第41話 喧嘩

 校舎裏に着いた俺たちは周囲に注意を払いつつ、本当に喧嘩をすることにした。優を変なことに巻き込みたくはなかったが、こればかりは仕方ない。意味もなく喧嘩を売ってくるような奴をあやすのはとっても面倒くさいのだ。


 危険な状況を作りかねないのなら、最初から相手の要望を軽く呑んで穏便に済ませるのが手っ取り早くて楽である。


 しかし、優に万が一でも怪我などがあってはならない。なので、彼女には遠くで見守ってもらうついでに部外者が来た時に教えてくれる役目をしてもらっている。


「おいおい。こんな場所で喧嘩なんかしなくたっていいんだぜ。それともあれか、自分の印象が下がるのが嫌なのか?」


「それって俺が勝つってことかい?」


「さっきから余裕ぶってやがるが、喧嘩の経験なんかあるのか?女々しく髪も伸ばして、あの女を守れんのかよ」


「喧嘩はしない主義だよ。だから鎌田が初めての喧嘩相手ってこと」


 互いにバッグを下ろし、端の方に投げ捨てる。そして五メートル程度離れて向かい合った。ポケットに手を突っ込んで余裕綽々で落ち着いている。喧嘩慣れしているみたいだが、この学校に来られたということはかなり頭が良いはずだ。


 それなのにも関わらず目立ち過ぎという理由で喧嘩を売ってくるのは何故だ?


 ……いや待て。そういうことなのか?


 昔見たテレビで拳を交わした二人がその後仲良くなるというエピソードを見た記憶があるぞ。あれってフィクションかと思っていたけど、本当に起きることってあるのか?


 多分、鎌田は周囲から理解されてきていないのだろう。自分はあの風貌のようなものが好きだけどそれが他の人が好きとは限らない。周りとの差異を気にしてしまう。


 それか、親が過干渉でだったためか?この学校に来ているのだ。少なくとも勉強時間はかなり多いはずだ。


「なあ、別に答えなくてもいいけど……お前の親って厳しい?」


「………は?そんなこと気にしたところでどうだって良いだろ?親も、周りも関係ねえよ」


 俺がそう聞くと、先ほどとは打って変わって少し渋るような態度を取った後に親も周りも関係ないと言った。彼はきっと環境に恵まれなかったのだ。自己紹介の時に目立たなかったのも、ここに来る前は真面目に勉強をしていたから目立ち方などが分からなかったのだろう。


 だからと言って俺に喧嘩を売ってくるのは明らかに人選をミスっている。だが、それを正解にするのは俺の役目にしよう。


 偶然というものは、意外と大事だ。


「鎌田のこと俺は全然知らないけどさ、多分分かることがある」


「何だよ」


「お前、それっていわゆる高校デビューってやつだろ?」


「っ⁈」


 ビクッと身体を揺らした鎌田の視線が更に鋭くなった。人間には誰だって触れてほしくない一面がある。もちろん俺にもあって、それに手を伸ばそうとする者がいるのならば問答無用で潰すかもしれない。


 俺は環境に恵まれていた。異質な髪色に縛られることなく自分らしく生きることが出来た。だが、普通に生きている人にとって異質というものは排除したくなるものだ。


「俺はお前のその容姿、結構好きだよ」


「……何言ってんだよ」


「この学校って俺みたいな髪の毛でも怒られないってのがいいよな。それにイヤリングしてても何も言われない。最高じゃない?」


「まあ言いたいことは分かる。親父らはいつもいつも俺に真面目にしろ、いい大学に入れなんて口うるさく言ってくるが洗脳みたいで気持ち悪りぃ。俺がどんな格好をしようがあいつらに非難される謂れはない」


「ふ~ん。難しいねぇ」


「お前はどうしてこの学校に来たんだ。やっぱり校則か?」


「まあそんな感じだよ。この髪の毛は他の所じゃ目立つからね」


 鎌田の家庭の事情は知らないが、両親が真面目過ぎるとそれに子供も巻き込まれてしまって大変なようだ。他人の教育方針に口を出すつもりはない。それに、彼は反抗期を迎えているみたいだから、大人に近付いているだけ。よくあることだ。


 遠くで優がちらちらとこちらを覗いている。会話は聞こえていないはずなので、いつ火蓋が切られるか分からないこの状況を不安そうに眺めていた。


 ランチの時間も迫っているため、急がなくては。


「それで、本当に喧嘩するの?」


「ああ、どうせならしようぜ」


 ポケットから手を出して構えた鎌田は間違いなく素人。強さなんか微塵も感じない。


「若気の至りってやつね。じゃあやろうか」


 そんな彼を相手に本気を出すわけじゃない。その気持ちにぶつかってみたかった。普段から真面目を装って生きてきた鎌田の反抗心。きっと俺よりも成長していくのだろう。大人への階段を上がる一歩っていうのは、どう上ればいいか分からないはずだ。


 だったら、ここでは俺が出来ることは一つだ。


 12時を知らせるチャイムと同時に鎌田はこちらに向かって一直線に走り出す。右手を大きく振りかぶると、うぉぉぉぉおー‼と、うるさい雄叫びをあげながら俺の顔目掛けて拳を突く。避けるのは簡単だしすぐ決着をつけても良いが、俺も久しぶりの対人戦闘なのでここで勿体ないことはしたくない。


 目の前に来た拳を避けることはせずに煙を払いのけるかのように、それを手ではたいた。軽くやったつもりだったが軌道が変わりその拳は俺の左耳横を通り過ぎた。鎌田は一瞬の出来事に何が起こったのか理解出来ていない。


「お前、喧嘩慣れしてるな……」


「平和主義って言ってるだろ?真ん中でいつも仲裁してたから、よくこんなことがあったんだよ」


 そんな冗談を交えながら、これの終わらせ方を考える。推薦で入学したため、初っ端から暴力沙汰ということがあれば学校側に失礼になる。


 だが攻撃が終わることはなかった。右手で俺の肩を掴むと、今度は左の拳が飛んでくる。


 ならばということでもう少し喧嘩をしても良かったが、頭に血が上り鎌田の歯止めが利かなくなってしまう前に終わることにした。


 ゆっくりと迫ってくる拳は俺の顔面をとらえる前に右手のひらで受け止めた。パンッ!といい音が鳴り、鎌田は方眉を上げて舌打ちをする。肩を掴む力が強くなり、徐々に力の差を理解し始めたのか生まれたての小鹿のように足が震えている。そろそろ引き際だ。勝敗なんてどうだっていい。


「もう終わりにしよう。鎌田が肩から手を離したら、友達にでもなろうぜ」


「………まだだ。ここで終わればこれの意味がない」


「新しい自分に生まれ変わるってことか。それで喧嘩を?」


「………俺は友人がいない。それは俺が昔から勉強ばっかりで周囲と遊ばずに毎日塾通いだったからだ。学校で仲良くなった奴が居ても、親は認めることはしない。休み時間中も全て勉強に充てて毎日何をやったか報告させられて遊ぶことも許されることはなかった。元々出来が悪い俺は誰よりも人一倍やらなきゃいけねぇし、無駄に厳しい家庭に生まれたせいで今までの思い出なんかない。全ては、俺が将来困らないようにするためだとさ」


「言い方が悪くなるが、お前もつまらなくなりそうな人生を送っていたのか」


「そうだ。あれだけやれば憐帝高校に受かるのは確実。俺は変な道を歩んでいる」


 鎌田は俺から離れ、肺にわずかに溜まった空気を吐き出した。どこか悟ったかのように澄んだ表情をしていて、校舎の少しくすんだ白の壁を見ていたその目は泣きそうだ。


「俺はここでも………勉強をしなきゃいけないんだ」


 ぽつりと一言漏らしたことで、鎌田は魂が抜けたように先ほどの熱が失せていた。


 鎌田も俺と同じ道を歩むはずだったのだろう。

結末が分かりきったような意味のない人生を。俺のようにその場を楽しめれば良かったのだが、苦手のものを楽しんだり頑張るのは無理がある。彼の両親を否定するつもりはないが、鎌田には合わないことを理解してあげられなかったのだろうか。


 でも、俺と鎌田では違うことがある。


「親も人間なんだよ。自分の感情を優先しちゃったんだ」


「クソだよなぁ…。俺って何のために生まれてきたんだよ。毎日勉強して、手に入れたのは高校の合格通知書の紙切れ。俺の人生は親の言いなりになるためにあるんじゃねえのに、親だから歯迎えねぇ」


「養って貰ってる立場じゃ何にも言えないから、ずっと溜めてしまったんだね」


「ああ。でも、俺はもうやめたんだよ。他人のために生きることを。だから、まず初めに親の前で合格通知書をビリビリに破いてやったぜ」


「はははっ。反抗期到来ってか?」


「おう、あいつらめっちゃキレてたぜ」


 俺が窺うように笑うと、ニッと歯を見せて笑う。それを見られたことが何よりもうれしかった。その奥でこっちを見ている優と目が合った。何となく和やかな空気をあちらも感じ取ったみたいで、落ち着いた表情を取り戻した。


「でも凄いじゃん。親に反抗したんだから次は夜遊びでもやるか?」


「はぁ?そんなことしたら怒られちゃうだろ」


「いい子なところが抜け切れてないぞ」


「あ、やべっ」


 放心したように口を開けて自分のキャラがブレブレなことに焦る。それが可笑しくて、俺は吹き出しそうになった。


「それで、どうする?このまま喧嘩終わりにする?」


「それもいいが……」


 俺の靴から髪の毛にかけて舐め回すかのように視線を送ってくる鎌田は足をたんたんと動かし、腕を組んだ。う~ん。と何か言いたげな様子だ。


「お前意外と強いだろ?俺だけが殴っただけじゃ喧嘩って言わねえよ」


「言うだろ………」


「一度本気を見せたら友達になってやるよ」


 なぜ俺は命令されているのか分からなかった。そもそも友達って対等なものであるはずなのだが、これはもしかすると俺の偏見だったのかを疑いたくなる。言い方が癪に障るがこれ以上引き伸ばしてランチの時間が短くなってしまうくらいならば、喜んで一瞬で終わらせてあげよう。


「ま、無理っていうのなら………っ⁈」


 一瞬で距離を詰めると、それに驚いた鎌田は体勢を崩して後ろに倒れそうになる。それと同時に、地面を蹴って彼の後ろ側に回った。


 そして俺は鎌田の膝裏に右腕を下げて、そのまま上に掬いあげた。


「ヤバッ……」


 空が視界に入った鎌田は目をぎゅっと瞑って、胸の前で両腕を縮こませていた。体勢が完全に崩れて身体が地面と平行に落ちていき、後頭部をぶつけそうになる。だがその前に俺は左腕を背中に回して持ち上げる。


 いわゆるお姫様抱っこの完成だ。


 恐る恐る目を開ける鎌田は、何が起こったのか理解するのに時間が掛かっていた。


「………え?」


 鎌田を地面に降ろすと、首を軽くチョップした。


「はい、お前の負け」


 ただ仰向けになりながらこちらを見ている。まあ喧嘩を売った相手にお姫様抱っこをされるなんてことをされている。怪我をしないようにするためだったが、困惑するのも無理もない。


「お~い。反応しろよ~」


「……っげえ」


「え?」


「すっげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!!!」


「はぁ?」


「いや、すげえよマジで!何だよ今の動き、全く目が追い付かなかったっす!!」


 身体を起こし、きらきらと輝くものを見つめるように俺を凝視する。


 ってか、っすってなんだよ。


「俺、ずっと昔から任侠映画が好きで強者に憧れてたんです。恐怖に支配されず、ただ自分の好きなように生きるような人間が、俺の理想の姿なんですよ」


「……何で急に敬語なんだよ」


「つまり、時之宮鳴海さん。あなたは俺の理想の人であり、目標でもあるんです」


「知らねえよ」


「お願いします!俺を弟子にしてください。身の回りのお世話から、宿題も俺が全て解きます。毎日送り迎えだってしますので!」


 額を地面にこすりつけて土下座をし、何でもします!と追い打ちをかけるように大声で言うが、全く意味が分からない状況に俺も、遠くで見ている優もどうしていいか迷っていた。


 俺はただ友達になりたいだけなのに、弟子にしてくれと言われても困るだけだ。


「いや、俺は弟子を取らない主義なんだ」


「じゃ、じゃあお友達から……」


「いいよ」


「マジっすか!やったぁぁあ!」


 勢いよく飛び上がりガッツポーズをかました鎌田。さっきまで敵対していたとは思えない豹変ぶりだ。友達が出来るのはそんなに嬉しいものなのか。まあ俺も男の友達を作るのは意外にも初めてだ。今まで女とばっかり仲良くなっていたからフレッシュな気分だ。


 危険が無くなったことが分かった優がこちらに向かって歩いてきた。それに気付いた鎌田は俺の前に立ち、庇うかのように片腕を開いた。


「おい、お前。時之宮さんに何の用だ」


「……ねえなる。この人めちゃめちゃヤバいんじゃない?」


「まあそこがいい所だよ。でも大丈夫、こいつは友達だからもう危険じゃないよ」


「時之宮さん、この人ってもしかしてあれですか?」


 鎌田は遠慮がちに小指を立てた。俺は首を横に振ったが、優は眉根を寄せていた。もしかして、優はこれの意味を知らないのか?


「それってどういう意味なの?」


「恋人かってこと」


「違うわよ。わたしとなるは幼馴染なの」


 きっぱりと幼馴染と言ったが、まあそうだろうな。


「でも、時之宮さん。この人時之宮さんのことす……」


「おいおいおいおいおいおいおい」


 鎌田が何かを言おうとした瞬間、後ろから羽交い絞めにして手で口を塞いだ。今絶対に時之宮さんのこと好きですよとか言うつもりだったろ。何も知らないので仕方がないのだがさすがに空気を読めや。と言いたい。


「まあ、何はともあれ良かったよ。誰も怪我をしなくて」


「ほ、ほっふね!」


 親指を立ててじたばたする鎌田を離すと冷や汗が引っ込んだ。鎌田を訝しげに見る優は何を言おうとしていたか気付いていないみたいで距離をさらに詰めようとした。


 すると、通知音が鳴ったので俺はスマホを取り出した。


「お、車来たってさ。もう行こうぜ」


「え、ええそうね。」


「な、ナイスっす………」


 優が鈍感で助かった。俺たちはその場で別れ、校門に向かう。腑に落ちないような表情でずっと考え事をしていた優の隣を歩くのは神経がすり減りそうだった。鎌田の件も、一時はどうなるか心配だったがきっとうまくやれるはずだ。


 因みにまだ皐月は来ていなかった。

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