回想 中等部三年の夏休みー軽井沢ー⑧

 二日目の夜、俺たちはホテルの外に出ていた。クワガタ採りをしようと光輝こうきが言い出したからだ。

 その前の年も夜や早朝にクワガタ採りをした記憶がある。

 俺と光輝に耀太ようた秀一しゅういちまでもが建物の外に出ていた。

 女子たちが何をしていたか俺にはわからない。二日続けてトランプをしたとも思えなかった。

 それに、明音あかね恭平きょうへいと会う約束をしたとか言っていたから行動はバラバラだったのではないかと思う。

 泉月いつき璃乃りのは早く寝ただろうと俺は思った。

 まずはチェックしておいた箇所を回る。外灯で明るく照らされる白い壁が狙い目だ。

 灯りの回りに小さな虫が飛んでいる。ほとんどが羽虫はむしの類いで、たまにカブトムシのメスらしき大きさのものが飛んでいた。

 これは期待できるなと俺たちは思った。

 俺や耀太は小学生の頃から虫捕りが好きだった。

 秀一は俺たちの影響を受けて学習した口だ。秀一は研究熱心なところがあったから昆虫の生態については俺と耀太より物知りになっていた。

 駐車場エリアに足を延ばす。外灯が多いからだ。

 舗装された道端にも飛んできた虫がいるかもしれない。

 しかしあまり成果はなく、俺たちは移動した。

 羽虫が多い。たまにカナブンやコクワのメスがいたりして「おお!」となるがコクワやノコ程度なら都会の雑木林でもとれる。小さいが。

 目指すは山や大きな森にいるミヤマだ。

 俺たちは散策コースに入った。ここは日中散歩するコースになっていて、ちゃんとした道があり、ところどころ外灯もあるからだ。なければ真っ暗だが、ほどほどにあるので暗さに目が慣れれば足元はどうにか見える。

 秀一がチェックしておいたというポイントを俺たちは見て回った。手の届くところで樹液が出ているポイント。

「カナブン、ハナムグリは結構いるんだがね」秀一が言う。「昼間はスズメバチが二匹いた場所だ」

 時にオオムラサキがいることもあるようだ。それが夜になると少し様変わりする。

「カブトのメスはいるな」秀一が苦笑した。

 ハナムグリや蟻に混じってでかいカブトムシのメスが二匹いた。一応それはゲットしておく。他に狙っているものが採れたらリリースするつもりだ。

 光輝は楽しそうだった。

「あ、コクワ」耀太が捕まえた小さなオスを俺たちに見せた。

「コクワじゃなくてアカアシだね」秀一が言う。

 正直俺には見分けがつかない。

「これは?」光輝が別のを捕まえた。

「ミヤマのメスだね」

「ミヤマとかノコのメスってどう区別すんだよ?」俺は訊いた。

「形も色も違うじゃないか」秀一は笑う。「同じような茶色に見えるけどノコギリは少し赤い感じ。形もノコギリの方が丸みがある。ミヤマは黒茶、かりんとうのイメージだな。顎も少し長いよ」

「ふーん」

 クワガタがターゲットだからメスでもクワガタを優先するためカブトムシのメスをリリースした。

 期待したほどの成果は上がらない。

「トラップを仕掛けて明日朝早くに見に来た方が良いかな」

 秀一が提案したのは小一時間も経った頃だった。九時になろうとしていた。

 秀一、耀太、光輝がトラップを作りにホテルに戻った。焼酎を染み込ませた果物をネットに入れてあちこちに仕掛けるのだ。

 俺は、トラップ作りに四人も必要ないだろうと思ったからもう少し見て回ると言った。そしてひとりでうろついた。

 明かりが射す白い壁に黒い物体があると見えればそこに行く。しかし葉っぱの切れ端だったりして期待はずればかりだった。

 やがて散策コースに戻ってきた。このあたりは白樺が多く、あまり期待できない。

 ふと三十メートル程離れたところにある四阿あずまやに二つの人影を見た。

 俺たちとは無関係の宿泊客の可能性もあったが、俺はそれが恭平きょうへい明音あかねかもしれないと思った。

 野暮やぼなことをしてはいけないなと思った時には十メートルくらいに距離を詰めてしまっていた。

 背景に外灯が一つ。その明かりが二つの人影を照らす。

 俺の方からはシルエットになってしまい、顔ははっきりとは見えなかった。

 やがて二つの影が重なった。

 おいおい外でラブシーンかよ。

 背の高い影がベンチに腰を下ろし、それにおおかぶさるように小さい影が顔を寄せ、二つの顔が重なった。

 俺は早い段階でその場を離れておくべきだった。しかしあまりの濃厚シーンに俺の足はすくんだ。

 男の方は確かに恭平きょうへいだと俺は思った。あの白シャツと薄手のデニムには見覚えがあった。夕食で見た恭平の姿だ。

 しかし恭平の口を塞ぎ、触手のように舌をねじ込んでいる女は背中まである黒髪、薄明かりのもとでは色の濃いワンピース姿で、少なくとも明音あかねには見えなかった。

 俺がその女の正体を完全に確認したのは女の体が恭平の顔から離れた時だ。

 まさかそんなことが……。

 あたかも血を吸い尽くした吸血鬼の女が口許くちもとしたたる血をぬぐうかのように手指を当てた恐ろしいくらい妖しげな美少女。それは泉月いつきだった。

 その神々こうごうしい顔を虚脱きょだつした恭平が見上げている。

 何が起こった?

 なぜそうなった?

 俺は理解できなかった。

 その時俺の後ろで落ち葉を踏む音がした。

 振り返った先に真っ青な顔をした明音あかねがいた。

「明音……」

 俺の声かけが聞こえなかったかのように明音はきびすを返した。

 俺が手を伸ばした先に駈けてゆく明音の姿はすぐに暗がりに消えた。

 俺は恭平と泉月に気づかれないようその場を離れた。

 明音の後を追おう。そう思って少し進んだ先にまた一つ人影が現れた。

 それは唐突に暗闇の中から姿を現した。ちょうど外灯が射す位置に入ったかのようだった。

 俺はぎょっとしてその人物を注視した。泉月の叔父だった。

 叔父は俺を見ることなく、泉月と恭平がいる方に恐ろしい視線を向けたまま静かに俺に言った。

「樋笠君、見なかったことにしてくれたまえ。君は何も見なかった――」

 そう言い残して叔父もまた引き返し、暗がりに消えた。

 その代わりに現れたのは和泉いずみだった。

 和泉が叔父と一緒にいたのかどうか俺にはわからない。たまたま相前後して姿を現しただけなのかもしれない。

 何と言って良いかわからぬ俺に向かって和泉は言った。

大地だいちは何もしないで」

「え?」

「私に任せて。

 俺は明音を追うのもやめた。そして和泉とともにその場から姿を消した。

 恭平と泉月は俺たちがここにいたことを知らずにすんだだろう。

 しかし俺たちの楽しい夏はその夜終わりを迎えた。

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