。その幸せをどうしたいんだ?」
(幸せ………私は…………)
「それをずっと、見ていたい。一〇年後も、二十年後も、私はそれを見ているだけで十分だ。他に欲しいものなんてない」
「そうだ。想像するんだ。想像こそ幸せの一歩目だ」
その輪っかに仕掛けなんて存在しない。ただ、想像だけで気分がふわふわしてくる。
愛する妻と娘。岩井の娘は今年から小学一年生。ルビーよりも赤く輝くランドセルを背負い、小学校の校門を家族三人仲良く手を繋いでくぐる。きっとその時間は、父親として最も誇らしい瞬間。それを更新するための日々は、意外にも短かったりするのかもなんて考えたりする。
初めて自分の名前を漢字で書くことが出来た日に、由来を伝えて名と共に生きていってほしい。でも、結局は元気に生きてくれれば何でも良いのかもしれない。
中学、高校に上がれば初めての恋人が出来たりもして、反抗期が来て少ししょんぼりしながら生活するのかもしれない。だが、それすらも嬉しく感じる。
大学生、社会人になれば、自分の出番はもう終わり。子供が出来て、いつかは同じ思いをするのかも。そういうときは、一杯だけ長い夜に付き合ったりしてみたい。
(楽しそうだ。つまらない時、辛い時、そんなものなんて感じる暇がないのだろうな)
岩井はほろりと一縷の涙を流す。鳴海は、それを気にせずに続ける。
「素敵だね。君の人生に、暇なんていうのは存在しないんだ」
「ああ、どうやら。想像より、大変そうですね」
「当り前さ。女の子の相手は何歳でも大変だぜ。女の子は犯罪者の俺なんかよりもきまぐれだからな」
鳴海は砕けた笑みを見せる。鳴海が考えている女性は一体どんな人なのだろう、岩井は気になっていた。話してくれなさそうだが、一応聞いてみる。
「そのじょ────────」
「面白かったね、じゃあ続きをしようか」
「えっ?」
「まだ、何も終わってないんだよ。これからが本番だ。あ、右手から目を離しちゃだめだからね」
鳴海は左手でスーツのポケットを漁りながら、やっぱ目を瞑ってくれない?と言うと、岩井は目を瞑る。そして、岩井の左手に先ほどのエアガンを持たせる。
ひと段落すると鳴海は岩井の反対側に座り、ポケットからコーヒーを出して、飲む?と聞くが岩井は断ることにした。
「さて、次は踏み込んでみよう。君の家族は恐らく幸せになる。間違いなく」
「え、ええ」
「なら左手で持っているそれ、エアガンだから頭に当ててみよう」
「…………分かりました」
言われた通り、岩井はエアガンらしきものを自分の頭に突きつける。だが、引き金に指を掛ける勇気は無く、グリップだけ握る。
「よし、岩井。お前、幸せを想像したけど、それはどうやって実現するんだ?」
「どうして………と言われましても……」
「そうだな。じゃあ、言い方を変える。お前が彼女たちの幸せを願うのは勝手だが、それを見るのは無理だ」
「…………は?」
鳴海が意味の分からないことを言っても目を開けない。恐怖もあるが、ここで開けてしまえば鳴海に対して失礼だと感じている。これほどまでに協力してもらっては岩井も目を開けることは必然的に出来なくなっていく。
「まず、お前がやっていることを簡単に言っておく。お前はテロ等準備罪の一端を担っている。これは非常に重い処罰が下されるんだ。言わなくても、分かるね?司法に裁かれる前に、君とここで話すことが出来て良かったよ」
「テロ等準備罪……。私は一体どうなるのですか?懲役とか、禁錮とか……どんな処罰が?」
「そうだな………いや、その判断は司法が行うことだ。俺がここで断定するのは間違っている。それに、いつここが特定されるか分からない」
「…………私のやっていることが危険だということは知っています。でも!」
「でも、家族を人質に取られているんだろう?」
「知っていたのですか?」
「そりゃあ……ね」
「私を……………私たちを助けてくれるんですか?」
「それを今からやる。一つだけ言っておく。後悔はさせない」
「………わかりました」
鳴海を制限していたものが今の一言で解放される。ゆっくり立ち上がり、岩井の目の前まで行き岩井を立たせる。両手を引いて歩かせると、少しだけ電車が減速する。
ここで良いか、と言って鳴海は通路の真ん中に立たせる。そして、ゆっくりと座らせて、あぐらをかく態勢にして心を落ち着かせる。
「大丈夫か?」
「………はい」
「俺に何か言うことはあるか?」
「……………娘は、将来お医者さんになりたいと言っていました」
「それでいい」
悠然としている姿を見て鳴海は、少し安心する。その反面、思い詰めることはないと分かっていても、もっと良い方法があるのではないかと考える。
鳴海にとって死は身近に存在する。ならば、せめて素敵なものであるべきと思っている。
死とは素敵なもの。鳴海の価値観は、十五年で壊れている。
だがそれは、鳴海の理想であり望む世界であった。死は素敵であるべき。そんな価値観を持っている人間はきっといない。それを知っている。
ならば、どんなバックグラウンドがあろうとそれを肯定してあげる。これが折り紙として生きる上できっと彼らに対して出来る事なのだと。
「岩井、お前がこうなっている理由は何だか知っているか?」
「危険なことに加担しているから………?」
「ああ。お前が生きているとどうなるか知っているか?」
「…………」
「お前がもしこのまま生き続ければ、家族に迷惑が掛かる。お前がテロに加担したということが、お前の娘の友人やその親に知れ渡ったらどうなる?」
「それは…………」
それは岩井にとって言いたくもないし、想像すらもしたくないのだろう。しかし、鳴海は止めない。良心の呵責は機能しない。
「お前の家族は間違いなく虐めにあう。そうだな………俺は学校にまだ行ったことが無いから分からないが、物を隠されたり仲間外れにされたりするのかもしれないな。もしかしたら暴力沙汰も」
「……………」
「母親の方もそうだろう。親同士のトラブルが重なり、それがストレスになることで親子仲が悪くなったりする。年齢を重ねていくうちにいじめももっと酷いものになっていく。娘が就職するときは相当大変だろうな。親が犯罪者であるから、ほとんどの会社はお前の娘を雇うのはリスクがあるだろうと判断して就活は難航する。可愛そうに」
「………やめてくれ」
「いや、俺はやめるつもりないよ。君の家族は永遠に苦しむ。たとえ、妻と娘が夜逃げしたとしても俺が見つけ出して、お前の話をばら撒く。どこに行っても、誰が忘れようと、俺は今日のことを忘れることは絶対にない。諦めたほうがいい。それにここには監視カメラもある」
鳴海が目線をやった方には、カメラがあり二人を見つめている。岩井は鳴海の言葉による恐怖と絶望のせいでがたがたと身体が震え始める。
自分の犯罪せいで家族に迷惑を掛ける。鳴海にとってそれはよくあることだが、一般人にとってそんなことは耐えられるはずがない。
「お願い、します………それだけは………」
「うーん。ならいい方法がある」
「い、いい方法ですか?そうしたのなら、家族は助かるのですか?」
「ああ、それはな────────」
鳴海は耳元で伝える。その悪魔の囁きは岩井にとっては非常に好都合なものであった。
意図を伝え終わったあと小さな声で、分かりました、と言うと岩井は自分のスマホを差し出す。鳴海は、手袋を装着して受け取る。
「ありがとう。あとはこっちでやる」
鳴海が手袋を外し、右手を差し出すと、目を閉じたまま岩井はそれに応じる。それは、どんなものよりも堅く、重い握手だった。
列車が更に減速し、ゆっくりと止まる。辺りはいくつかの電車が止まっており、車両基地に着いたと確信する。その周辺には作業員は一人もおらず、人払いが完璧に出来ていることに鳴海は安堵し、岩井に伝える。
「お前はここで死ぬ。家族の為にだ。それで十分だろう?」
「はい、彼女たちの幸せのために私が邪魔だというのなら、喜んで」
そして、岩井はこめかみに拳銃を当ててゆっくりと、微笑む。もう慌てた様子はない。
それは、未練のない素敵な表情だった。
「頼みます」
鼓膜を破り裂くような音が近くを通過した列車がかき消したが、鳴海の耳の中に残り続けた。
「任せな」
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