第8話 真心の愛
「ただいま~」
静かにそう言って家の中に入る。少しひんやりしたリビングではまだ皐月が眠りこけていた。だとすれば優も寝ているだろう。新年の二日目くらい誰だってゆっくり寝ていたいだろう。
時計を見てみると時刻はまだ朝の4時。かなりゆっくり一人の時間を満喫してしまった。段ボール箱を静かに床に置いて、ブランケットをどかした。
「お前にはちょっと寒いかな?」
子猫はまた眠ってしまっていた。勝手に暖房をつけさせていただき、その間に俺はシャワーを浴びておく。
それが終わったのは、4時30分。まだまだ静寂を慈しむ時間だ。とりあえず、何もやることはないので、子猫を監視しつつゆっくりする。
「ニュースでも見てみるか」
リモコンを手に取り電源を入れてみる。普段はテレビやインターネットを一切使わない。言い換えると大して興味のないのだが、さすがに時間が勿体ないと感じたので挑戦を開始する。
するとやっているのは、サプリメントや布団の通販番組だった。
「これ……買う人間がいるのか?」
朝っぱらからこれ見るのは相当の暇な奴くらいだろうな。それか高齢者か。しかし、俺は逆にそれが面白くなって、それを見入ってしまっていた。
「おはよぉ~」
振り返ってみれば、皐月が起き上がって伸びをしている。ん~、と言いながら手を降ろすとその大きく膨らんだ双丘は効果音が付きそうなくらいに上下する。目線をそらしてしまえば何かしら言われると思った俺は、何も見なかったことにして、話し始める。
「おはよう皐月。皐月のことだから、昼くらいまで寝てるのかと思ってたんだけど、随分と早いお目覚めだな」
「今日から忙しくなるもの。あなたの安全を守るためにもしっかり起きなきゃ。体調のことは心配しないでちょうだい。無理くらいして当然だもの」
「そっか。ならお前の背中は俺が守れば敵なしだな」
「それは心強いわね。……ところで、何見ているの?さっきからテレビに釘付けだけど」
「ああ、これ?テレビショッピング。なんか色んなものが売ってるんだよ。ほら、この布団とか見てくれよ。二枚で三万円だけど六十パーセント引きだぜ?買うしかないだろ」
「なるちゃん……。あなたの身の回りで布団使ってる人いる?」
「………いないな」
「つまりこれは悪徳商法。心の隙を狙って漬け込むアコギな仕事よ。なるちゃん、あなたの出番。彼らの居場所を突き止めて粛清よ。支度の必要はないわね?」
「問題ない。……いや、問題はある。皐月、これを見てくれ」
寝ている子猫を彼女の目の前に持っていく。あら可愛い、と一言だけ言うと、全て察したかのように嬉しそうに微笑んだ。
「それで、名前は何にするのか決めたの?」
「それなんだよな~。女の子だから可愛い名前が良いんだよね。『たんぽぽ』なんてどうだろうか?花言葉は真心の愛だしな」
「なかなか可愛いわね。でも、季節的にその名前はどうなの?それに綿毛の花言葉は別離だったはずよ」
「……なしだ。何かいい案はあるか?」
理にかなっている説得で、案は一蹴される。というか、よくたんぽぽの綿毛の花言葉なんて分かったな。植物に詳しかったのか?
そして皐月は、はっとした顔をすると、何かをひらめいたかのように人差し指を立ててウインクをしてある名前を提案してくる。
「じゃあ、『ビアンカ』なんてのはどうかしら?」
「ビアンカ?それって、イタリア語じゃなかったっけ?『白』って意味の」
あと『女性』という意味でもある。俺はペットを飼ったことは無いから、名前の付け方がイマイチ分からなかったが、外国の言葉でもアリなのか。
「『たんぽぽ』か『ビアンカ』。どちらにするかの選択は優に決めてもらおうか」
「それもいいわね。もう少しで起きてくるはずよ」
俺たちは、優が起きる時間まで朝食を食べながら待つことにした。皐月は料理が出来ない為俺が作ることになったが、人に料理を作る感覚を久方ぶりに味わえたのでそれは良かった気がする。
「おはようございます」
洗い物をしていた6時ぴったりに優が起きてきた。あくびをしながら俺と視線が合うと、まるで初めから俺が存在しなかったかのように顔を逸らす。だが、それが嫌だったようで近くに来て、おはよ。と言ってくれた。
「おはよう」
「おはよ、ところで優ちゃんに聞きたいことがあるんだけど~、たんぽぽとビアンカ。どっちが良いと思う?」
「え、何の話ですか?」
「とりあえずどっちが良いか答えてほしいの」
子猫のことを伏せて公平に判断させようとしている。しかし、まるで導かれているように答えは出た。
「じゃあ、ビアンカで」
「じゃあ、この子の名前はビアンカちゃんで決定ね!」
「おいおい俺のたんぽぽちゃんは不採用かよ~」
俺は大袈裟に残念そうな素振りして、洗い物を終えた後にビアンカを持ち上げてこう伝える。
「俺と一緒に住もうビアンカ。これからよろしく」
ビアンカはまだ少し眠たいのだろうか、俺の手の中でうとうとしている。
「え⁈猫ちゃんを飼うの?でも、どうして?」
優は俺に近づいてきたので、彼女にビアンカを持ってもらう。うん。やっぱり美少女と子猫の組み合わせというものは絵になるな。
「どうして?まあ、俺にそっくりだったからだな」
だが、あまり興味がなかったのか、ふーんと言いながらビアンカを撫でる。ならどうして聞いてきたのだろうか。
すると突然優は、良かったね、と誰にも聞こえないであろう小さい声で呟いた。その頬は少し先取りした桜色に染まる。
「にゃ~」
「可愛い、確かになるにそっくり。ん?ここが気持ちいいの?」
顎の下を撫でられているビアンカは何とも気持ちよさそうな顔をしている。
そしてその光景を残そうと、皐月がスマートフォンでカメラを起動して録画し始める。俺も、しっかり目に焼き付けることにした。
だが、俺は一つ疑問があった。
「なあ優。なんでビアンカを選んだの?」
「え、皐月さんが前飲んでいたお酒の名前だから?」
「結局酒じゃねえか」
なんとも複雑な気持ちになってしまった。だが、ビアンカはよく考えたらたんぽぽよりもいい名前なのかもしれない。実際その酒の名前を直感で選んだ……いや、考える時間を与えずに選ばせたと考察も出来る。
「みゃあ」
「まあいっか」
だって、ビアンカは俺と出会った時よりも幸せそうだし。俺も昨日よりもよっぽど笑顔が溢れている。
俺は今、不幸なのだろうか。俺の生き様なんて、きっと思ったより普通なのかもしれない。
ただの犯罪者にとっては、少し幸せが過ぎるじゃないだろうか。
……それか、これを幸せだと感じてしまうことを不幸と言っているのか?幸せが過ぎる、大切な人を生かすことが出来ればそれでいいなんていう、何も考えていない俺の生き方考え方に、待ったをかけてくれているのか。
ああ全く。お前らは何なんだよ。俺に幾つ幸せをくれる?ただ俺に、自由に生きていいって言ってくれるのは、お前たちくらいしか見たことないよ。
分かったよ。優と皐月が言いたかったことが。
いや、もうそんなことを考えるのは止めだ。今日から俺は、新しい自分に生まれ変わる。
ここまでお膳立てして貰っておいて、何も行動しないのは俺らしくないし、折り紙の犯罪者として不恰好だ。
ただ自分の人生を人のために生きるのは終わり。今日からは自分のために生きてみる。
出来るか分からないけれども、挑戦したいと思えれば行動するのみだ。
例えば、窓から見えるあの空にやりたいこと箇条書きで書いてみたら、雲のように流れて果てしなく遠いところに飛んで行ってしまう。それはまた俺の元に戻ってきてその答えを運んできてくれたりはしない。
だったら、それを見に行こう。
俺は知りたい。俺は不幸なのかどうかを。
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