第7話 子猫ちゃん
現時点で、この国で観測されている不平等を有している個体は俺含めて四人だ。そのうち一人は、現役で活躍しているプロテニスプレイヤーだ。その人も髪の毛が白だったが、黒色に染めている。世界ランキングは当然一位で、プロデビュー以来連勝記録を伸ばし続けているようだ。引退するまでは、彼の独壇場になるだろう。ハッキリ言って、同じ世代の選手は可愛そうだ。逆も然りである。
現状では、一体何が出来なくて、何が弱点なのかを把握するのは困難だ。現代科学のレベルでは到底理解できない『不平等』という才能。医者から言われたのは、〝あらゆる才能において突出しているポテンシャルの塊〟とだけ。それ以上は何も言われなかった。あとは、お前次第でいくらでも高く登れるということだ。それが人殺しに使われてしまっているのは、不幸中の不幸である。しかし、世界征服を目指している組織ではなかったことが、いわゆる、不幸中の幸い。
不幸の星の下で生まれた、という言葉が存在するが、『不平等』に生まれているのなら、それは幸運なのだろう。生まれた瞬間から何でもできると言われたら、何を選択する?どんな選択肢だって手を伸ばそうとしなくても、初めから目の前にある。それを退屈だと考える人間もいるだろう。だが、選択肢を与えられる時点で、退屈など無意味な感情となる。
ならば、俺はどうなるのだろうか。今の俺にぴったりな言葉だ。才能があるという部分に関しては、恵まれているのだろう。しかし、俺には選択肢なんていうのは存在しなかった。選択肢のない人間はもちろんいる。古くからある名家では、家のために政略結婚が行われるように、俺も才能をもって生まれてしまったから犯罪者になっているのだろう。
閑話休題、なぜこんな話を始めたかというと、先ほど皐月から言われたことを索敵している際に心の中で反芻していたからだ。
不幸。そんな風に言われてしまったが、俺自身はそれを不幸とは一切思ってはない。確かに、環境的要因で俺は犯罪者になった。しかし、それを望んだのは俺だった。
皐月は、俺のことをよく理解している。さっきだって、俺がアポを取りたいと考えていたことを言葉にしなくとも把握できていた。まるで心を覗かれている感じだ。そんなあいつが、俺を不幸だと断言したのだ。
……もしかして俺は、自分自身に宿命を課したことによって、それすらも忘れさせるように仕向けていたのか?俺が折り紙で生きるのが正しいことだと、俺は自分が不幸だと感じさせないように、自分自身の心を洗脳していたのか………?
歩いていた俺は、一度止まってしまった。そんなこと出来るはずが無いと否定したい自分がそこにはいた。だが、それをすることが可能だと確信している自分もいた。それに、昔の俺なら全然やりかねない。
……考えるのはもう、止めよう。新年早々大変だが、それだけだ。それだけで済む。
「死んでほしくない……か。あいつらが言ったことが正しいのなら、もう死んでるようなもんだろ」
今そんなことを考えても意味がない。そのはずなのに、思考を邪魔する。俺の心は決めかねている。
「時間はあるんだし、今はもういいかな」
考え事の時間は終わりだ。今は索敵の時間。再び歩みを始めて、周囲の索敵を始める。しかし、索敵をすると言ったものの、相手の特徴や顔、使用している車を把握していない為、視認できるもの全てに警戒をしなくてはいけない。家の周りは公開空地があるが、この時間にも関わらず犬の散歩をしている者やランニングをしている者もいる。敷地の外を見てみると、一台の黒いバンが停まっていたりもする。
残念なことに、今の俺にはあらゆるものが敵に見えてしまう。いくら警戒してもし足りない今の状況ならそれでいいのだが、これが永遠に続くのならばさすがの俺でも面倒になってくる。
それと俺が懸念している事柄がもう一つ。そう、補導だ。非行防止として警察が行うあれだ。十五歳の俺は当然その対象として該当してしまっている。見つかれば、家と学校に連絡が行くらしいが、その場合俺はどうなるってしまうのだ?
考えたくないな………。間違いなく施設送りになる。皐月は俺の法定代理人、つまり保護者ではないので、嘘をついたら確実にばれてしまう。逃げればいいのかもしれないが、この髪色ではどこに行っても目立つ。
「………帰ろう」
それだけは絶対に避けなくてはいけない。そう決意したのは早かった。
しかし、ここで帰ってしまうのは少しだけ勿体ない気がした。俺の頭が帰れと言っているのだが、心はそう言わなかった。むしろ興奮している。何かを待ち望んでいるような。
足が一歩、二歩と軽やかに動き始める。公開空地を出て、道路沿いを走る。軽いランニングでは俺の体は何一つ満足しない。ただ、今の俺にはそれで十分だ。年が明けたばかりの都会は随分と静かだ。普段忙しい社会人や学生は、新年くらいは、とゆっくりしているのだろう。
俺たちが守り抜いたこの国は今日も平和だ。それだけで快い。
俺の願いは、ある人たちを倒すこと。そして、全ての国民が幸せであることだ。それを叶えることは非常に難しいが、出来るだけ実現したいものだ。
風を感じながら十分程度走り続けていると、ふと思うことがある。
………俺見られすぎてないか?
この髪の毛が目立ちすぎているのであろう。街灯の下を通れば暗い夜の中でも分かりやすいくらいの反応で驚かれる。先ほども、大学生の集まりであろう人たちに見られていた。不平等は、周囲の反応も不平等ってわけか?全然嬉しくない!
目立つ犯罪者とか、もう馬鹿でしかない。一度は染めようと思ったのだが、どうしても染めてほしくないと言われているし、俺もこれが気に入っている。
そんなことを考えているうちに、海が見える場所に来てしまった。
「おーーーー!」
滅多にお目にかかることの出来ない海に心を奪われた俺は、柵の目の前まで行って東京の夜景の明かりを反射させたキャンバスのような海を眺める。海と言えば砂浜だが、残念ながらこの辺にはなさそうだ。もう少し先に行けばあるだろうが、今日はこの辺で戻るべきだろう。だが、その前にこの景色をまだ楽しんでいたい。幸いここは、一直線の道だ。警察が来てもすぐに反応できる。
よし、と心の中で呟いて俺は近くにあった自動販売機の前に行く。皐月から勝手に徴収した五百円を自販機に入れて、何を買おうか迷っていると、ある商品が俺の視界に入ってくる。
「甘酒に、コーンポタージュ。おしるこにコーヒー。それからえーっと。何が出るかお楽しみ?」
商品のパッケージは分からず、よく分からない紙にそう書いてあるだけ。値段は百三十円。少し興味を惹かれてしまった俺は迷わずそれを購入。走ったので冷たいものが出てきてほしい所だが、それすらも表記されていなかったため、ランダムなのかもしれない。
落ちたのを確認して、下の取り出し口に手を入れる。
触った感触は、冷たくて柔らかい。ペットボトルなのは確定してしたが、問題はここからだ。そして、その商品を取り出す。
「水素水。二十五パーセント増量中か。それで五百ミリリットルなんだ……」
つまり、普通は四百ミリリットルしか入っていないわけか。何だか得した気分だった。そう、気分だった。手に持った水素水から目線を上に戻す。もう一度ディスプレイを見てみると、先ほど買った『何が出るかお楽しみ』の上に、同じ商品があったのだ。
「水素水。二十五パーセント増量中だ………ん?」
それ自体には何もおかしいことはないのかもしれない。しかし、だ。
「百円……?これは百円で買えるものなのか?」
俺は百円払えば買えるものに百三十円も払ったのか?ほう、なかなかやるじゃないか。
この折り紙の俺を出し抜くとは。こいつも、こっち側なのか。
これで気が緩んでいた俺は、周りのことを気にせずに自販機に夢中になっていた。
「………もう一回だ。俺はこんなところで負けられない」
もう一度だけ戦うことを決意して、お金を投入。俺の指先はもちろんそこに一直線だ。ここで負けたら、俺は立ち直れないかもしれない。でも、やるしかない‼
ピッ、とトラウマになりそうな音が鼓膜を揺らした瞬間、取り出し口に手を伸ばす。商品が落ちた音は、先ほどよりも少し軽い音。これは、缶の商品かもしれない。
なら、俺の狙いは缶コーヒーだ。こんな場所で飲むのだ。絶対美味しいに決まっている。
再び取り出し口に手を突っ込む。自動販売機ごときに屈してはいけない。絶対にあたりを引いてやる!
俺の指先が何かに触れた瞬間、それを思いっきり掴んで顔の前まで持っていく。
「水素水………だとっ⁈」
指に触れた時の感触で既に、ペットボトルだと分かってしまっていた。しかし、その時点でまだ勝負は決まっていなかった。だからそこに全てを懸けた。水以外の選択肢を望んだのだ。
だが、結果は先ほどと同じ水素水。だが、決定的に違うことがあったのだ。
「この水素水、四百ミリリットルだと…………分かった。お前の勝ちだ」
ただ損をしただけで俺の敗北が決まった。なるほど、不幸とはこういうことを指すのか。
両手に水を持って、俺は自動販売機の横あったベンチに座った。そこまで喉が渇いているわけではないので、二本も買ったことに多少の後悔の念に苛まれそうになったが、目の前に広がるネオンの光に心躍っていたため、すぐに気にならなくなった。その少し奥には、非常に長い橋が見える。よくテレビに映っている有名な橋だ。デカい。
沢山のビルの灯りは、俗に言う残業の光というやつか。新年に残業させる企業は、間違いなくブラックだろう。俺がやっていることよりも、よっぽど黒い。そう聞くと、この夜景が全然感動できるもので無くなっていく。感動と百三十円を返してほしいものだ。
水素水の増量していない方を開けて、一口飲む。普通の水と何が違うのか全く分からないが、どうせ健康に良いとか些細なことなのだろう。
「おっといけない」
世の中自分基準で考えるのはNGだ。色んな人がいる。俺みたいな人もいれば、健康に気を遣う人もいる。自分が例外中の例外なのを忘れてはいけない。
「そんなことより、水美味しいなぁ~」
「ニャ~」
「………ん?今、猫の声がした?」
「ニャ~」
「猫だ」
声はどこからするのか、と後ろを振り向いたりするがその姿をお目にかかれない。
もしやと思い、ベンチの下を座ったまま覗いてみる。そこにあったのは、段ボール箱だ。
俺は立ち上がり、一度屈んでその段ボール箱を引きずり出す。ブランケットが覆われていて、少しだけ隙間が空いている。箱の側面には、『拾ってあげてください』の一言のみ。
ブランケットをゆっくり持ち上げると、中には純白の子猫がこちらを見ていた。空色のくりくりした目に魅了されそうだ。
「あら、こんばんは」
目が合ってしまったのでまず挨拶。良かった。衰弱していないのは、それほど時間が経っていないからだろう。寒くないだろうか。俺は中に着ていたインナーを脱いで、子猫に優しく顔だけ出して巻き付ける。大人しくていい子だ。
「どうすればいいんだっけ?とりあえず失礼するよ」
子猫にそう言って、子猫の口元に指をくっ付けて優しく押してみる。
「乳歯は生えてない。目は開いてる。恐らく、生後一週間前後って感じか。で、えっと。女の子ね」
そうなってくると、母猫の母乳は飲んでいるのは確定したことになる。子猫は母猫の母乳を飲むことによって、強い免疫力を手に入れることが出来る。今、この子の命は文字通り手のひらの上にある。折り紙として、この子は絶対に生かしてみせる。そのために俺が今できる事と言えば……。
帰ることしかない。俺は飲んでいた水をそのままベンチに置いたまま、猫が入った箱にブランケットを被せてそれを持ち、来た道を引き返す。この時間に病院がやっているか不明だし、場所も把握していない。それに、この気温の中で子猫を連れまわることは非常に危険だ。一度帰って、朝になったら病院に行こう。幸いあの二人は猫アレルギーを持っていないはずだし、子猫に免疫があることが救いだ。無茶前提で置いてもらえるように頼むか。ま、あの二人なら快く入れてくれるだろう。
赤信号に捕まっている最中に少しだけ、ブランケットの隙間から中を覗いてみたりする。
うん。可愛いな。細心の注意を払って、走っているときの揺れを感じさせないようにしているが、それが気持ちよかったのだろうか、インナーの中でくうくうと寝ている。
俺はいたずらをするかのように、子猫の頭を人差し指で優しく突いてみる。
「大丈夫だよ。お前は独りじゃない」
自己投影のような言葉をかけて、信号が青になったのを確認して走り出す。
もしかしたら、お前が待ち望んでいた存在なのかも。そうに違いないな。
だって。俺は家族を失ったからここに来た。いつも通りの日常を送っていたら、俺は今の時間は訓練に励んでいるし、お前は今もあそこで誰かを待っていた可能性だってあったのだから。まあ、つまりさ。
「俺たち似た者同士だな」
その声に反応したのか、ラッパのように高い声で鳴いた。起こしてしまったのだろうか。
「悪い悪い。もう着くから静かにしててくれよ」
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