俺、久しぶりに泉月と喋る

「失礼しやしたー!」俺は慌てて泉月いつきに背を向けた。

「もう少し待っていて下さるかしら。すぐに終わらせるから」

 俺は結構ラッキースケベに出くわす方だ。いちばん多いのは梨花りかだが、幡野はたの会長がまだ二年で生徒会役員でもなかった頃、の先輩にスカートをまくられて激昂した有名イベントにたまたま居合わせたことがある。

 あのほとんど感情を現さない幡野さんが涙目で「許しません!」と叫んだくらいだ。たいていの女子なら何か反応を示すだろう。

 梨花なら「いや~」とか、明音あかねだったら「○ねー」とか言って蹴りを入れられそうだ。知らんけど。純香すみかなら「あらー」程度かな。

 しかし泉月いつきは全く動じていない。俺と二人きりの生徒会室で淡々と着替えている。

 俺はその音を背中で感じながら目に焼きついたシーンを拭い去るのに苦労した。

 黒タイツに透けて見える白い下着。横から見たヒップラインと脚のかたちが綺麗すぎる。

 俺は泉月の太ももですらまともに目にした記憶はなかった。泉月のスカート丈はいつも測ったように膝丈だったから。

 そして上を脱ごうとした時、一瞬目に入ったブラの下半分と胸のふくらみ。

 俺は鼻血が出そうだった。

「急ぐなら話をしながらでも良いわ。樋笠ひがさ君が良ければ」

「いや、待つよ。てか、俺、一旦外に出るわ」

「なぜ? この方が時短になるわ。そう思って生徒会室で着替えることにしたの」

 そんな問題ではない。

「良いのかよ、生徒会室で二人きりで?」

 しかも泉月は堂々と体操服に着替えている。もう見えないが。

「樋笠君だもの」

「なんだそれ」

「星川君と違ってよく知っているし、それに、いざとなったら制圧できる」

 怖い。

 泉月は合気道と剣道で初段を持っていた。他にも柔道や空手をかじっている。

 泉月の祖父が武道に精通していて子や孫に小さい頃から仕込んだと聞いている。牙のない俺が敵う相手ではない。

「お待たせ。こちらを向いて」

 振り向くと体操着に着替えた泉月がいた。黒髪は後ろでひとつに結わえている。

 とても凛々しい姿だ。

 女子とは体育が別だから泉月の体操着姿を見るのは久しぶりだ。

「それで話とは何なのかしら」

「いくつか訊きたいことがあって。毎年夏休みに東矢とうやさんのご実家の別荘地に避暑に招かれているよね。今年の日程とか招待者はもう決めてあるの?」

 避暑会が開かれることが前提のように俺は話した。もし泉月に開催する意思がなければそう言うのではないかと俺は思った。

「どうかしら。いつもは叔父さまと義叔母おばさまが決めていることだから、私にはわからないわ」

「東矢さんの意向が反映されるわけではないんだ? この人を招待客に入れるとか入れないとか」

「総合成績の上位に声をかけていると聞いたけれど」

「今年は高等部入学生もいて、上位十名に彼らが入ることも十分考えられるし、今まで十位以内に入っていた者もはみ出るよね?」

「そうね。でも全く知らない人に声をかけるというのもどうかと思うの。だからA組の中から十数名を選んで声をかけることになると思うわ」

「そうか。人選は叔父さまたちが成績優秀者の名簿を見てA組の中から選ぶということだね。そこに東矢さんの意向は反映されない」

「そうね。本音を言うと……」え、本音を語ってくれるの?「私としては、皆さん忙しいのに貴重な時間を頂戴するのは心苦しいの。三年も続けて恒例みたいになっているけれど学校の公式行事ではないのよ。それを開く意味はあるかしら?」

「でも梨花りか耀太ようたは招待されれば行くと言っているよ。璃乃りの明音あかねだって」

 明音の名を出すのはどうかと思ったが出さないわけにもいかなかった。

「他にも行きたがっている生徒は多い」

 一種のステータスになっているのだ。まるで貴族が開く舞踏会みたいだ。

「やはりそうなのね。だったら今年も開くわ。叔父様に心配をかけたくないの。今年はなしにするなんて言ったらきっと何があったんだと叔父様は疑問に思うでしょうね」

 やはり泉月は知らないようだ。彼女の叔父が俺たちに関わったことを。

 避暑会を開きたくないのは叔父なのではないか。あるいは出入り禁止にしたい者がいるのも叔父だと俺は思った。

 あの叔父は泉月のまわりにおくべき生徒を選んでいる。あの避暑会は生徒の選別の場だ。

「わかったよ。A組から成績優秀者十名と少しだね」

 その少し、というのが微妙だ。万一俺たちS組十傑の誰かが十二位などになったことを考慮して余裕を持たせているのか? 正直よくわからない。

「僕がA組の十五位くらいになったら呼ばれないのかな?」何気なく俺は訊いた。

「どうかしら。叔父さまの意向だから」

 一瞬だが泉月が笑ったように見えた。泉月が可笑しそうに笑ったところを俺は見たことがない。俺の願望が見せた幻だったのだろう。

「話はそれで終わりかしら?」

「うん」時間もないし、俺はそれで切り上げた。

 俺たちは生徒会室を出た。

「クラスのみんなとは喋らなくなったんだね?」廊下を歩きながら俺は訊いた。

「話すべきことがあればいつでもいくらでも話をしているわ」

「世間話というか、とりとめない日常会話のことを言っているよ」

「何を話したら良いのかわからないわ。私は樋笠君とは違うもの」

「僕が余計な話をしすぎるんだよね。ごめん」

「お喋りが必要な時もあるわ。樋笠君はクラスのムードメーカーだものね」

 泉月に褒められた気がして俺はむず痒かった。褒めたのではなく、淡々と事実を述べただけなのかもしれない。

 それにしてもやっぱり会話が固くて進まないな。「大地だいち」「泉月いつき」と名前で呼び合うこともあったのに。

 今はもう泉月はS組の誰に対しても名前ではなく名字で呼んでいる。そして俺たちも泉月のことを「東矢さん」と呼ぶ。

 事実上東矢泉月は「S組十傑」を抜けていた。

 俺たち十人はもう元には戻れないのだろうか。

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