第56話 ファッションショー

「んー!おいしい~」


 ケーキを一口頬張れば口の中にとろけるような甘いクリームとふんわりしたシフォンケーキが広がってほっぺたが落ちそうになる。ケーキに使われているイチゴも、クリームの甘さを邪魔してこない穏やかで優しい甘味だ。まさに理想的なショートケーキと言える。


「あ、クリーム付いているよ」


 優が自分の唇の少し右下を指でとんとんした。自分でも気付かないほどの軽いクリームを取ろうとした時だった。


「んっ」


 正面に座る優は机を乗り出し、俺の口目掛けて手を伸ばした。優がさっき指で示したところを、さっと触れていき、その指先に付いていた白いクリームをそのまま口の中に含んだ。


 うん、美味し。そう言って席に座って指を拭いていたのを何も言えずにじっと見ることしかできなかった。予期せぬ出来事のせいで皐月も時間が止まったように、反応出来ないでいた。


「ゆ、優?もしかして誕生日プレゼントをくれたのか?」


「ううん。単純に、美味しそうだったから」


 口に指を当てて、小悪魔みたいにあざとく翻弄したのを隣で見ていた皐月が悪魔的な笑みで綻びる。


 こんな所まで似てしまっているのが心底恐ろしい。


 魔性の女の道を歩んでしまっている。しかもその笑顔を俺に対して振りまいてくるというのが難儀だ。


 皐月みたいな男を簡単に虜にしてしまうような女性から手解きを受けたのなら、もう簡単に俺は落ちてしまうのではないか。俺が犯罪者でなければ、こんな男心をくすぐってくる行動ですぐにメロメロになってしまって、鼻の下を伸ばしていた。


 でも、そっちのほうが優は良かったかもな。


 こうやって冗談を言う男よりは。


「俺も食べたかったのに~」


「まだまだあるわよ」


「まあそうだな」


 昔から優と距離を取ろうとして全く連絡をしていなかった時期もあったのだが、今ではほとんど毎日会ってしまっている。学校が無い日も、訓練が終わったら家に来てほしいという連絡があれば、家を訪ねて何てことのない時間を三人で過ごしている。いつも俺の好きな紅茶を彼女が淹れてくれて、他愛のない会話を楽しむのが日課だ。


 優を悲しませたくないと思っている俺は、彼女と離れるという事と真反対な行動をしている。人を傷付けないなんて無理なことだと頭では分かっているはずなのにそれが出来ない。


 俺は一体どこを目指しているのだろうな。


 綺麗な終わり方を目指しているのであれば無理だ。優はいつか社会に出て、色んな経験をして様々な人と出会って成長していく。世間体もあるだろうし、別の問題も。


 結果だけで言えば俺の方法は失敗した。優との関係を断ち切ることは出来なかったし、今後同じ方法をとっても良い成果は出ない。


 それに優は皐月と暮らしている。もし、関係に亀裂や厄介な妨害があれば、仕事にも影響がでてしまう可能性は高い。皐月のメンタルは優に依存してしまっている状態では、このなあなあの関係が現状で、一番安全が高くなっているのが危険だ。


 刃がここに付け入ってしまえば、内部的な崩壊が容易いし尚且つ付け入りやすいのが億劫である。


 バランスだって言っていた。報われるなんて思うな、と。最悪な人生で良いさ。


 この複雑で快適な関係は優や皐月も納得はあまりしたくはないようだが、壊れるくらいならこれがマシだと思っている。それが悪いとは思わないし、俺だってこの関係のまま何もせずに放置してしまっている状態だ。


 だが、いつまでもこれを続けてはいけない。だから、今決めよう。


 これが許されるのは憐帝高校に行っている期間だけ。それを過ぎたら、永遠に会わない。


 高校を辞めたら、優には連絡もしないしさせない。


 そして俺の生存も明らかにさせない。仮に優に聞かれたとしても皐月にも生きていると嘘をつかせる。そこに感情は混ぜさせる失態は犯さない。もし、嫌がるのなら最悪仲介役を解雇すればいいだけだ。


 そうすれば、抱え込むものが無くなる。全ての問題が解決する。


 高校を辞めたら、本格的に刃と交戦することになる。関係がぐちゃぐちゃになって、大切な人達が俺のことを嫌いになってもいい。忘れて貰ってもいい。捨てて貰ってもいい。一番重要なことは彼女たちが生きていること。そして、幸せでいること。


 それを叶えられるなら、無問題だ。




 だからもう二人と会えないと分かった時、俺は笑えなくなるだろうな。




「……なる?どうかしたの?」


「ああいや、考え事をしていただけ」


「そうかしら、随分つまらなそうな顔をしてたけど」


「楽しいに決まってるだろ?変なことを言わないでくれよ」


 皐月は無駄に鋭い。特に俺のことに関してだが……。一秒も気が抜けないが、逆に良い訓練になるのかもしれない。


「でも、良かったね!」


「ん?何のこと……」


「何のことって、誕生日会を開けたことだよ。去年まで電話してお喋りする事も出来なかったから、今日が本当にお祝い出来て良かったの」


「そりゃそうだな。去年なら俺はまだ山に籠ってるから」


「えへへっ」


「おいおい、今日は随分ニヤニヤが多いんじゃないか?」


 浮かれている優にほんの軽い茶々を入れる。普段なら、顔を赤らめて恥ずかしがる彼女のはずだった。俺はそう思っていたし、確信していた。けど優は、ケーキのように甘い笑顔だ。


 でも今日は俺の誕生日。違う世界で、違う日だったのを考慮していなかった。



「当たり前だよ。特別な日だもん。なるが一番幸せでいなきゃいけない日だよ」



 甘い表情の奥に、真剣さがあった。


 そんなこと、言われたことがなくって。自分なら人に言える気しなくて。


 やっぱり敵わないな。素敵な人生だ。


「……そっか」


「だから、なるが幸せならわたしはもっと幸せ。なるがいてくれて幸せだなぁ」


「私もそれに肖っちゃいま~す。何ならこの夜が終わらなければいいのにね」


「なら延長しちゃいます?」


「いいわね。でも今日だけよ」


 皐月がワインを一口飲んだ。夜更かしの合図。



 そうだ。問題解決の条件の下には、コメ印をつけておこう。


 彼女たちの幸せに、俺を必要としてくれるのなら、全ての条件を無視する。と付け足す。



 バランスに喋らせ過ぎたな。


「あ、もう渡しちゃおっか?」


「そうですね。なる、ちょっと待ってね」


 二人に待機を命じられて俺は、どこかへ向かった二人の後ろ姿を見ていた。すぐに戻ってくると、皐月は何か大きな紙袋を持ってきた。反対に、優は可愛らしいショッパーを丁寧に提げていた。


 これはもしかして例のアレか?


 去年までは皐月からは食べ物をたくさん貰っていたが、今年はそうではないみたいだ。


「もしかしてプレゼントか?」


「ええそうよ。去年までなるちゃんは物欲も趣味も全く無かったから欲しいものを選ぶのが異常に難しかったけど、今年は本当に簡単だったわ」


「仕事一筋のいい男になると思わない?」


「立派な犯罪者になれたわね」


「学生になったよ」


「そんな鳴海くんに、はい。どうぞ」


「おお、すげえなこの量」


 皐月から手渡されたのは大きな紙袋の中身を見てみると、そこには大量の衣類が入っていた。中から出して見ると、普段絶対に履かないようなスラックスやデニム。カジュアルなシャツやパーカーなど。まるでオシャレをしろと強要されているかのようなラインナップだ。


 そう言えば俺が外で着る服と言えば制服かスーツ。訓練時に使うスポーツウェアを数枚持っている程度。家にほとんど居なかった俺は部屋着の概念は無い。だが最近は家に居ることも増えていき、その際はスーツにシャツを着るということをするしかなくなり、それなりに自分でも困っていた。


 皐月にとって、これほど楽で考えられたプレゼントはないだろう。


「これだけあれば、ファッションショ―が開けちまうよ」


「あなたのスーツにビアンカちゃんの毛がついてたからこれにしたの」


「さすがとしか言えないな」


 よく観察している皐月には簡単すぎたな。いや、今までが難しすぎたせいか。


「ありがとう皐月。最高のプレゼントだ」


「ふふっ、そう言うと思った」


 たばこを吸っているときよりも満足そうに笑った。

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