第15話 守ることとは裏腹に

 3月20日。折り紙削除計画で俺が命を狙われてから二か月以上経った。


 九紋竜が壊滅した後、殺された仲間たちが行うはずだった依頼に俺は勤しんでいた。元々六人で分配される依頼を一人でこなすのはさすがの俺でも骨が折れる。北海道から沖縄まで、全国依頼があればどこにでも飛んでいくのが折り紙だ。今年で既に五十九人も人を殺めている。


 悪党は誰でも殺される訳ではない。上層部に不都合が無ければ、俺も依頼を受けずに終わる話。バレないようにやってほしいものだ。


「あーあ。依頼だけでも面倒なのに、ニュースを見れば爆破予告の話ばっかりだ。…………これ本当に高校に行って大丈夫か?」


 俺の予想通り、爆破予告が全国で発生している。間違いなく九紋竜の誰かが折り紙が壊滅的な状況になっていることを第三者に流したのだろう。いい迷惑だ。


 東日本で三十八件、西日本で四十一件の爆破予告が二か月の間で、何者かによって出されている。


 しかし、実際に爆破が引き起こされたものは一件もない。国民からは、ただのイタズラとして認識されてしまっている。それに、最初は怖がっていた者も多かったが慣れてしまったのだろうか、ニュースで取り上げられても関心を示す者は徐々に減ってきている。


 SNSを見ればそれは顕著に分かる。そんなことよりも、世間は卒業シーズン真っ只中である。親しい者たちがお互い自分の道に進む分岐点。


 優も憐帝高校に無事合格したそうだ。それも主席で。俺としても鼻が高い。


「地震と同じ原理か。ま、これはこれでいいか」


 折り紙の事情に付き合わせてしまって悪いとは思うが、彼らも心配するだけ無駄だと思っているのだろう。実害が出ないうちは、何を気にしてもただ精神をすり減らすだけだしな。


「けど、こっちは全然安心出来ないんだけどな!」


 実害が出ないからと言って何もしないというのは折り紙にあってはならない。実際どうにかするということは不可能だが、いついかなる時でも動ける万全な状態でないといけない。


 俺の生活は依頼続きで休暇はゼロ。新幹線や飛行機での移動時間が俺の寝る時間。風呂?三日に一回入れることが出来れば上々だ。食事はロクに摂れていなかった。嬉しいことにこの身体に病気という概念は既にない。つまり、何か食べられるものがあれば生存可能なのだ。


 栄養が必要ないとは楽だが、食生活が乱れやすいのは悩みの種だ。何も問題はないが、生きているので、折角なら食を楽しみたいものだ。


「とりあえず、一回あいつらの所に戻るか」


 俺は一週間前の3月13日に、残っていた依頼を全て完遂させた。七十三日間に及んだ依頼の数は103件。こんなに残っていたのは、元々、折り紙の人間は表社会で普通に働いているため、後回しになってしまうからだ。


 報酬も合計百億を越していた。こんなに貰っても使い道に困るだけだが、それが汚れ仕事をやることだということ。


 そして、俺は今いる所から解放されるということだ。


「やっと………やっと………下水道生活から抜け出せるぞォォォォォ!!!」


 二か月以上に渡る依頼が終わると、俺は折り紙の最高指揮官である現官房長官の敷田英俊から、「お前は目立つから任務を遂行させたら一週間は身を潜めろ」という絶対に逆らえない命令を下されていた。もちろん、潜伏するつもりだったからそれは良いのだが、場所があれだ。


 そして、その潜伏先に用意されたのはホテルでも廃墟でなく下水道だった。


「クソッ!俺に健康で文化的な最低限度の生活はねえのか!!」


 地団太を踏んで大声で不満を叫んでも誰にも怒られない。


「今日は優の中学校の卒業式のはずなのに……俺は晴れ舞台すら見せてくれないなんて……………神は俺になんて試練を与えたのだ」


 先ほど、皐月から答辞を読む優の写真が送られてきた。そして、彼女は生徒会長だったそうだ。それを聞けただけで、俺は拍手喝采で一人楽しんでいた。


 まあ、彼女たちが無事なだけで満足だ。


「下水道で生活するのは納得いくけどさあ、なんで食事すらないの?」


 ここでの生活を振り返ってみれば、疑問を抱くことばかり。


 まず、ここに来た際に渡されたものはポータブル電源という、電気を蓄積して使用できる装置だが、それを渡されたところで用途と言えばスマホの充電のみ。


 というか、それと充電器しか渡されていない。


「え、食料は?水は?電気だけあれば人は生きられるとでも思ってんのかあいつ」


 食料は諦めている。水は幸いなことに、一番近いマンホールから地上に出れば公園があるので、潜伏前にたらふく飲んで今日まで耐え忍んでいる。金はない。


 しかも、ここ一週間寝られていない。いや、寝たくない。


 辺りを見渡してみれば、あちこちにアイツがいる。ゴソゴソと地下をうろついている。山出身なので苦手というよりかはむしろ得意なのだが、ここで寝るのは全く休まる気がしない。


「だが、もう一週間経った。こんなところとはおさらばだ。さすがに空腹だし、風呂も入りたい。………まて、食事をするにも風呂に入るにも金が必要だ」


 誰を呼べばいい?皐月は今、優と楽しい時間を過ごしているはずだ。その時間を邪魔するのは折り紙としては絶対にあってはならないし、敷田はこの時間は絶対に無理だろう。


 つまり、俺には選択肢がない。


「おいおい、これじゃ俺の計画が壊れちまう」


 俺は下水道で生活している間に、ここを出たときのシミュレーションをしていた。

 まず、公園から地上に上がったら、全速力で銭湯までに走る。暇潰しで聞いていた道路を走る車の音で信号の場所と切り替わりのサイクルを完璧に把握済み。公園を中心にした半径250メートル内はいつ切り替わっているか記憶している。


 そして銭湯の後は、一番近いコンビニで何でもいいから食料を買う。そして、ここに戻ってくる。この間、三十分ジャスト。完璧な作戦だ。


「まあ金持ってたらの話だけどな」


 ということで、誰かが来るまで待機だ。


「はあ、そういえば俺の金ってどこにあるんだ?今まで稼いだ金はどこに保管されている?」


 今まで実家暮らしのような生活だったし、折り紙では俺が一番年下だったため金を使う機会はほとんどなかった。だから、結局いくら持っているのか不明なのだ。


 皐月に聞くか………いや、あいつは今卒業式が終わった頃だし、優と何か食べているだろう。


「この際、誰でもいいから金を恵んでくれー………ん?」


 欲望を呟いていると、どこからかマンホールを開けた音が聞こえた。音の大きさ的に、公園から開けたものではない。業者か、俺のことを知っている者のどちらかだ。正直どっちでもいい。


 遠くから、嬉しそうなヒールの音が聞こえてくるとこちらに近づいてくる。一週間も暗い空間に居たおかげで目が慣れて、誰が来たかすぐに分かった。


「こんな汚いところに居たの?まだ山で地べたに寝てた時の方がマシね」


「そうだな。ここのネズミたちは山にいるヤツと違って鮮度が落ちていそうで俺ですら食べる気も起きない」


 スマホのライトを点けて皐月だということを確認する。優の姿は見えないが、上で待っているのだろうか。


 卒業式ということでセレモニースーツを着用していた。シフォン素材の膝がちゃんと隠れるワンピースにペプラムのジャケット。ハンドバックなど一式がネイビー単色で揃えており、優の門出を大切に思っているのが伝わってくる。


「とりあえずここから出よう。その恰好で降りてきたのは意外だったが、良いのか?汚れるかもしれないぞ」


「新しい服を買えばいいもの」


「お前は金あるしな」


 ポータブル電源はそのまま放置して、俺たちは地上に上がる。公園の茂みにマンホールがあるため、誰にも見られていないのが幸いだ。一週間ぶりの空気はどこか違っていた。


 遠くのベンチを見てみれば、女子高生二人組が卒業証書を持って桜をバックに自撮りをしている。そして、写真を撮り終わると同時に二人は抱きしめ合いながら涙を流す。「また、遊ぼうね」「大学生になっても毎日LINEするから!」。そんな声が微かに聞こえた。


 進路が違うだけで会おうと思えばいつでも会える。今の時代なら、ビデオ通話をすれば簡単に相手の顔を見ることが出来る。だが、そんな稚拙な考えの俺には理解も出来ないほど彼女たちの仲は、学校生活の三年間で深くて固いものになっているのだろう。


 いつでも会えるとか、そんなことはどうでもいい。ただ、当たり前が当たり前でなくなる。


 朝は夢うつつのままに起きて、学校に着けばいつもの友達たちとしょうもないことで笑い合って、授業中はふざけて先生に怒られて、放課後はがむしゃらに走って未来を夢見る。


 それは、想像は出来ても創造することは出来ない。


 俺の限界。不平等だった。


「楽しそうね」


 後ろから皐月に話しかけられても振り返られなかった。あの二人が、とても魅力的に感じて目を奪われていた。俺の人生と比較してしまいそうなほどには。


「そうだな。楽しそうだ。泣いているけど、笑顔だ」


「あの子たちは、未来を見ている。私たちにはきっと考えられないほど、見えている世界はキラキラしていて、その一つ一つに名前を付けていく。そしてまた会った時にそのページをゆっくり振り返る。そうやって、日々を大切にすることを実感していくの」


「俺には到底思いつかないな。名前を付けなくても全部覚えてしまうからさ。………けど、振り返ることはしない。家族は死なないと、少しだけ思ってたからな」


「私も、そう思ってた。あの人たちは強かったから」


「でも、もう俺しかいなくなったな」


「…………大丈夫?」


「何が?」


 皐月を見ると、胸に手を置いて物言いたげな目で俺を見上げる。もう片方の手は俺の胸に当ててきて、俺を探ろうとする。あの子の前では絶対に見せない不安そうな表情は、まだ十五の子供を思う母のようだ。


 血のつながりのない俺たちは家族ではない。でも、そんなことは関係ない。


 俺は、みんなといることが出来るなら、そこの名前は気にしない。


「その…………」


「何言ってんだ?」


「え?」


 拍子抜けた俺の反応に戸惑う彼女に対して、逆に励ましの言葉を渡す。


「俺は、皐月から100パーセントのサポートで120パーセントの仕事をする。120パーセントのサポートをするのなら150パーセントの仕事をするだけだ」


「な、なるちゃん?」


「皐月の不安要素があるのなら、俺が全力で取り除く。俺が全力を出して、お前が最高の仕事をすれば、完璧だろ?」


「…………ふふっ。そうね、あなたが望むのなら完璧に非の打ちどころのないサポートをするわ。その時は………お願いね」


 さっきまでの不安そうな表情はどこかに飛んでいき、空笑いをする皐月。いつも通りのことに俺は頬を緩め、有言実行という意味を込めて完璧な笑顔を見せる。


「任せな!」


 刃との戦いの前に、皐月の不安を払拭して良かった。いつまでも家族の死を引きずっていれば俺にも支障が出ると思ったのだろう。


 私生活は酷いとも言える荒れようなのに、仕事と優が関わればどんな逆境も乗り越えようとする。そして、また一つ強くなる。


 だが、その心が壊れそうになったらまた俺を頼ればいい。


 ………全く、守るものってのは増えていく一方だ。


「あ、優はどうした?家で待たせているのか?」


「優ちゃんは、お友達とご飯に行ってるわ。私はお邪魔虫だったから来ちゃった」


「なら、金を貸してはくれませんか?近くの銭湯に行きたいんだ」


「いいわよ。一万円あれば足りるかしら?」


「いや、銭湯の相場は分からない。逆に一万円で足りないのか?」


「足りるわよ」


「今の会話なんだよ」


 それがおかしくてぷっと俺たちは吹き出して、春風と共に失笑する。そのまま現金を受け取り、皐月は近くのファミレスで待っているからと告げて去っていく。


 だが、折角の桜をあまり見ずに行くのはなんだか勿体ない気がして、少しだけその場にとどまることにした。


 風に揺られてひらひらと舞う桜の花びらは、俺の肩の上に優しく乗ってくる。いつも通りの春だったら、それを取ってくれる人が横に居て、俺のことをモデルに見立てて桜と一緒に写真を撮って笑い合うことをしていた。


 静かだ。あの子供っぽい声が聞こえてこない。俺とたった十一個しか変わらなかったのに。


 もう、亡くなってしまったのか。


 守ってあげることが、出来なかった。助けを呼ぶことをせずに。


 でも、それで良かったんじゃないかって思うんだ。きっと、別の別れ方をしたら俺は今よりももっと後悔していた。それは折り紙として、あいつらも嫌だろう。


 だから、良かった。あいつらの死を悲しむことが出来て。


 俺は、肩に花びらが乗っかったまま歩き始める。


 すると、風が後ろから髪を靡かせて頬をくすぐって、一緒に花びらが連れ去られる。


「あっ…………」


 手を伸ばして掴もうとするが、どうしても届かず地面に落ちて行ってしまう。


 それを眺めて、孤独を知る。


 すると、ポケットに入っていたスマホがブルブルと震える。それは、皐月からのLINEだった。


『まだ出てこないのかしら?』


「………はっ。まだ入ってすらねぇよ」


 そんな気の利かないメッセージに元気を貰いつつ、銭湯に向かう。決戦の前に、身を清めてまた汚れる準備をする。鬱陶しいやつらとはここで終わりにする。


 やれることはやった。あとは、刃を待つ。


 どんな手を使っても勝つ。それは復讐でも、雪辱でもない。



 俺の出来ることは、犯罪くらいしかない。

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