第52話 敵対
車が目的地に着いたのは夜の9時頃。人里離れた場所にある古びた大型の倉庫の前に降りた三人は、まだまだ寒い4月の気温に耐え切れずにすぐさま錆びた扉を開けて倉庫内に入った。だが倉庫の天井は多少壊れており、そこから見える星空がその部分を繕っているみたいだ。
ここには電灯が無く、目の前を視認することが困難な状態だったが誰もライトを準備しておらず、嫌々ながら情報屋がスマホのライトを使って照らしていたのだがすぐに充電が切れてしまった。そこからはずっと暗黒で耐え忍ぶ。
バランスたちはそこである人間の到着を30分程度待った。
「ごめんごめん。寒かったよね」
すると男の声が倉庫内を包んだ。バランスだけが反応しその声の主を探すべく、辺りを見渡してリボルバーを抜くために手をかける。天井から入ってくる夜の明かりだけが、この暗い場所で男を殺すための頼りだった。
すたっと音がした所に視線をやったがその場所には何もなく、ただ微かに見えたのは割れていたタイルとうっすら生えていた苔。二人の女が特に反応を示していないのは気付いていないだけなのだろうか。
「久しぶりだね~」
「────────しばらくはあのバーに行かないほうが良い」
「はぁ〰〰い」
急に情報屋が話し始めたと思いきや、バランスは自分の腕が一切動かないことに気付いた。誰かに掴まれている。暗闇の中でほのかに映るのは男とも女ともとれるシルエット。声と腕を押さえる力で目の前にいる人間が男だと判断できた。だが、その正体がはっきり分かったとしても何も出来ない。
心がざわざわと焦燥したバランスは一度リボルバーから手を離すと、目の前の男も手の動きから察したように腕を解放する。
「時之宮………鳴海か?」
絶望という答えの返ってこないものに話しかけているみたいに小さく問いかけた。
「……………初めまして、だね」
上手く見えないが、笑っているかのように答える。バランスが眉根を寄せると、怖いのかい?と鼻で笑っていた。そのせいで恐怖に落ちたバランスが後ろに下がろうとしたが、何かとぶつかってしまう。
「残念だが、お前たちの野望はここで終わりだ」
「………クソッ」
警察の女が冷たく言い放つ。小さく丸い何かだったが、馴染みのあるもの。
昔から死線を何度も乗り越えた相棒が自分に襲い掛かろうとしていた。
「この国に手を出すのなら容赦ない対応をする。それが折り紙流のおもてなしさ」
すました顔で鳴海はそう言った。誰にも伝わらなかったが、バランスだけは理解することが出来た。あの女と同じだったからだ。
どこか心が欠けていた声がそっくりだった。
「……折坂が亡くなったのだろう?あの女はいつも白い髪の人間は皆殺しにすると言っていた」
「そうだよ、というかみんな亡くなったけどね」
「お前の姿はしっかりとは分からない。だが、同じ。その復讐が宿った声。そっくりとか、似ているとかではない。完全に同じだ」
「同じ?」
「その声は、本心ではない。違うか?」
完璧な悪人はどこか復讐が宿った声色が滲む。色は黒く、音は透明で誰にも認識することは出来ない。しかし、同じく理想を描き続ける世界警察のバランスだからこそ唯一の理解者になれるのかもしれない。
しばらく黙っていると、鳴海はゆっくりと口を開けるとうっかりしたみたいに声を出した。
「ああ、そっか。────────本心じゃないね」
バランスの目の前から聞こえてくる、小さな呼吸の音はどこか自分に呆れるみたいにそっぽ向いていた。情報屋の女もケラケラと笑っていたが、リボルバーを構える警察の女は何も言わずにすんとしていた。
「でも、そうだね。俺の本心は、この国は正直どうだって良くなったし、大切なのは家族。それは折坂も同じで、国民なんてどうでも良くてただ真珠の子を倒したいだけ。けれどね、大切な人たちを守るってことは、つまるところこの国を守らなきゃいけないんだわ。依頼を受けて人を助けたり、脅威を排除したりすることは日本を守ることに繋がってくる」
皐月や優の幸せを願う鳴海にとって、バランスも刃も邪魔な存在だ。それらを倒すことと、日本を防衛することが合致していた。
「あの二人への幸せとこの国の全ては平等なんだ。もちろん、それは幸せの話に限るけどね」
「つまり、時之宮は何かあった時は他の命は見捨てると?」
「そう思ってくれて構わないよ」
それはバランスが思っていた何倍も強くて重い答え。
バランスの理想は『全て救う』こと。素晴らしく、一番美しくて一番の正解だ。それが出来れば、もちろん鳴海だって追いかける。実力が無いわけじゃない。誰よりも地獄を見てきた鳴海なら希望を叶えたいはずだし、折り紙はそのためにある。
「時之宮、私たちとは違って裏社会で生きているお前なら分かるだろうがあえて言う」
「うん、ご自由に」
達観した鳴海はもうすぐ終わるバランスの警告を無視することだって出来た。だが、それをしないのは、同じく命を張って見たことのない景色のために歩み続けた人間の意見はしかと受け取りたいからだ。
あの折坂雪夜を生み出した世界警察に敬意を払うかのように、鳴海は腰に置いていた手を下ろした。
「報われるなんて絶対に思うな。殺されるときは喜んで死ね。そして家族共々地獄に堕ちろ」
ぴりぴりと、その言葉はここにいた全てのものが受け止めた。平和を愛し続けた男による手重い一言は情報屋も警察も圧倒されたかのように身体を揺らした。二人の表情は、耐え難い鈍痛を与えたみたいに苦しそうで、今にもその場から逃げてしまいそうになっていた。
バランスは覚悟を決めて目を閉じた。言いたいことは全て言ったし、いつかは殺される運命をこの世界にいる人間は持っているため、観念したかのようにもう一つの相棒を地面に放り投げる。撃ってこない後ろの女を不思議に思いつつ、その瞬間を待つことに徹していた。
ただ、鳴海は違う。
「はははっ。おいおい、目を閉じるなよ。言いたいだけ言って死に逃げなんてフェアじゃないだろ?」
その場で、一人だけ笑っていた。緊張感なんて言葉知らないかのような柔らかい笑みはどうにも嬉しくてバランスに伝染する。凍っていた表情を鳴海が溶かした。
「ちょっと待て、今ライトを点ける」
スマホを取り出してライトを最大限明るくした。それは目を閉じていたバランスの瞼を透過して、気になって目を開けて青年の姿をしっかり確認した。
天使のような可愛らしい人間は、天国に連れて行かれたのかと錯覚させる。これが折坂の後継者だと知らなければの話だが。
「う~ん、顔が少し引きつってるね。俺が折坂雪夜の代わりだと思ったら、可愛くなくなった?」
「フッ、言わないでほしいものだ。お前も折坂もなかなか意地の悪い奴だな」
「折坂は弱い奴には興味も示さないよ。そう考えたら、その嫌がらせも彼女にとっての愛情表現でしょ」
「それが愛情表現だと分かっていればすぐに逃げていた」
「あっ、そうだ!昔のリーダーのこと教えてよ。昔のことはあまり語ってくれなかったんだよね」
「あいつの昔…………か。怖かったっていうのが本音だな。いつでも真珠の子を殺せるように、肌身離さず短刀を持っていた。復讐に燃えていて、お前とは違うベクトルの覚悟を瞳に宿らせていたのをしっかり覚えている」
「さっすがリーダー!やっぱ違うね」
腕を組んで頷く鳴海はどこか誇らしそうに喜ぶ。鳴海にとって折坂は唯一尊敬していた人だ。一般人と真珠の子では基礎能力が天と地ほどの差があるため、勝ちを狙うことは無謀なこと。
その上、折坂には才能が無かったのだ。
「もういいだろう?さっさと殺してくれ」
しばらく思い出話に付き合わされたバランスは生きるのに飽きたみたいだった。
「分かったよ。でも、最期に一つだけ言わせてもらう。冥土の土産に持って行きな」
素敵な死なんてものはない。それは鳴海が追いかけるただの戯言なのだから。なのに、それを諦めきれない。相手が苦しみながら死ぬよりはせめて笑顔のままでいてほしいだけ。自己満足でしかない。だけど────。
自分のために少しでもなればいいと願いつつ鳴海は笑って言った。
「俺は勝つよ。失ったものが多い奴がこの世界では最後に勝つんだから」
その笑みの裏にはどれほどの経験があったのだろうか。バランスは目を見開いて過去の記憶の蓋を開けた。30年以上前のほんの一部の記憶と、今目の前で見たものを無意識に重ねてしまっていた。
『家族も、友も、故郷も、時間も、すべて失った。だから私が、一番強くならなきゃいけない。勝たなければいけないのだ
────────そのためなら、全てを捨ててやる。無論、貴様もだ』
目を奪われたのは、あの女を思い出していたせいだ。日本犯罪史上最悪な人間が、まだ世界警察にいた時にバランスへ言った言葉だ。慣れ合うことを嫌い、常に一人で己を高めることに心血を注いでいたあの女がたった一回だけ自分のことを話した。
その時の彼女の顔は今でも鮮明だ。瞳の奥は復讐という燃料を燃やしたように熱を帯びていたのに、それ以外はどうだってよさそうな表情。恐怖と迫力で、バランスは何も言えなかった。
対して鳴海は復讐と言うよりも、愛情の温かさがある瞳は誰かを想っていて、優しさが溢れる笑顔は折坂とは真反対だ。
だが、全てを懸ける覚悟は表情が違っていても同じ熱量だった。
「まるで優しくなった折坂が憑依したみたいだな」
「えっ⁈俺もあんまりリーダーのこと知らないから分かんないな。あ、でも復讐は違うからね。仕方ないことだし」
「そうか。………メロディーという人間に伝えておけ。お前の音は地獄では聞こえないと」
「はいよ。じゃあ折坂に会ったら仲良くしてあげてよ」
「嫌だがな」
バランスが目を閉じた瞬間、倉庫内に銃声が鳴り響いた。引き金を引いた女が無機質に終わらせたのは鳴海にとっても想定内だった。もう少し何か反応があった方が鳴海にとってもやり易いのだけども。
「ありがとう素敵なお巡りさん。いや、こんな呼び方はやめておこうか」
「折り紙………時之宮鳴海………」
「そうそう。君の名前………ってマジかよ」
ライトで照らした先にあったのは殺意を込めた銃口と、鋭利な眼光。
そしていつの間にか色が変わった純白の髪の毛だった。
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