第51話 鳴海の刺客

 4月22日、鳴海の誕生日を目前に控えていた。鳴海はブライトに尋問した日から活動した形跡は見当たらず、自分の好き勝手に学校生活を楽しんでいた。一時的に協力していた刃はサイレントという男と、ピースという女に才能の差を見せつけた。彼らの死は誰も知ることはないだろう。彼らも既に身を隠している。見つけるのは鳴海ですら困難だ。


 既に壊滅という言葉に片足を突っ込んでいる状況に追い込まれている世界警察。唯一生き残ったバランスは未だ動けずにいた。しかし、それが功を奏したようで鳴海の計画の網に引っ掛からない方法を取ることが出来た。


「ブライトからの連絡が来ない。あいつは向こう見ずな性格があるからきっと時之宮の作戦に引っ掛かったか。無意味に動かなくて正解だったな。だが、それだとピースとサイレントはどこだ……。馬鹿ではないはずだが……恐らくブライトが全部言ったか」


 あるホテルの一室。一人で泊まるには広すぎるほどの部屋でバランスは高級な椅子に座っていた。軋んだ音が今の気持ちを表しているみたいだった。


 バランスは少なからず鳴海が何かをするのは予想していた。それを試すためのブライトの身勝手な行動は丁度良かった。だが、そのせいで他の二人が死ぬのはさすがに想定外である。


 正直言ってしまえば詰んでいる。世界警察の存在に気付いてしまっているこの状況では折り紙は無敵なのだから。壁に耳あり障子に目ありという言葉が世界で一番似合うのがこの日本という国だ。


「無理だ……。どこに折り紙の目があるか分からないのに私が動くのは無謀過ぎる。憐帝高校の周辺を調査できれば良いのだがブライトが殺された今、守りはより強固なものになっただろう。それに……あの少女のことも」


 情報屋の女が見せてきた写真をバランスは思い出す。


(……少女に手を出したくはない。だがそんなことを言えるほどの余裕はもうない)


 そもそも折り紙に勝てるかどうかも分からないのに、この国に来たのは甘かった。

いつもならこのように動けば簡単に目的を遂行出来ていたはずだった。世界警察は時之宮鳴海という人間を過小評価してしまった。だからこそ、もう手段は選べない。


 覚悟を決めたバランスは重い腰を上げて荷物を持って部屋を出た。身を隠していたホテルとはこれでおさらば。人が居ない裏路地に荷物を捨てて駅に向かった。


 電車を乗り継ぎ、向かったのは憐帝高校の最寄り駅。そこに着いたのは午後3時。鳴海が帰宅する時間である。


 バランスが見つかるのは時間の問題だ。逃げようにも、空港で折り紙が何かしてくる可能性は高い。異常なこの国から脱出するのはもう不可能と言っても過言ではない。


 スーツの下にはショルダーホルスターを着用し、リボルバー二丁をスーツで隠す。恐らくあの黒髪の少女は鳴海と帰るはずだ。その瞬間を狙う。


(時之宮も公共の場ではあまり目立つのは嫌なはずだ。少女を銃撃しようと最初に狙えば最短で私を潰す動きに出るだろう。だが、その代わりに少女の守りが一瞬でも薄くなる)


 しかし、それを考慮しない鳴海ではない。リボルバーの弾道に少女がいる場合、その前に立って自分の命を顧みずに少女を守るだろう。避けることはせず、致命傷を受けても守ろうとする。


 彼は間違いなく、少女を守って死ぬのだ。


 バランスの中にはもう余裕なんてものは一切無く、ただ鳴海を殺すためだけに動く兵器になった。周囲の人間を巻き込んだとしても、もう関係は無い。


 どうせこの土地で死ぬことは確定している。鳴海を殺すか殺さないか、それだけが今のバランスを支える思考の結果だ。


 憐帝高校の近くまで行くと、そこには数名の警備員が校門前で警備に勤しんでいるのを発見した。バランスは物陰に隠れて、鳴海たちが出てくるのを待つ。


 だが、バランスの思惑は外れていた。


 次の瞬間、鳴海は校門から数名の生徒と共に出てくる。鳴海を含めて男子二人と女子二人の計四人。ある生徒に肩を組まれて笑いながら帰宅していた。白髪のため誰よりも目立っているため見間違えのはずがない。あり得ないことだ。


 黒髪の少女、水無川優の姿は無かった。


(しくじった………?あの少女はもう帰ったのか。時之宮と一緒では無いならあの子を狙ったところで無駄足だ)


 あくまで優を守る鳴海が殺せる可能性が高いのであって、彼単体では無類の強さを誇る。


 あの日本史上最悪の犯罪者である折坂雪夜と戦っても一度たりとも勝てなかったバランスは鳴海に勝てる可能性なんて絶対に無い。


 鳴海たちは駅に向かって歩き、そのまま見えなくなっていった。そこに残ったバランスはただ呆然とするだけで彼を追うことは出来ずに、ただこれからどうすれば良いかを考え直すだけになった。


(……予想外だ。時之宮は私を探しているのかと思っていたのだが、他の生徒と楽しむ余裕があったのか)


 自分など眼中に無いことを悟ったバランスは、肩を落としながら憐帝高校を離れていこうとした。不自然なことに気付いたのはその時だ。


 周囲に人が誰一人としていなかった。まるで時間が止まったような重たい雰囲気が流れて、背筋が凍ったような感じに陥る。


 気持ちの悪さから苦い顔をしたバランスは逃げるようにその場から走り出すと、何かに右腕を掴まれた。


「だ、だれだ……」


 恐怖から後ろを振り返ることが出来なかったバランスの息が少しずつ荒くなっていく。


「私はお前を殺してほしいと頼まれたのだ」


「なるほど…。私は何も出来ずに終わったというわけか。世界警察も腐ったな」


「お前の理想は私も嫌いではない。だが、私は本当の警察としてこの国を守る義務がある。国民に手を出そうものなら誰であろうが私たちが牙を剥く」


 後ろにいる女は警察官のようだ。だが、地面に写った影を見ると警察官の服装をしているようには見えなかった。


(ジャージのような服だな。本当に時之宮からの刺客なのか?)


 到底そうには思えない。正義を気取った頭のおかしな女がふざけているだけじゃないのか。しかし、殺してほしいと頼まれたと女は言ったのだ。この奇妙な静けさも鳴海が何かしていると察したバランスはこの女を殺めることを決める。左手はがら空きだったため二丁あるリボルバーを抜くことが出来る。


 息を整え、一瞬で銃を抜いて殺す。イメージは完璧だ。この距離、それと圧倒的な経験が自信を増幅させた。相手が折坂でも時之宮でもなければ勝てる可能性は大いにある。


 左手がピクリとして、にやりと笑みを浮かべた瞬間だった。


「銃刀法違反だ。ここでやり合うつもりはない」


 心の中を覗くみたいに自分の行動を当ててくる女に思考がフリーズしたバランスは瞬きをすることすら出来なくなっていた。女の掴む力が徐々に強くなり、力の差を実感していく。


 日本に自分よりも強い人間がこれほど簡単に出てくるとは想定外。侮っていたのだ。


「ついてこい、お前に会わせなければいけない奴がいる」


 女は腕を離し、後ろに歩き出した。バランスはここで抗うことを諦めて彼女に着いていくことにした。振り返って初めてその姿を見る。


 天使の輪が浮かんだ黒くて長い髪がどこか億劫そうに歩く彼女を綾なす。後ろ姿だけでも傾城だということが分かる。その後ろを歩くことですら場違いになってしまいそうだ。静かな夢の中にいるような彼女は意外とせっかちでいつの間にか少し遠くにいた。


 ちらっとこっちを見た女はバランスがしっかり着いてきているか確認した後、パトロールカーの前で立ち止まった。


「乗れ。言っておくが、私を殺して逃げようなんて考えるなよ?」


「言われなくとも」


 女は後ろの座席に乗る。その隣にバランスは詰めて乗り込んだが、ルームミラーで運転手を見た瞬間に嫌悪感を催した。


「あ、久しぶりだね!」


「お前か……」


 あのバーにいた情報屋の女と目が合ったからだ。あからさまに嫌な顔をしたバランスは嘆声を漏らすと、情報屋は子供のように口を尖らせて拗ねた。


「何でそんな嫌そうなのさ。情報を教えたんだからもう仲良しみたいなものでしょ?」


「……早く出せ」


「ちぇ~」


 バランスは会話に水を差すことはせずに座った時から静かにしている警察の女の顔を横目で窺う。その長いまつ毛と高い鼻はまるで名工が作った彫刻のような造形でもあったし、全体的に見ても生き物としての格の違いが露骨に伝わってくる。それは神のきまぐれが生んだ奇跡と言っても過言ではない。



 だが女はそのなめまわすような視線がいけ好かなかったのか、目を閉じると目的地に着くまでそのまま一言も喋らずにやり過ごしていた。

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