第42話 俺の実力

 入学から早一週間。びっくりするくらいの速度で一日が溶けていく。鎌田とは喧嘩して以来仲良くやっているし、汐嶺とも意外と打ち解け合っていた。


 教室内では既にグループが完成されており、大抵の場合はどこかしらのグループに所属しているが一人でいる者も複数いる。どうやら彼らは、人と関わることよりも自分の時間を大切にしているようだ。俺も訓練しているときは一人の方が捗るし、余計なことを考えなくて済むのでその気持ちは納得が出来る。


「時之宮さん聞いてますか?今日の実力テストで全教科八割以上取らないと、小遣い減らされちまうんですよ」


「そりゃ~大変だねぇ」


「他人事みたいに言わないでくださいよ!」


 どう考えても他人事だ。俺の席に座った鎌田がスマホで数学の勉強をしながら、ギャーギャー騒いでいた。仕方ないので机の端の方に座って上からそれを眺めていた。


 今日は実力テストというものが実施されるみたいだ。聞いた話によると、中学で習ってきた範囲や春休みの課題の中から問題が出題されるらしい。科目は国語総合、数学、英語の三科目で試験結果が成績に影響されることはない。


 鎌田はどうやら三平方の定理の内容をド忘れしたらしく、今になって必死に勉強している。鎌田は憐帝高校に合格した日から一切勉強をしていないと言っていたので、そのツケが回ってきたようだ。


 一方女性陣は自信をのぞかせている。優は普段からコツコツ勉学に励んでおり、言わずもがなトップを目指しているみたいだ。汐嶺も芸能活動を休止していることから時間に余裕が生まれ、暇潰しに勉強しているという報告を何度か受けた。


「お前は二人を見習った方がいいな。前もってコツコツやっておけばこういう時に困ったりしないよ」


「俺は勉強以外も楽しみたいんですよぉ~。今しか出来ないことの方が長い人生を送る上で重要なんですから」


「それもそうだな。勉強なんか後でやればいいよ」


「いや、意見曲がり過ぎでしょ」


 横から俺と同じように机の上に座って腕を組んだ汐嶺がツッコミを入れてきた。机の使用者である優は少し迷惑そう。


「そもそも、あんたは勉強しなくて良いの?……って思ったけど、特別推薦枠だったわね。勉強なんて優よりも出来て当然レベルの人が入れるかどうかも分からない入試を通った人ってこともあってかなりモテてるでしょ」


「お前は話が曲がりすぎだろ」


「それで、この学校に入って何回告られたの?」


「五回」


「流石じゃない」


 まだ一週間しか経っていないのだが、既に五人の女子からの告白を受けたのだ。二人は同学年で、もう三人は先輩だった。しかし、なぜいきなり告白に走るのは不明である。知り合って仲良くなるという過程を省いている告白は実質ナンパみたいなものだな。


「全員知らない人だったから断ったけど」


「知ってる人なら、受け入れるの?」


「いや、ファンクラブを創設する気でいるからここで恋人を作るのはさすがに勿体ない」


「うわ最低。優、こんなやつ捨てたほうが良いわよ。もっといい男が………他にいるはずだから」


「わたしはファンクラブに入るけど………かりんはもしかして入らないの?」


「え……よくそのネタに乗っかったわね……」


 俺としてもそれに同意見だ。あっけからんとしている優はこの数日でメンタル面が強くなっている。まるで別人のようだ。


 優に続いて鎌田は俺に提案してくる。


「もしファンクラブ創るならポスターも作成しましょう!それと会員費はいくら取ります?」


「金取る気だったのかよ」


 まるで宗教だ。それはもう未来護で事足りているし、金が絡んでくると後々面倒なことに巻き込まれるため御免である。


 そういえば最近、未来護の状況を見に行けていない。粼心が亡くなって現在俺が未来護の教祖として君臨してしまったのだがどうすれば良いのだろうか。俺としては、粼心のための未来護みたいなものだったので一番上に居ても何も意味がない。


 解散させても良いのだが情報収集として役立てていたし、心の拠り所がない人たちが未来護を通じて人間関係を構築していくための本来あるべき姿として稼働している。だからこそ俺の都合で解散させるわけにもいかない。


 しばらくは未来護の幹部たちに指揮を任せてみるか。


「みんな席に着いて~!」


 斎藤先生の一声で汐嶺も鎌田も席に戻る。空いた椅子は生温かいのが何か気持ち悪い。


「そういえば、優に聞きたいことがあるんだけどさ」


「どうかした?」


「三平方の定理って何?」


「……………え?噓でしょ」


 殺人現場でも見てしまったかのように大きく目を開いて口元に手をやった。


 言わずもがな、折り紙で俺を教育する際に知識をそれなりに教えて貰っていた。特に俺と過ごした時間が最も長い粼心からは小・中学校に行けないため、義務教育で習うことを教わるつもりだった。


 しかし、わざわざ勉強するよりも他のことに時間を割いた方がもっと自分の成長が見込めると確信した俺は、四則演算や生活で使いそうな知識だけを吸収して終わった。


 と言っても、そもそもその程度は勉強なんかしなくとも理解できるものだったため、俺が今まで勉強に充てた時間というものはほぼ無いと言っても過言ではない。だから、俺はお札に描かれている人が何をした人なのかなんて知らないし、さっきどこからか聞こえてきた、「漢文」という言葉は最早今まで聞いたことすらない。


「ど、どうする?三平方の定理って中学の数学で一番難しいって言われてるんだよ?それを全く解らないのは結構致命的っていうかヤバいって言うか」


 優が両手を震わせて俺よりも焦り始めてしまった。しかし、何も問題はない。


「平気さ優。この才能があれば一回見れば多分何でも覚えられる」


「………分かった。じゃあなるは中学一・二年で学習する範囲を調べて。わたしは中三で習う範囲を見せるから!」


「分かった。ありがとうな」


「もう、貸し一だからね」


「困ってなくても助けてやるからいつでも頼ってくれ」


 すぐにスマホで中学の数学を調べ始めた。見た感じ難しそうな単元もあったが、そんなこと言ってられない。要点をまとめたサイトで公式や記号などを覚えつつ頭の中で実際に解いてみるという作業を同時並行で行う。


 優の協力のおかげで調べる時間を短縮させることができ、別の科目の勉強に時間を使うことが出来た。


「はい。机の上には筆記用具のみ出してください」


 その合図と共にスマホをしまってシャーペンと消しゴムを出した。一限の数学で流れを作ってそのままの勢いで乗り切りたいものだ。正直言って、英語は勉強しなくても普通に話せるから何となくで行けるはずだ。問題用紙と解答用紙が回ってきたが裏返しのままだ。チラッと横目で優を窺ってみると、余裕そうに悠々としていてこちらの視線に気付くと、あどけない笑顔を俺だけに見せた。


 俺以外に聞こえない小さな声が耳に届く。


「どうしたの?」


「余裕そうだな」


「なるに初めて勝てるかな」


「優には負けっぱなしだよ」


「勝ったら何かご馳走してよ。なるが勝ったらアイス買ってあげる」


「しょうがないなぁ。ならハーゲンダッツのミルクティー味お願い」



 汐嶺も鎌田も知らない。誰も知らなくていい二人の会話。


 一瞬だけでも高校生に引き戻してくれる。大人として生きるしかない俺に選択肢をくれた。俺は沢山貰った。


 そんな君に何をあげればいい。


 俺があげられるものなんてせいぜい金くらいか。


 でも優はそれで満足する子ではない。欲しいものは自分で手に入れる。


 昔からずっと努力を重ねて、今では憐帝高校の主席。未来っていうのは本当に分からないな。


 優は将来どんな道を歩んでいるのだろうか。


 きっと素敵なものであるのは間違いないが、俺はそれを見ることは出来ないのだろう。


 犯罪者になったことをそこだけ後悔しそうだ。


 この笑顔が見られなくなる日が来るのは悲しいな。


 けど仕方ない。出会いがあれば別れが来るのは必然。それを嘆くことには始まらない。


 ハッキリ言えば俺たちいい出会い方じゃなかった。山で倒れていた優を拾ったのはミスだと昔は思っていたから。


 あっちの世界では命なんて軽い。生き残るためには他者の命を無視することなんてよくある話だ。


 だが俺は彼女を助けた。その因果の果てに俺はあの日、犯罪者になることを決意した。


 折り紙に入ることなんて生まれてすぐに決まっていたこと。それが嫌だった俺は五年引き伸ばした。その結果が今だ。


 優のことで後悔するつもりはないし、させるつもりはない。


 でも、それでも。この甘さを知ってしまった今なら。


 この暇潰しを終わらせることが惜しい。


 君の横に居ていいと言って貰えないのが凄く悔しい。


 誰も待ってくれない。時間は進み、壊れている心は更に廃れて取捨選択の猶予は減っていく。だけど、それはもう不必要だ。


 優と結ばれて生涯永遠に隣にいることを望んでいるわけじゃない。


 今だけ。今だけで良い。


 何もあげられないけど、一人の女性として好きになることはないけど。


 今だけはこの甘さを飲み込むことを許してほしい。



 次の日、すぐに実力テストの結果が廊下に張り出された。


「おお~すげえ」


 一喜一憂の喧騒が聞こえてくるほど、テストの順位というのは学生にとって重要なものらしい。俺の目の前には絶望で丸まっている生徒が発生するほどだ。


 俺も時間のない中全力で取り組んだが、空欄が埋まらない問題が何問も出てきた。まあ仕方がないと割り切って解き続けたがやはり躓くことが多かった。


「あ、俺の名前ありました!」


「私のもあるじゃない」


 鎌田と汐嶺が指をさす方には、二人の名前と点数が書いてあった。



 94位 汐嶺かりん 227点


 97位 鎌田龍 221点


「………嘘。この私がこんなに低い順位なんてあり得ない」


「あっぶねぇー。ギリギリ耐えたぁ」


「でも八割じゃないじゃん」


「この際どうだっていいです!」


 どうやら汐嶺にとってこの点数は芳しくないようだ。顔から表情が枯れていき、いつもの彼女からは考えられないほど顔が更地になっていた。


 一方の鎌田は、小さくガッツポーズをする。小遣い減らされるよりも何か別のペナルティがあるのかな。


「うちの学校って221人いるんでそれなりに高い方っすね。良かったぁ、100位以内には入っておきたかったんすよ」


「お前頭良かったんだ」


「へへっ、今回は中学での貯金に救われたって感じですね。それに、ここのテストって中学で学年トップだったやつでも赤点取ることがよくあるらしいっすよ」


「嘘よ。……これは嘘」


「こんな感じの奴か」


 ささやくように、嘘よ…。と言いつつ首を小さく横に揺らす。自分を洗脳するかのように言い聞かせているが現実は変わらない。むしろ彼女の症状が悪化していっている。


 優と並んで余裕そうにニヒルな笑みを浮かべていたのにどうしてこうなったのだろう。


 だが、俺も人の心配をしている場合じゃない。俺は特別推薦枠で入ったのだ。低い点数だとメンツが保たれない。


 俺は左上から順に自分の名前を探そうとした時だった。


「わたしの名前だ」


 優の見つめる先にはこの学年の頂点であるという証明があった。


 誰もが羨み、誰もが目指すその場所に彼女は座っていた。



 1位 水無川優 299点



「優凄いじゃない1位よ!」


「やったぁ‼」


 肩を掴んで、まるで自分のことのようにぴょんぴょん跳ねて喜ぶ汐嶺。優もそれに応えるようににかっと歯を見せて笑った。


「すげえな優!おめでとう」


「おめでとうございます水無川さん!」


「なるも鎌田くんもありがとね!」


 本当に凄いことだ。この学校でトップということは実質東京都で1位みたいなもの。一体ここまで来るのにどれほどの時間を費やしたのだろう。


 彼女自身も何か勉強の才があることはないと自覚している。毎日コツコツ勉強してようやくここまで来られたと言っていた。それを幼いころから知っていた俺もずっと応援していたのだが、いつの間にこれほど成長していたのか。


「いや~。これはもう言い訳が出来ない程の負けだな。完敗だ」


「あ、じゃあなんかご馳走してね」


「もちろん」


 俺は胸ポケットを叩いた。


「そんでもって時之宮さん。何位だったんすか?」


「俺はねぇ―――――いた。あそこ」



 43位 時之宮鳴海 254点



「おぉ凄いっすね!」


「まあ、ギリギリみたいなものだけどね」


 実際の所、まさに付け焼き刃のその場しのぎでしかない。数学に関してはこの高校の入試の過去問に多少目を通し、古文のさわりをやっただけだ。なので俺が実際に取った点数は国語が74点に数学が80点だ。


 国語に関しては現代文が完璧に解けたことは記憶しているが古文・漢文が壊滅的に理解不能だったので全部勘で埋めて、数学もやった場所は全て解けたはずだが全く見たことのない問題が出てきた。春休みの課題の部分であることを悟って俺はペンを置いた。


「そういえば、鳴海って英語満点だったわよね」


 汐嶺が思い出したように言った。


「そうだったな」


「そうだったって………学年で唯一の英語満点じゃない」


「英語は得意なんだよ。昔から使ってたからさ」


 英会話教室に通ってたんだぜ~みたいなノリでいつも通り濁した。話しているが、他国の工作員を拷問にかける際に日本語じゃ齟齬が生じてしまいそうだったので仕方なく英語を覚えただけだ。


「優、今度こそこんな奴に負けないでよ」


「こんな奴って………」


 今度は俺に指をさす。


「なるって凡ミスをするようなタイプじゃないから分からないよ」


「そうだぞ。時之宮さんはミスをしないんだぜ」


「俺への過大評価が凄いし、それでこの順位なの悲しくなるわ」


 どこまでいっても子分気質なこいつだが、ずっと対等だ。


「よし、もう昼休みだし食堂でも行こうぜ。優、好きなの頼んで良いぞ」


「ならA定食がいいかなぁ」


「サバの定食か。じゃあ俺もそれにしよ~」


「あ、俺もそれにします!」


「じゃあ私もそれにするわ」


 負けてしまったが一つの幸せを見ることが出来た。


 自分が不幸かどうかを見に来たのもあるが、結局見たかったものなんて最初から分かっていた。


 優にとっては当たり前に感じても俺には違うその瞬間を瞳の中に収め、どこかほんのり薫った4月はすぐに過ぎていきそうだ。


 まだ一週間、されど一週間。


 俺の短い学校生活がちょっとずつ溶けていく。


 俺に出来ることなんて何もないのだ。


 だからこの思い出は守り抜かないといけない。




 綺麗なものだけ映していられればいいのだが。

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