夜の公園 キスの味?


 外は暗くなっていた。

 帰り道だ。璃乃りのと一緒に駅まで歩く。市内で最も乗り降りの多い駅まで来た。

「差し支えなければ送るよ」

「おっと送り狼あらわる。璃乃ちゃんピンチ!」

「誰の真似?」

「オリジナルだよ」

 明るいところに来て俺は璃乃の唇が夜の光で赤く光っているのに気づいた。

「口紅変えた?」

「さすが大地。に塗り直した。だ」

 ニヤッと笑う。白い歯に薄く口紅が残っていた。

 璃乃が気づかぬはずがない。わざとやっていると俺は思った。

「じゃあ途中まで一緒に帰ろう」

「何だ家までじゃないのか」

「わかったよ」仕方ないなという顔を俺はした。

 璃乃が笑う。

 璃乃の家がある駅は俺の最寄駅とは違う。しかし行ったことはある。耀太ようた秀一しゅういちと一緒に送ったのだったか?

 璃乃宅近くの小さな公園に寄った。

「ここで良いよ。もう、すぐそこだからね」

 他に人影はない。

 外灯に照らされて璃乃の顔が白く浮き上がる。その唇は小さく、赤く、しっとりと潤っていた。

 俺はそれに目を囚われた。

「口紅の威力が絶大だな」璃乃は俺の視線の動きを常に察知していた。

「なあ大地だいち、この唇、どんな味がすると思う?」

「は?」

 俺はうろたえた。そんなことまで想像していないぞ。

「口紅の味なのか、はたまた先ほど食べたバーガーやポテトの味なのか」

「知るか」

 俺は口が乾いていて、無理やり唾を作り出してごくんと呑み込んだ。その音を璃乃に聞かれた気がする。

「ファーストキスの味がどんなものか気にならないか?」

「それは……」俺は答えられなかった。「お前、気になるのか?」

 質問に質問を返すのが卑怯と思いつつ俺は見上げる璃乃の綺麗な顔に向かって訊いた。

「私は何でも気になる性分しょうぶんだ。実験できることなら何でも実験してみる」

「俺も気になるけれど……そういうのは互いの気持ちを確認してからするものではないのか?」

 泉月いつき恭平きょうへいがどういう風に口づけを交わしたか知らないが。

「お前は俺のこと好きになれるのか?」

「私は誰かを好きになったりはしない。そういう気持ちがよくわからないのだ。恭平に対する気持ちも同情のようなものだったのかもしれない」

 恭平も泉月と別れた後そんなことを言っていたな。

「大地は私のこと好きでないか?」

「好きだけど……恋愛の好きとは違う気がする」

「正直でよろしい」璃乃は笑った。「お互いに好きにならないとキス実験はできないか?」

「実験でするものなのか?」

「やはり大地の考え方が一般的なのだろうな。しかし私は実験でできる人間だ。どうする大地。実験してみるか? 今なら私も同意しているぞ。どんな味がするか興味はないか?」

 興味はある。

 夜の公園で外灯に照らされた璃乃の顔はこの世のものとは思えないほど綺麗だった。

 その唇がすぐ近くにあるのだ。それを実験と称して手に入れたらその後はどうなる?

 二週間ほどお試しで付き合うことになるのか?

 俺の価値観ではそれは、なのだ。

 俺はいつも付き合った後のことまで考えてしまう。大人になって結婚した後のことまで妄想してしまう。

 梨花りか純香すみかに対しても二人との結婚生活を妄想したことがある。俺は今、璃乃との結婚生活を想像してみた。

 うまく想像できないが尻に敷かれて振り回されている気がした。

 そんな先のことまで考えていたら誰とも付き合えないぞと思いつつ、それが俺なのだ。

「時間切れだ」璃乃は言った。「大地は真面目だな。恭平きょうへい躊躇ちゅうちょしなかったぞ」

「は?」

 俺は璃乃が恭平と二週間ほど付き合ったことを思い出した。

「ネタバレになるが口紅の味はしない。どんな味がするか、甘い味なのかと興味があったが何の味もしなかった。あれだけ舌を絡ませてもな」

 お前、恭平とキスしたのか? それもディープキス。明音あかね泉月いつき譲りの恭平のキス。

「お前、のか?」

「あと一週間付き合ったらかもな」

 そっちの、ではない。キスの話だ。てか、その先もやりそうになっていたのかよ!

「さすがの私もづいたよ。性行為には興味はあったが、まだ中学生だったしな。でも恭平は乗り気だった。何事も勉強だ。恭平はその熱意が私以上にあった」

 それはただの性欲だ。

「他にもいろいろ理由があったが私の方からもう終わりにしようと別れを切り出したんだ。恭平はあっさりと受け入れたよ。泉月の時ほど落ち込みもしなかった。所詮私はただのだったのだろう。恭平は次の女をあさるようになった」

 お前が恭平をチャラくしたんじゃね?

「でも惜しいことをした。せっかくの初体験のチャンスを逃したのだからな。今ならやれるな。でも相手は選びたい。せめて恭平レベルのイケメンでないとな」

「お前、そんなのそうそういないぞ」俺はつい口をついて出た。

「やはりそうか? もう一度恭平と付き合うかな」

「やめとけ!」

「冗談だよ。むきになるなよ」

 俺はおちょくられていた。

「さあて、そろそろシンデレラタイムも終わりだな」

 俺たちはその公園で分かれることにした。

 とんだ一日だったな。情報が多すぎて処理できない。楽しかったが。

「気をつけてな」

 俺が見送りの言葉をかけると璃乃は言った。

「おやすみのキスは?」

「ねえよ、そんなの!」

「わっはっは」

 璃乃は高らかに笑って帰っていった。

 しまった。俺、ぜん食い損ねた?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る