水沢先生への報告

 俺は古文の課題を提出するために職員室を訪れた。昼休みの半分が過ぎた時間帯だ。

 こうした課題のやり取りを通じて教師は生徒から情報を収集しているのだと俺は思う。他のクラスの担任もそんな感じだ。

「優秀じゃないの」

「俺だってやればできます」俺は得意気に言った。

 ニコニコする水沢みずさわ先生の可愛い笑顔をずっと観賞していたかったが、しびれを切らした水沢先生の眉がつり上がって来たので俺は声を潜めた。

東矢とうやさんの本音を聞き出しました」

「ふんふん」それでと水沢先生は俺に顔を寄せる。

 近くに他の先生はいなかったが内緒話を聞くつもりだったのだろう。

 相変わらず良い匂いがするなあ、大人の女性は。化粧品も使い放題だし。

 俺は泉月いつきから聞き出したことを水沢先生に語った。

 他人の貴重な時間を潰すような避暑会を開くのは本意ではない。しかし自分を心配する叔父のことも気にかかる。だから今年も避暑会を開くことになるだろう。メンバー選出は叔父に任せていると。

「そうなんだあ」水沢先生は体を起こした。良い匂いが遠ざかった。ちょっと残念。

「でも俺たち生徒は皆行きたいんですよね。特に毎年行っているメンバーは。費用負担なしでワイワイ遊べるのですよ。引率する先生方にはご迷惑をかけることになりますが」

「やっぱりそうよね」水沢先生は過去三年を振り返っているようだ。「今年は少数精鋭でいくかな」

 ん、それは十二名くらい? 俺、必死にならないと危ないかも。選抜から外れる?

「でもやっぱり二十名くらいにした方が良いかな」うん、それがエエ。「引率者を二人にするように言われたから多めでも良いのかな。費用は気にしなくて良いと言われているし」

「二人ですか?」俺は訊いた。

 今までも引率教師が二人来たことはある。しかし引率者二人が決定事項になっているとは。

「生徒が羽目を外さないようしっかりと目を光らせてほしいと東矢理事に言われたのよ」

「はい……」俺は中途半端に相槌を打った。

 やはり泉月の叔父は去年のことをおもんぱかっている。本当なら避暑会も開きたくないのだろう。ただ泉月を取り巻く生徒のことも知りたい。それがあるから教師を二人呼ぶことを必須としたのだ。

「ちなみに今年はどの先生に」

倉敷くらしき先生には遠慮したいと言われたわ。小町こまち先生は生徒の引率なんて真っ平だってワガママ言うし」あの先生なら言いそうだ。「いっそのこともっと若い先生にしようかしら」

 何だか楽しそうだな。俺たちの監視をその先生に押しつけるつもりなのだろう。

「それはさておき、ありがとうね、樋笠ひがさ君」

「どういたしまして」

「だから頑張ってね。樋笠君は頼りにしているわ。樋笠君がいないと困るもの」

「光栄です」俺は頭を掻いた。

「頑張ってA組の中で十位以内に入るのよ」

「はい」

 そうだった。行く気があっても招待されるとは限らない。特に男子生徒はなかなか泉月の友人と認識されない。俺はどうにか泉月の叔父に顔を覚えられているが、成績が落ちたり、役に立たないと判断されれば簡単に切り捨てられるだろう。

 そう、去年の俺は泉月の叔父にとって、いやその他の誰にとっても、全く役に立たないモブ男だったのだ。

 水沢先生が俺に期待するのはおそらく去年のことを知らないからだ。

 ということは水沢先生も泉月の叔父に無能の烙印を押されている可能性がある。だから引率者を二人にするよう言われたのだ。

 なんてことだ。俺のせいでみんなの評価が落ちる。俺は闇に落ちていく自分の未来を見た気がした。

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